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「奇蹟がくれた数式」

原題:The Man Who Knew Infinity
監督:マシュー・ブラウン
製作国:イギリス
製作年・上映時間:2015年 108min
キャスト:デブ・パテル、ジェレミー・アイアンズ、トビー・ジョーンズ

 この日観た二本の映画はどちらも「天才」を扱っていた。一本目は数字を扱う天才として「奇蹟がくれた数式」、もう一本は後で記す文字を扱う天才「ベストセラー」。予告の印象では数学に軍配が上がるのか、と想像していたが題材が良いのにあまりに表面的な描き方で残念。ジェレミー・アイアンズは「ある天文学者の恋文」での教授よりは遥かに現実味は帯びていたが、如何にもジェレミー・アイアンズ的で想像を越えない演技なのもマイナス。

 「Theory of Everything」、「Imitation Game」とイギリスの理系物を観ているがこの二作品と違い数学そのものはあまり描かれていない。凡人が天才の閃きの形跡や経過(数式)を見たところで理解は出来なくても「君にとって数学は何か」と問われ彼が「絵のような物です。」と答えるシーンがある。個人的にはその絵を解らないながらももっと見たかった。
 1914年、ケンブリッジ大学にインドから数学者ラマヌジャン(1887-1920)は招聘される。同じイギリス人から見てもそこは易々と行ける場ではないところへ身分諸々何もかも異にする彼が入っていく。招かれた立場であっても時代として十分に偏見が存在しており、彼の業績そのものを評価しようとはしないところから展開していく。只、こうした部分はある程度想像がつく為に、偏見に立ち向かいながら、或いは、故郷に残した家族の絡みなどの枝を払い、それ故に「どう取り組んでいったのか」が観たかった。

 監督としては数学者として同じく天才的な教授G・H・ハーディが数字は得意でも人の心は読めず苦戦しながら彼を助け導く姿を描きたかったのだろう。
 作中こころに残る台詞が幾つもある為に、もう少し深く描かなかったのかと感想を持ってしまう。
 ヒンズー教徒と無神論者の二人が数学を論じるにあたって「神の存在」を語り合わざるを得ない場面がある。「奇蹟」がくれた数学ではない。彼は何度も「神が導いた」と云う。或いは「神が祝福しない物(数式)に意味は無い」とも。モーツァルトの頭の中でシンフォニーが奏でられていくようなことかと想像する。

 それが稀少なダイヤモンドであっても原石のままでは光を反射できない。カットが施されてそこに光は輝くがそのカットもまた様々だ。
 ラマヌジャンの「神からの啓示」的な証明がない定理にG・H・ハーディ教授は論理が伴う証明の必要性を説き、導く。結果、彼はアインシュタインを越えたともいわれ、後世彼が発見した関数はブラックホールの研究やインターネット網研究にも繋がったそうだ。
 数学に疎くても楽しめる映画になっている。
★★☆


 

 


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