わー!最高!地球がひっくり返っても!♯3

卒業式では泣けませんでした。別に冷めた奴だった訳ではないし、なんなら俺はどうぶつの森のどうぶつ達が優し過ぎて泣いた事があるくらい涙脆い。
それでも涙しなかったのはやっぱり、思い出して込み上げて来るほど真剣に打ち込んだ事がなかったからでしょう。

式が終わり体育館を出たところで行進していた列が徐々に崩れる。そこで初めて周りの皆が泣いているのを認識した。
野球部の部長のなんとか君も。
テニス部だった生徒会長も。
不良の命令で授業中ずっと机の上に立っていたN君も。
女子更衣室からヘアピンを盗むのが趣味のT君も。
ロボット部のロボットを意味なく破壊したり、気に食わない奴の靴を燃やしていたM君まで。
なんでお前が泣いてんだよって奴等まで泣いていた。お互いを見合って「何泣いてんだよ」「お前だって泣いてんだろうが」とか言ったりして。
そんな中、M君が一切泣いていないA君を見つけて「なんでテメェだけ泣いてねえんだよ!」と怒鳴った。
A君は学業、恋愛、遊び、全てに無気力で、入学当初友達に誘われて野球部に入り、そのまま好きじゃない野球を三年続けた妙な男だった。
A君が「だって、このクラスも別に好きじゃなかったし」と言うと激昂したM君に胸ぐらを掴まれて揉み合いになった。
ここにもう一人泣いてない奴がいるとまずい、巻き込まれたくない。俺は目元を擦りながら駆け足で中学校を去った。

走って走って、気付いたら俺はもう高校生で、怒り心頭の担任教師に追いかけられていた。前日の放課後、居残りで課題をさせられていた時にねむ過ぎて机の上で寝てしまい、それを三者面談に来ていた生徒の親御さんに目撃されて問題になったのだ。
俺は勿論普通科の高校に入れる様な成績も社会性も持ち合わせてなかったので、サポート校と呼ばれる学校に入学した。各中学から集められた自力では高校卒業できない問題児達を集めて、テスト中に答えを配布し書き写させ強引に卒業させる機関である。そこにはギャルかヤンキーか天才過ぎて人と合わせられない奴か、赤ん坊の頃からイヤイヤ期が終わってない俺みたいな奴が集まっていた。

俺は先生を撒いて、学校を出て、公園の或る一本の木に登る。
その高校の近辺には、先輩から代々受け継がれてきた極秘の喫煙スポットが3つあったのだが、自分達の代が配慮の足りない馬鹿過ぎて1年の時に3つ全てが学校にバレた。
よって高校2年生の俺は、木の上で葉っぱに紛れ、忍者の様に喫煙するしかなくなってしまっていたのだ。
すると学校に居る友達から「戻って来ないの?」とLINEが来る。少し悩んで、いや帰るわと返信。
このサボり癖のせいで俺はこんな激チョロ高校を半年留年して卒業する事になる。

地元に戻り、立川志の輔師匠の落語を聴きながら公園の鯉にパン屑をやる。
昼間に帰ったらサボった事が祖父母にバレてしまうから、ここでよく時間を潰した。ネット上の志の輔落語を聞き尽くしたら、稲川淳二の怪談やライムスター宇多丸の映画批評も聴いた。
この時間が俺の高校生活のほとんどだったかもしれない。正直学校の中での思い出があまりない。爽やかなのも甘酸っぱいのも全然ない。中学時代の自堕落さもよっぽどだったが、高校時代はそれ以上だ。

そろそろ家に帰ろうかと思っていると中学の頃の友達から「今日学校行ってる?」とLINEが来る。
行ってないと返すと「俺も。〇〇公園いるから来て」というふうになって、合流する。
#2で話したS君だ。S君は高校に上がるとスナックにハマり、無免許でバイクに乗り、車上荒らしのなっちゃんと付き合い、更に勢いが増していた。
そしてS君ともう一人、中学の同級生のD君も居た。万引きでこいつの右に出る奴はいない世紀の大泥棒で、棚の商品は勿論、当たり前みたいにコンビニのレジに入って煙草や揚げ鷄を取って来るイカれた奴だ。

俺が合流すると、二人は割り勘で買った一箱の煙草を半分ずつ分け合い、箱はどっちが貰っていくかで怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
もう一箱買うにも金がなく、万引きするにも、D君は当時付き合っていたバンドマンの彼女に「万引きは人が少ない午前しかしちゃいけないよ」という契りを結ばされていた。
後に彼はその彼女と別れ高校も退学し、盗品をネットで売り捌いて生きていく事になる。カロリミットがちっちぇーのに高く売れるから最高なんだよとヤニだらけの歯を見せて笑っていた彼の顔は今でも覚えている。
片一方S君は現在、就職などはせずパチンコの専業で生きているらしい。素行が悪く何店舗か出入り禁止になったという噂も聞いた。

少しして喧嘩が収まると、語るにも値しない幼稚な遊びが始まる。
値しない、というか、正直これ以上彼等の事を書いていいのか分からない。時効だったとしても幾分アウトな話だし、〝悪い事を面白がっている〟と思われるのも不本意だったりして、なんて言えばいいんだろう、確かにこういう地域にこういう子供達がいましたっていうドキュメンタリーだと思ってくれたら幸いだ。

遊び疲れたら一人で勝手に家路について、家族の夕飯を作り、食べたらすぐに自室に篭って本を読む。
この頃、特に面白いと思わない村上龍の限りなく透明に近いブルーを〝読み始めてしまったから〟という理由だけでのろのろと読み進めていた。
読書がしんどくなると好きなギャング映画のDVDを流しながらスマホをいじる。夜中になると爆笑問題カーボーイを聴きながら寝る。寝付けない日はたまに小説を書いてみたりするが、ほとんど完結しないまま投げ捨ててしまう。
創作を仕事にしたいけれど、何が一番好きで、何が一番向いていて、何が一番やりたいのか。よく解らないでいた。
そんな毎日の繰り返しで高校時代を消費し尽くし、卒業してから少しの間はただコンビニバイトをして暮らした。
冬になると高校時代好きだったとろサーモンさんがM-1グランプリ決勝に行くという話を聞いた。優勝してほしいけど和牛かスーパーマラドーナだろ〜と思っていたら、とろサーモンさんが優勝した。格好良くって、憧れた。
きっと何者でもなかったその冬に、TOKONA-Xを聴いていたらヒップホップに憧れただろう。劇団イキウメを見ていたら演劇に憧れていただろう。ふと何かの拍子に桐島を見返していたら映画を撮ろうと思ったかもしれない。神田松之丞がもう少し早くブレイクして講談の存在を知っていれば。あの時期読んでいたのが限りなく透明に近いブルーではなくコインロッカーベイビーズだったら。

お笑いが特別だった訳ではないと思う。
ただその瞬間激しく輝いて特別になった。
春になると俺は東京NSCに入学した。
それだけの話。これが俺の十代。

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