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【夢と現実の違いとは】『映画ドラえもん のび太と夢幻三剣士』から考えるドラえもん哲学

はじめまして。
見に来てくれてありがとうございます。

この記事では、『映画ドラえもん のび太と夢幻三剣士』を観て生じた疑問について論じています。

テーマは【夢と現実の違い】です。

私たちの多くが信じている現実世界は、本当に実在するのか?
実は漫画の中の世界なのでは?AIが作り出した仮想現実なのではないか?

私たちが睡眠時に見る「夢」だと認識される世界は、本当に実在しないのか?
実は夢の世界が現実で、現実世界が夢なのではないか?

日常生活の中でこのような疑問を抱く機会は少ないでしょう。
私自身、幼稚園児の頃はよく考えていたのですが、年を取るにつれ頭の隅に追いやっていたようです。
この映画を観て、改めてこの問いと向き合いました。

興味がある方は、以下の本文をお読みください。

映画のあらすじ → テーマの説明 → 参考文献の要点 → 私自身の解釈
の順に記述しています。


映画のあらすじ

※ネタバレ注意※

先生に叱られたり、ジャイアン・スネ夫にいじめられたりと、現実世界では散々な目に遭うのび太。

せめて夢の世界では自分の思い通りに活躍したい!と、ドラえもんに嘆願。
ひみつ道具「気ままに夢見る機セット」(以下、夢見る機セット)を出してもらう。

気ままに夢見る機セットとは

  • 基本機能:好きな夢カセットを選び、寝ている間に夢を見せてくれる。カセットはSF、西部劇など多種多様。カセットの中の登場人物になり切って物語を体験できる

  • 特殊機能

    • マイクロアンテナ:これを第三者に付けると、その人も同じ夢を体験することになる。作中ではジャイアン、スネ夫、しずかちゃんに(勝手に)取り付けた

    • かくしボタン:これを押すと、夢世界と現実世界が入れ替わる。ただし、夢世界の中でリモコンのボタンを押せば元に戻る


「気ままに夢見る機セット」の「かくしボタン」

夢見る機セットで『夢幻三剣士』の世界へ入ったのび太。

このカセットでは、妖霊大帝オドロームに侵略されつつあるユミルメ国を救い、王女と結婚するという物語を体験できる。

はじめは寝ている間だけ夢世界をプレイしていたが、途中でかくしボタンを使うことになり、夢幻三剣士の世界が現実世界となる

襲い来る強敵や困難を乗り越え、のび太は見事オドロームを倒すのだった。

テーマ【夢と現実の違い】について

タイトルからわかるように、「夢」がコンセプトの本作。

注目したいのは、気ままに夢見る機セットのかくしボタンである。
これを押すと、夢世界と現実世界が入れ替わる

正直、映画鑑賞中は特に気に留めていなかった。かくしボタンのON/OFFによって物語にどんな影響が出るのかわからなかった。
しかし、F先生がそんな無意味なものを登場させるとも思えない。

かくしボタンの役割について考え直すうちに、今回のテーマが生起した。
夢と現実が反転しても、結局それぞれの世界でやることは変わらないのではないか。
そもそも夢と現実の定義とは何か。明確な違いはあるのか。

実際に夢見る機セットを試して確認したいところだが、叶わぬ夢である。
一人で考えていても埒が明かないため、論文やネット記事を探してみた。

その中から、特に勉強になった文献を2つ紹介する。

参考文献①

労働者E(哲学)(2024). 【読解】永井均「この現実が夢でないとはなぜいえないのか?」
より、要点を自分なりの解釈でまとめた。

夢と現実の違い(一般論):他者と共有できない/できる世界

まず一般的に、夢と現実の違いは以下のように捉えられている。

夢世界:夢を見ている本人(主体)しか知覚できない
現実世界:同じ時空間を他者と共通して体験することができる

しかし、現実だと思われているこの世界も、各主体の体験としてしか存在していない。

私たち一人ひとりが見ている世界は異なる。つまり、本質的には他者と共通して体験できる世界など存在しない。

ある世界の実在性を確認するには、その世界の外部の世界から見る必要がある。

この世界が実在しているかどうかは、さらに外側の世界から確認する必要がある。
(ex. AIの仮想空間が存在することは、仮想空間の外側の世界からしか証明できない。)

気になる方は引用元の記事を読んでほしい。

参考文献②

坂井 祐円 (2023). 「夢の世界は現実であり実在している」ことを認める多元的実在論の考察 ―「生と死の境界」の夢の事例をめぐって
より、要点を自分なりの解釈でまとめた。

