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私が経験した障害者雇用①直属の上司

今回は私が経験した障害者雇用について、私の主観的な意見も入ってしまうかもしれないが書いていきたい。

私はその会社にとって2人目の「障害者」として、また初めての「精神障害者」としてトライアル雇用として働く事になった。

2人目の障害者と書いたが、その会社にとって初めての「障害者」はいわゆる知的障害者と世間から言われる私とほぼ同じ位の年齢の男性であった。彼は私の主観が入るかもしれないが、明るく、真面目、よく話し、後輩に対しては面倒見の良い性格であったが、コミュニケーションに際して、1つの事を伝えるのに時間がかかるタイプだった。私はなるべく彼の伝えたい事が分かっても、彼が気が済むまで話を聞くように心がけていた。というより、そういうのが私の性格であり、人の話を途中で遮ったり、切り上げたりするのはよくないと思っていたのだった。

そんなリーダーシップを取りたがる彼に対して、私は真面目ではあるが、大人しく、口数が少ない、またこれは私のコンプレックスでもあるのだが、どんなに明るく振舞っても「明るく振舞っているように見られづらい」というのがあった。なので、そこは一人で疲れてしまわないようにこの職場では無理しないようにありのままでいるようにしていた。

私の直属の上司となったのは、ある有名大学卒の30歳前後の男性社員だった。彼は、詳しくはよく知らないのだが、もともと法律や政治に関わる勉強や仕事をしていたとのことであった。

障害者雇用で入職したという事は、言うまでもなくというか「障害者」として周りから見られるという事になるのだが、私はこの時はまだ、この事がどういう事なのかよく分かっていなかったのは事実である。

お話したいことは沢山あるが、今回はこの直属の上司にスポットをあててお話していきたい。また書き方は順序立てず、働き始めから、辞めた後、現在に至るまでを総合的に書いていこうと思う。

考え方

元々、法律や政治に関わる仕事をしていて、また、幼少期に癲癇を持っていてある意味で「障害者」であり、差別と取れる経験もしてきたと言っていたのを覚えており、また将来的に社会全体に障害者に対する差別をなくしていけるような環境作りを推し進めていきたいと話で聞いたり、彼のSNSなどから読み取ることができる。

「障害」に対しての理解

私が働き始めた時から、障害者雇用として入った私たちに対して理解が十分にあったとは言えない。ここは本当に難しいところなのだが、「普通の人」を何をもって普通というのかなどにもかかってくるのだが、少なくとも私たちが「障害者である」という事に変わりはないようであった。

理解が十分ではないと感じた一つのエピソードとしては、同期で入った気さくで明るくはあるがコミュニケーション力に欠ける(欠けると言ったら失礼になる気がするので、不得意とすると言った方がよいか)彼に対し、最初は弄(いじ)るような感じで向き合っているように私には見えていたのだが、私が見ているうちに徐々に度が過ぎ虐待とも取れるような態度に変貌していったように感じている。同時に彼も、よく話す性格だったはずだが次第に寡黙になっていった感がある。

「精神障害の私」に対しても、表面的には相談事を親身に聞いてくれるような感じはあったのだが、それは時間の経過とともに、すれ違っていくのを感じていた。たしかに、私の方も「障害者雇用」がどんなところかよく知らなかったというのもある。なんせ私にとって初めてだったのだから、それは仕方がないと思う。だが、上司は私を私ではなく「精神障害者のうちのひとり」として見ている感があった。精神障害と言っても実に様々で、私でさえ、全て把握できていないので、私に精神障害の事を訊かれても困るだけである。というように精神障害という大きくて曖昧な言葉で一括りにしようとするのは、いささか危険であると思われる。

理解不足な点について

私はまた生活援護(生活保護)のお世話になっているのだが、法律の事を勉強している割には、その部分は興味がないのか、理解不足とも取れる点が多々あった。記憶に残っているのは、「ウォーターサーバーが保護費の中から出ている」と言った頓珍漢な発言をした事だったりする。考えれば分かると思うのだが、そんな訳はない。水道から飲める水がちゃんと出るではないか。また生活保護は精神障害や多重債務者が受けるものと思っているとも取れる表現をしていたのも気にかかった。ちなみに、私が最初に生活援護のお世話になるきっかけになったのは「階段から転落したことによる骨折」である。このように、精神障害と多重債務者だけにクローズアップするのではなく、交通事故や不慮の事故、精神とは関係のない病気などで生活援護を利用している人も多く、法律を勉強している割には偏見が強いような印象を受けた。

