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「みんな並んで一等賞」はちょっと、なんていうか、おバカです。

こんにちは。中田です。
訳も分からないまま新学期を迎えそうですね。家庭だけではなく、学校も先が見えていませんので、ご安心ください(?)

新学期といえば運動会が春開催の学校もありますよね。
運動会について、ちょっと前に親のクレームで、「ビリになるのが可哀想だから、みんな手を繋いでゴール」というネタが一時期流行りました。
私は完全にネタだと思っていたのですが、調べたところどうやら一部の地域では本当に実施していたそうです( ゚Д゚)

このクレーム…大変残念です。

みんなで手繋ぎゴールは「勝ちのみに価値あり」の教育によるもの

なぜこのようなクレームが生まれるのかというと、
親世代が受けてきた教育に問題があるからと考えることができます。
部活動やクラブチームなど日本のコーチング界でよく見られる、
「勝利至上主義(=勝ちのみに価値あり)」の教育です。


勝利にこだわりすぎることの残念ポイント3選

①やる気のない人間を育てる
勝利にこだわりすぎると、コーチは次々に指示を出すようになります。
もちろん、コーチの助言は勝つために正しいことが多いです。
そして、正しいがために、実行できない選手はまず厳しく怒られます。

コーチの言うことを忠実にやらなければならない「やらされている感」
あなたは感じたことないですか?

②指示待ち人間を育てる

勝利至上主義のチームでは、コーチの言ったことを言われたとおりにやることが勝利への近道です。
ということは、自分で考えてスポーツをする必要がないわけで。
むしろ自分で考えてプレーした結果、コーチの思想に合わなかったりすると、かえって干されます。
じゃあ「自分で考えないほうがいいや。」となるのはごく自然なこと。

③他人の評価に依存する人間を育てる
コーチの目を気にしながら、プレーするようになるわけです。
「ミス怖い…」「今ので合ってる…?」
他人の目をかなり気にする子が育ちます。
実際、私はそういうチームをいくつも見てきました。

アドラー心理学的に言うと、他者の評価を気にして自分をよく見られたい人は自分にしか関心がない人です。
せっかく手間暇かけて指導している子達を、そんな人間に育てたくはありません。
(アドラー心理学については長くなるので割愛)

勝ちにこだわらなくてよい?否。

勝敗が分かりやすいことは、スポーツのもつ魅力の一つです。
多様性を認めようという風潮が広がっている現代社会では、日常的に勝ち負けが明確になりにくくなっています。
その点スポーツは分かりやすいですよね、点数を取っている方が勝ち。
非常に(非情に?)シンプルです。

勝敗が分かりやすいからこそ、本気でぶつかって勝ったら嬉しいし、負けたら悔しいです。
これって、スポーツの価値じゃないですか?


勝利と人間的成長は共存する

勝ち負けがはっきりしているからこそ、
ある意味多様性が認められていないからこそ、
勝ち負けを繰り返す中で、仲間や相手への共感が生まれたり、思いやり・リスペクトの心が育つ。

勝ちにも負けにも価値はあって、本来優劣をつけるべき

人間性を育てるには勝利が必要、勝利するには人間性が必要。

人間、頑張った結果が何らかの形で出ることで成長します。
目に見える結果を出すために勝利は必要です。
だから、指導者は勝利に貪欲でなければならないのは事実。

一方で、自分で考えたり、仲間を想って動いたりする力があるチームは、チームとして強い。人間性は勝利に必要なのも事実です。

もう、勝利も人間性もどちらも重要なので、どっちも目指します。
うちのスクールの方針はそんな感じです。


「手繋ぎゴール」の愚かさ、伝わりましたか?
以上、再見。

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