2種類の現実

  • リアリティ:主体が勝手に作り出したり操作したりできない既成の現実

  • アクチュアリティ:現時点で途絶えることなく進行している活動中の現実

まず、現実はリアリティとアクチュアリティの2要素で構成されている。
前者は、主体が知覚・認識する対象としての表象的世界である。
後者は、主体が現実感覚をもって実感する意味的世界である。

難しい概念である。私自身も正しく理解できているか不安だが、簡単に言うと、
前者は、私たちが見聞きする物体や出来事という、他者と共有できる時空間的な現実世界
後者は、個人が「現実的だ」と思って経験する主観的な現実世界
だと捉えられる。

そして、現実とは、リアリティとアクチュアリティが交互に重なり合って構成される世界だという。

なお、夢世界にも現実世界の要素が含まれている。
夢から醒めた後にしばらく「あれは夢だったのか?現実だったのか?」とぼんやり考えるのは、夢にアクチュアリティを感じていたからである。

ただし、夢世界は主体の脳内で生み出された世界に過ぎない。つまり、リアリティがない。夢世界は独立して存在しない。
このように考えるのが一般的である。

しかし、この見方は以下に続く素朴実在論を前提としている。

素朴実在論と多元的実在論

  • 素朴実在論:この世界は独立して存在しており、個々の事物は主体の見るまま感覚するままに実在するという考え方

  • 多元的実在論:夢と現実とは対立するものではない。夢で見ている世界でと覚醒時見ている世界は等価であり、どちらも実在性をもっているという考え方

素朴実在論は、長年私たちの夢-現実観を支配してきた。
この前提の下では、夢と現実の違いは次のように考えられる。

  • 夢:主観的で自己完結しており、通常の意識レベルとは異なる状態で起こる

  • 現実:他者と共有していることが互いに確認でき、持続性や客観性をもつ

しかし、この主張には限界がある。
素朴実在論の下では、現実世界は独立している。けれども、AIによる仮想現実のように、作りモノの世界を知覚している可能性がある。

逆に言えば、「脳による作りモノ」とされる夢世界が実在する可能性もある。
そこで筆者が打ち立てた考え方が、多元的実在論である。

夢世界も現実世界も、主体が片方の世界に没入している間は(その世界の内部で活動している間は)、2つの世界の区別をつけることができない。
例えば、夢を見ているときに主体は「これが夢だ」とは思わず、現実のように感じている(明晰夢を除く)。
夢から醒めることによって主体が区切りをつけているに過ぎない。

その意味で、夢世界と現実世界は等価だと言える。

この文献には続きがあるので、気になる方は引用元の記事を読んでほしい。

個人的見解

世界は個人の捉え方次第 → 共有できる世界はない

参考文献①、②にある通り、本当の意味で他者と共有できる現実世界はない。なぜなら、世界の捉え方(知覚・認識の仕方)は個人によって異なるからである。
ここで、個人の世界の捉え方を2つに分類してみた

  • 心理的な捉え方:同じ出来事をどう解釈するか

  • 身体的な捉え方:同じ時空間をどう知覚・認識するか

前者は心理学的な話である。
例えば、ジャイアンリサイタルでのび太たちが泣きながら拍手をする場面。
観客側(読者側も)は「ジャイアンの歌を聴くのが辛くて泣いている」と解釈する。
一方、ジャイアン当人は「自分の歌に感動して泣いている」と解釈する。
同じ「歌を聴いて泣く」という出来事でも、文脈や主体の信念によって異なる捉え方が生まれる。

後者は認知脳科学的な話である。
例えば、私たちが知覚する色や音は全て波によって構成されている。この波の捉え方には個体差がある。
わかりやすいところでは、少数色覚や加齢による聴力低下が挙げられる。同じ波が発生しても知覚処理の仕方の個体差によって、見える色や聞こえる音が異なる。

したがって、私たちは心理的にも身体的にも同一の世界を生きているわけではない。
私たちが信じているこの世界は全て自分が作り出した妄想かもしれない。

では、夢と現実の違いとは何なのだろうか。

大長編ドラえもんは入れ子構造の物語

参考文献①、②にある通り、ある世界に没入している限り、その世界の実在性を確認することはできない。実在性を確認するには、さらに外部の世界から見つめる必要がある。

ここで、2つ以上の世界の入れ子構造が想定される。

『映画ドラえもん のび太と夢幻三剣士』鑑賞時の入れ子構造

考えてみれば、本作しかり、大長編ドラえもんでは多くの場合入れ子構造が展開されている。
のび太たちが生きる「現実世界」と、夢世界や白亜紀の日本や別の惑星などの「異世界」が邂逅することで物語が始まるというパターン。

