お茶1

続:「リーフ茶」解せない半端な言葉

 「急須が自宅にない二十代」の話が今話題の誰かのことではなく身近な問題と知らされた友人との食事会。知っているつもりだったお茶について改めて調べ、雑感を書いたのが昨日。
 緑茶消費量等々調べる中で、気になったというよりも違和感でしたなかった言葉が「リーフ茶」。日本的感覚と云ってしまうとそれまでだが、絶句。
 もっと急須でお茶を飲んでくださいと云う業界の方々が使う言葉なのか疑問でならない。この言葉が昨日からずっと気になって離れなかった。
 普段自宅での飲み物の95%は紅茶をいただく。ティーバッグではなく茶葉を使いポットで淹れる私だが、紅茶であっても、その言葉の流れの中で一部分だけをリーフティとは云わない。いや、云う必要がない。
 カタカナ表現をする時は、英語の意味に近い日本語が無い場合に、仕方なしという関係が好ましいと私個人は考えている。
 そもそも、緑茶の話だ。茶葉のこの言葉のどこに問題があるのだろう。
 申し訳ないが英語も第二外国語として機能していない英語後進国日本であるのに、こうしたカタカナで安直にイメージを作ることは役人役所をはじめとして情けないように多い。
 紅茶のお家元イギリスでは、紅茶は日本の緑茶同様生活必需品ではあるが、やはり、ポットで淹れる紅茶からティーバッグへと移行している。それはロンドンのスーパーマーケットの品揃えでも分かった。日常使いという意味で簡易性を択んだ流れだろう。
 日本の場合は、概して「緑茶をティーバッグ」でということには抵抗感があるような雰囲気がある。職場でも、様々なお茶(紅茶やハーブ)のティーバッグ、インスタントドリップコーヒー、ココアとあっても緑茶だけは急須が準備されている。
 日本の場合もイギリスのようにお茶そのものからは離れられないが、急須で淹れることには面倒さを感じる人たちが増えていることは現実。緑茶をティーバッグを使った妥協した形であっても飲用することは同時にペットボトルから離れる道筋にもなる、遅々として進まないプラスチック問題を考慮しても妥当ではないのか。
 お茶屋さんまで広告に「美味しいリーフ茶あります」など出ては、もう終わり。
 有機農法の茶葉を手に入れ、夏はそれをミル(*抹茶用ミルがある)で挽きマイボトルに入れ外出する。或いは、前夜から水出し緑茶を作っておく。
 ペットボトルがなくても十分機能している我家。便利は万能ではない。
 ペットボトルでいただくお茶と自分で択んだ茶葉を好きな味わいで淹れたお茶は云うまでもなく違う。朝の慌ただしいお茶、ランチ用マイボトル、夜の寛ぎにいただくお茶。どれも少しずつ中身(茶葉や茶器)を変えられる楽しさを持つ。まだ、手元に急須が無い方、あまり凝ったりしないで取り敢えず購入してみましょう、先ずはそこから。

 
 

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