話を聞いているようで聞いていない

これは私にも非があって、普段から十分なコミュニケーションを取っていなかったことによって、すれ違いが生じてしまったということでもあるのだが、覚えているエピソードを1つ紹介することにする。

私は趣味で楽器をやっているが、私の住んでいる家は本当なら楽器などの音の出るものを持ち込んだり、使用したりしてはいけないことになっているので、コロナでカラオケボックスなども閉まっている中、話の流れで楽器などの持ち込みを可能としている物件に引越しをしたいと言ったことがあった。その時、上司は「引越しをするための資金がなければ、自家用車で荷物を運ぶのを手伝う」と言い、また契約の更新時期も訊かれたので答えた。そこから私は、それはとても心苦しいので悪いと思ったし、反面こんな機会はないと思ったので、「本当にいいのか」何度も何度も確認の上でも良いという答えだったので、信じきったまま契約更新の前月を迎えたのだった。私は上司が荷物を運んでくれると信じきっていたため久しぶりにその事を口に出してみると、意外な言葉が返ってきたのだった。

それは相談に対する答えでもあり、約束事のようにも捉えていて、変更点や、万一できなくなった際には上司の方から申し入れがあるものだと思ってしまっていた。だが、その意外な答えとは「伝えたはずの更新時期を忘れている(来月だと伝えると驚いていた)」「荷物を運ぶはずの自動車は廃車にしてしまったので、そんな事はできない」ということであった。

中途半端な指示

長くなってきたので、この項目で一旦切ろうと思う。ある日、上司から、私に「マニュアル作成をお願いしようと思っている」との声かけがあった。これも、普段から十分なコミュニケーションを取っていればこんな事にはならないはずで、もちろん私にも非があるのを認めた上でお話させて頂く。

そんな声かけがあったので、次に会った時か、近いうちにそれに関する詳細な声かけがあるものだと思って待っていたのだが、数ヶ月経ってもそれがなかった。

そうなると、私はあの最初の声かけが、「マニュアルを作れ」ことなのかと次第に思い込むようになり、やるかやらないかで言ったら、やらなければいけないことのように感じてしてしまったのだった。そう思い始めてしまえば、早めに片付けなければ他の事に手がつけられない位になってしまい、ある日、思い立って、休みの日にまる2日かけて、手書きで自分なりにできるだけ詳細にマニュアルと呼べるのか分からないが作成したものを持参し報告したのだった。

そうすると何故か意図も簡単にその仮のマニュアルが通ってしまったのだった。上司に渡すとメンバーの人数分が、その日のうちにコピーされ、配られたのだった。

その事に際し、事後開催された「職業リハビリテーション研究・実践発表会」の報告書の中で、『私にマニュアルの作成をお願いしようとしていたところ、【私が自発的に】手書きのマニュアルを作成してきた』となっていて、『この細かさには驚かされた』とあった。

細かく書いた理由には、次のような理由がある。
☆最初の声かけが曖昧で指示なのかどうか不安に思った。

☆当初、最初の声かけが作成指示だとは思っていなかったが、その後数ヶ月に渡って何もなかったので不安になった。

☆最初の声かけが作成指示だとすれば、書き方などの詳細な指示がなかったので、後に添削というか推敲があるものとして、思いつくできるだけの細かい部分までを詰め込んだ。「仮」のものとして。

おわりに

おわりではないが、この投稿をしめくくるにあたり、この人は普段から、このように物事をやりっぱなしにして忘れたり、放置したりしているのかと思うと、人間性を疑う。かと言って、他の仕事で忙しそうにしているようにも見えなかった。何度も言うが、忙しそうに見えないのに、普段から十分なコミュニケーションを取ろうとしなかった私に非があるというのも認めた上で、この投稿を終わろうと思う。

長文お読みいただきまして、ありがとうございました。


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