私たち観客は、のび太たちの世界が本当の現実で、もう一方の世界は異質なもの・本来は存在しえない世界 ≒ 夢世界として捉えている。

多元的実在論に基づけば、現実世界と夢世界は等価なはずである。それなのに、私たちは何の疑問も持たずに邂逅した世界を異質なものだと考えてしまう。

大長編ドラえもんを通して、素朴的実在論の根深さに気付かされた。

複数の世界と出会ったとき、どれを現実世界だと見なすのか。その基準は何なのだろうか。

どの世界を現実世界とみなすか、は主観

まず、大前提として、どの世界を現実世界とみなすかは主観に依存する。

究極のところ、睡眠中に見る世界が「現実世界」で覚醒時に体験する世界が「夢世界」だと考えることもできる。かくしスイッチを押さなくても、自分の考え方次第で世界を反転させることができる。

「現実世界」と「夢世界」という言葉がややこしいため、ここでは「メイン世界」「サブ世界」と表すことにする。

私たちは、覚醒時に体験しているこの世界をメイン世界に据えているだけである。

では、メイン世界とサブ世界を決める条件は何か。この問いに対し、以下の2つを提案したい。

  • 世界のシェア感覚

  • その世界で支持されている実在論


第一に、世界のシェア感覚

これは、他者と世界を共有「している感じ」である。
上述の通り、本質的に共有できる世界は存在しない。それでも「この世界が現実だ」と信じられるのは、「他者と共有している」と思い込んでいるからである。
つまり、実際には共有していなくても、自分自身が共有しているとみなせば十分だということである。

こう考えた契機は、本作で登場した夢見る機セットのマイクロアンテナである。

アンテナ登場前は、夢世界をプレイする主体はのび太で、ジャイアンたちはのび太の夢の中の登場人物Aという立ち位置だった。
アンテナをジャイアンたちに装着したことで、夢世界はのび太の夢に留まらず、複数人で共有できるようになった。

この時から、鑑賞者である私は 夢世界=メイン世界 だと思うようになった。
ドラえもんがかくしボタンを押す前にも関わらず。

つまり、夢と現実が反転したという設定が出る前から、夢世界をシェアする人が増えたことでメイン世界とサブ世界が反転したのである。

(ただし、この場合は夢世界を体験する当事者(のび太)の感覚ではなく、
本作をさらに外側から見る私という3重の入れ子構造が展開されていることに注意したい。)


第二に、その世界で支持されている実在論

これは、素朴実在論や多元的実在論を指す。
現代のこの世界では素朴実在論が支持されている。科学的に証明できる世界が絶対で、突拍子もないことが起きる夢世界は作りモノだ、と。
そのため、この世界はメイン世界、夢世界はサブ世界だと見なされている。

しかし、今後は多元的実在論が台頭するかもしれない。もしくは、夢世界こそがメイン世界だと主張する実在論が出現するかもしれない。突拍子もないことがスタンダードになる未来があるかもしれない。

マジョリティが支持する実在論によって、メイン世界とサブ世界は容易に変動するであろう。

終わりに

以上のように、今回は【夢と現実の違い】について考察しました。

結局、夢と現実の違いはない。というか、区別の仕方はその人次第。
二元論的な考え方が正しいわけではなく、区別しない人もいるでしょう。

また、夢と現実は相互に影響し合っているんだろうな、とも思います。
例えば、テストで100点を取る夢を見たことで気分が高まり、実際に高得点を取るというケース。逆に、現実世界でママに怒られた日の夜、夢の中でも怒られるというケース。

本作のラストでは、現実世界の中で夢世界の描写があり(ネタバレになりそうなので伏せますが)、ふしぎな感覚を味わいました。
もしかすると、夢と現実が反転したままだったのか?それとも、一度反転した影響が残っていたのか?疑問が尽きません。

もしもF先生が描くSF(すこし・ふしぎ)世界がメイン世界になったら面白いなあ。
そんな子どもの夢と願望を叶えてくれるのが、大長編ドラえもんだと思います。

初めてのnote記事がこんなもので良いのかと不安に思いつつ、
とあるドラ好きによる自主レポートという体で、ハードルを低く保とうと思います。

長くなりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました!




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