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4月、春のお話。

皆さまこんにちわ。いつもお読み頂き感謝します。
今回は4月に入り、お花見の季節になりました。その桜のお話です。

 私は昔、ある里山管理をボランティアで行っていた事があり、山裾の間伐を行ったり、一から畑を開墾したり、そして地元の後継のいない老農家さんのお手伝いをして、様々なことを教えてもらった経験があります。

間伐をする為にチェーンソーの資格を取り、木を伐採した後、ゴミにしてしまうのが勿体無いので切り株ストーブや椅子として販売したり、切った木をまん丸くしてサッカーボールにしたりデカいドングリの形にして、アート作品も作ってみたりしました。 その木のボールをマジで蹴って骨折したやつ居ました(余談。

全く農地でもないところを農協や農家さんが「絶対に畑にならない」と言い切られた事が悔しくて、色々な人の知恵をいただき、間伐材のゴミを堆肥に変え、ただひたすら一年間はひたすら土を作り、2年目に大量の作物を収穫したことで地元の農家さんに認めてもらい、近隣の農家さんの畑の収穫のお手伝いをしました。畑は二毛作をすると作物がヒねてしまうので必ず次は違う作物を作らなくてはいけないのですが、老夫婦、老人が多い所だとその収穫すら出来ずに困っているのです。

例えば、さつまいも畑の場合、「芋掘り」と看板を出せば勝手にお客さんが来るものの、次のジャガイモでは売れない、誰も欲しがらない、、と言うことになるのです。お手伝いをすれば軽トラック一杯のジャガイモを持って帰らされ、トゲトゲに刺されながら柚子の収穫、スピード勝負の琵琶の収穫、様々な経験をさせてもらいました。

長い長い前置きはこのくらいにしないと日も暮れるので、本題に行きます!

 桜の花見のお話です。 桜の花見の起源をご存知でしょうか。
時は遥か昔に遡り、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と流れて行くのですが、その最初の奈良時代の初めは桜ではなくて梅見だったようです。 それが桜に変わり、お花見の起源になったものだと言われています。

皆さまは桜の花見をどこでされるのが好きですか。

私の場合はド田舎まで車で走り、山間の麓に田んぼが広がっていて、田んぼの区画が交わる少し広くなった『畦道の交差』のところに大抵、大きな桜が一本、光を浴びて、花びらがキラキラとしている、、それを探すのがとても好きで、そこで缶コーヒーを飲むだけでも満足出来るのです。

テレビなどで良く起源説を話しているのを聞いていると、あながち間違っていないのだけど、、
江戸時代に宝永の富士大噴火で飢饉と財政困難に陥った江戸幕府が庶民の為に花見を推奨した、、うーん、、ピンと来ません。
また、江戸幕府が河川灌漑事業で土手を固める為に花見客に土を踏み固めさせた、、まぁ、アリかな、、。 江戸時代に始まったものでは無いのでは、、と言うのが私の考えで、では、なぜ、ど田舎の田んぼの畦道の真ん中に生えているのか。

桜が咲くと農業の始まりの時期に当たるから。
それを祝って酒を飲んでいた。

、、と言うのが農家の人や農協の人に聞いたことで、調べてみると、やはり、農業の始まりでお花見、、と言う説が一番に来ます。
農家の爺さん婆さん、あんたたちの言うことを、わたしゃ信じています(笑

でも、この長い歴史や風習も、ましてや意味を知らない世代が、桜が咲くと、公園でブルーシートを広げ、桜の木の下でバーベキューで煙をモクモクと焚き、宴会をしているのを見ると半分ムカつき、半分悲しくなります。

里山管理をしているときに日本の桜の権威の佐野藤右衛門氏に行政を通じて桜の苗木をご寄付頂いたことがあり、来る日も来る日も苗木を植栽し、新芽が出ると野生の鹿に食われ、鹿との攻防戦などを思い出します。
この佐野藤右衛門氏は日本庭園の天才とも呼ばれていて、京都の瑠璃光院は氏の作です。 私はどこで知ったのか、思い出せなかったのですが、この庭園を見た時に即、氏の作品ですか?と聞いたところ、瑠璃光院の管理者さんに驚かれたことがあります。それほど独特の特徴があるのです。

桜を見てると酒もコーヒーもうまい!
柿の葉寿司をアテに辛口の酒、、あ〜〜〜たまらんばい!(笑
でも、花見に行くと必ず風邪をひいてしまうジジィでした。

今回は、そんな4月、春、桜のお話でした。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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