わー!最高!地球がひっくり返っても!#1

1998年。タイタニックがアカデミー賞を受賞した年、X JAPANの hideが亡くなった翌月、東京のある下町に一人の男の子が生まれた。

彼の母親は子育ての傍ら夫に内緒でマルチ商法に勤しんでいました。効くのかよく判らない健康食品を母曰く「ギリ捕まらない鼠講」で売り捌く毎日です。
その健康食品、「エコー」と呼ばれるカプセルや、「バイオ- 〇〇」「ジョイント〇〇」(全部書くとヤバそうなので伏せます)という錠剤を彼も日々飲まされて育ちます。
名前にバイオって入ってるもん普通子供に食わすかね。

そして彼の父親は区議会議員でしたが、もう一つの顔も持っていました。燃え盛る様な癇癪持ちで、近所では有名な危険人物だったのです。
この親父に母親の鼠講がバレた時が凄かった。母が隠していた健康食品が家の中から見つかると、マンションの4階に住んでいるというのにそれを全て外に投げてしまうのです。瓶に入ってるし、下に人居たら言うまでもなく傷害が殺人です。
そんな父親の癇癪は幼い頃に沢山目撃しました。母と口論になると健康食品以外でも、家具やら何やら持って、叫びながら窓まで突っ走り、空中へぶっ飛ばすのです。あの投げ癖はなんだったんだろう。
小学校低学年の頃、父の癇癪があった翌日に学校から家に帰っていたら、裏手の一軒家に住んでるおじさんが出て来て「これ昨日落ちて来たよ」と、バランスボール渡して来た事もありました。
どうにも恥ずかしくなって「うちのじゃないです!」って受け取らないで帰って来ちゃったんだけど。
あと一番意味不明だった癇癪は車の運転中に母と口論になり、ETCカードを引き抜いて真っ二つにぶち折ってた事です。
それ以降ずっと高速の料金所で、情けなさそうに現金払いしていました。それが唯一覚えてる親父の背中です。

2009年。村上春樹の1Q89が大ヒットして、草彅剛が全裸で「慎吾」と叫んだ年、両親が離婚した。
ある日目覚めると母親が家から消えていて、行方不明になったのです。
そして彼の母が神隠しにあったというトピックが小学校でもホットじゃなくなって来た頃に、母は突然帰って来て「この家出るよ!30分で用意しな!」と言いました。ドーラが来た、と思いました。
父が仕事に出ている土曜の昼間の事です。

その勢いのままに母親に引き取られた僕と兄二人は「これからは母が女手一つで育ててくれるんだ」と思っていたのですが、母親は彼氏をつくり、その彼氏の家に転がり込んだのです。え、子供だけじゃんこの家!アリなの!?って思いました。
余談ですがその時住んでた場所、是枝裕和監督が万引き家族の撮影地に選んだ町なんですよ。東京のある地域にはそんな家が本当に結構あるみたいで。
しかし母親も完全にほったらかしという訳ではありません。たまにインスタント食品を大量に買って来たり一万円置いて行ったりしてくれました。彼は家族が苦手な子供だったので居なけりゃ居ない程良いと思っていましたし、親の手料理よりインスタント食品の方が美味しかったのでとても幸福でした。
なにも親が憎くて嫌味を言ってる訳じゃありません。実際に母が作る料理は、ピーマンの種取ってない野菜炒め、舞茸の粉つけ過ぎて団子なった天ぷら、両面真っ黒焦げでカチカチのハンバーグ(ソースをかけるから焦げはバレないと思っている)、そんなものばかりでした。その三つが彼の〝お袋の味〟です。クソ人生がよ。 

そしてその頃、TOKYO MX で「バナナ炎(ファイヤー)」という番組が始まりました。この番組の開始が、彼の人生の始まりです。
たまたま寝付けなかった夜、テレビ越しにあの二人に出会い、一瞬で虜になりました。 

そいつは2年後中学校に入学して、とんでもない事ばかりして、5段階評価でオール1という壊滅的な通知表を貰う事になります。そのお話はまた次回。

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