みんな、一人はいいぞ 〜前編〜
一人が苦じゃないと自覚したのはいつからだろう?振り返れば、小学生の時は何かと理由をつけて友達と遊ぶ約束を断ることもあった。遊びを断ってでも、両親に隠れて一人でゲームに興じるのが好きだった。中学では休み時間は常に読書をしていたし、高校では一人で観劇しに行った事もあった。かといって友達がいなかったかというとそうでもない。中学の時は放課後友達と遊んだし、高校では休み時間はワイワイやってた。でも、やりたいことは一人であっても、躊躇せず挑戦してきたように思う。どうやら、「やってみたい」という気持ちが、仲間がいないことに対する不安を上回っているようだ。
大学では1年生から一人を極め始める。最初は長距離パートに所属していたが、自分の本当にやりたい中距離走への情熱を抑えきれず、一年生にも関わらず独立して中距離パートを立ち上げた。ウォームアップの時間はチームメイトと一緒だったが、それ以外は一人で練習することが多かった。自分専用の練習メニューを立てて、黙々と練習していた。
でも、完全に周りをシャットアウトしていたわけではない。たまには他パートの練習に参加したし、駅伝には欠かさず出場した。練習後にはご飯に行くこともしょっちゅうだった。しかし、自分のやりたい練習を捻じ曲げてでも他人に合わせるようなことはしなかった。
試合も一人で行くことが多かった。鳥取大学から日本グランプリに出場していたのは、私一人だけ。しかし、付き添いで来てもらう、なんて考えは最初からなかった。当然のように自分で試合を探してエントリーして、ホテルを予約して、試合に向かう。試合前も付き添いは無し。自分でタイムテーブルを見て、その日の予定を立てた。
付き添いがいると、多少なりとも気を遣ってしまうのも影響しているかもしれない。集合時刻を合わせたり、アップの時間を伝えたり。ほとんど労力を費やさないものばかりであるが、試合前はそれすらも煩わしくなるのだろう。
一度、一人でレースに臨む私を見て、親切にも付き添いを名乗り出てくれた人がいる。しかし、レースでは自分に集中したいから、とこの誘いを断った。今思うと申し訳ないことをしたなと思うが、付き添いがいるとどうしても気を遣ってしまう。試合の時は特に、周りのことより自分の状態や感覚に焦点を当てたかったのだと思う。
一人を象徴するレースが大学6年次の日本インカレであった。日本一をかけた対校戦ということもあり、選手にはそれぞれ付き添いがいて、荷物番をしたり、ビデオを撮ったり、タイムを測ったりしていた。もちろん、私は例の如く一人である。そこで初めて、「一人で参加するって普通じゃないんやな」と感じた。
招集所では、当然のようにチームメイトがいる前提で話が進む。「電子機器はチームメイトに預けて下さい」と言われたが、もちろん預かってくれる人など私にはいない。電源を切っていればバレないだろうと思い、こっそりバッグに忍ばせてレースに臨んだ。
準決勝では、他選手の紹介では拍手や歓声が起こる中、自分の時だけ静かであった。試合前ながら苦笑いしたのを覚えている。
しかし、どれもこれも自分のパフォーマンスを下げる要因にはならなかった。一人に慣れていただけではなく、この環境を楽しめる性格だったのも影響しているだろう。「帰ったら話のネタにしてやろう」くらいにしか考えていなかったので、逆境を逆境と感じていなかったのかもしれない。
いかがでしたか?自分でも、随分と変わった行動をしてきたなあと思っています(苦笑)。一人で練習してて寂しくないのか?とよく聞かれるのですが、その答えがこれでした。
後編では、他チームの練習に乗り込んでいった話や、一人でいることのメリットを話していきます!お楽しみに!
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