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OPPENHEIMER : 研究者ら責任の所在・映画レビューとは別に

 映画「オッペンハイマー」は被爆国上映ということも注目を浴びる要因になったようで単にアカデミー賞受賞作品に寄せるいつもの映画評論家とは違う顔が書籍やネット記事で多く見えた。
 映画作品とは若干離れたことを書き残したくて映画レビューとは別に雑感とした。

人類最初の核実験

 オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれることをどう考えていたのだろう。
 予想をはるかに超えた核開発実験時点でこれが使用される先に平和は見えなかった筈が、既に1942年に着手されたマンハッタン計画は動きを止めるどころか戦争が更に研究を加速させる。
 戦後冷戦時代にあった赤狩りの波にのまれ公職を剥奪されたオッペンハイマーはスパイ容疑を問われた1950年聴聞会で「どんな下品さでも、ユーモアでも、誇張でも消せない粗雑な言い方をすればある意味で、物理学者は罪を知りました。そして、それは失われることのない知識です」と発言。
 核開発に手を染めた事実は消えない、そして、その結果も知っている。だからこそ、その後の彼は水爆開発に彼は異を唱えた。
 原爆の父という冠を被らされたオッペンハイマーではない他の面を持つ彼に皆は興味を持っているかしら。
 もし、興味がないとしたなら(かなり飛躍した言葉に聞こえるかもしれないが)経緯を知らず結果のみをまるで指先で調べたつもりの世界で留めてしまうと、いつかどこかに原爆投下は繰り返されそうに見える。

 作品の中でもオッペンハイマーとアインシュタインが会話するシーンがある。何が話されているのかは最初は分からないまま会話内容は伏せられていた。そもそも、アインシュタインがマンハッタン計画に全く関わっていないように描かれているのは時間の尺の問題なのか、主題から離れる為なのか気になっていた。*正確にはアインシュタインは直接マンハッタン計画に関与していないが影響は与えた

映画「オッペンハイマー」

 1933年(アドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任した年)、レオ・シラード(ハンガリー系ドイツ人物理学者)は核連鎖反応を発見した。そして、彼は1939年までにドイツの科学者らが核兵器を開発していると確信するようになる。元々アインシュタインと共に研究していた彼はドイツのこの開発状況について憂うというより危機感を持ち、フランクリン・ルーズベルト米大統領に核開発状況を知らせてほしいとアインシュタインに頼む。
 大統領への書簡はアインシュタイン単独行動ではなかったが、この科学者からの警告に触れた手紙はマンハッタン計画前身のウラニウム諮問委員会へと発展する。

 ルーズベルト大統領に早急な原爆開発を進言しながらも、アインシュタイン自身は人種差別、資本主義、戦争を公然と批判していた為FBIからもマークされ急進的要注意人物としてマンハッタン計画に参加することはなかった。

 アインシュタインも、また、1905年に発表した特殊相対性理論、そして「E = mc2」という原子力と核兵器の土台となった公式を生涯後悔した科学者のひとり。
 1954年、彼は死の1年前に友人の化学者ライナス・ポーリングへの手紙に次のように伝えたそう「ドイツが爆弾を開発する恐れがあったため、正当性がなかったわけではない。とは言え、それでもなお自分のルーズベルトへの手紙は、わが人生において唯一の大きな誤りだった」。

 広島に原爆が投下後、テニアン島の幹部はワシントンDCに相談することなく(トルーマンだけでなくスティムソンにすら知らせなかった)、当初の命令書により次の作戦遂行の決定権も自分たちにあると判断(誤解)し、原子爆弾ファットマンを組み立てて別のB-29爆撃機ボックスカーへ積み込むと長崎に投下。
 驚くことは、アメリカにとっては長崎が最後の原爆投下地ではなかったらしい。
 長崎投下後、ニューメキシコ州ロスアラモスでは次の爆弾に使用される部品を完成させて、テニアン島へ運搬するための作業が急ピッチで進められていた。8月12日あるいは13日には最後の部品がロスアラモスを出発し、その1週間後には日本に投下できる見込みだった。

 トルーマンはこの報告を受けるなり準備作業を止めるよう命じた。ジョージ・マーシャルはレズリー・グローブスへ「大統領の明確な許可なしに日本へ原爆を投下してはならない」と書簡を送っている。これは長崎投下の際に大統領確認を取らなかったことから組織伝令を再確認させている。
 日本の終戦は8月15日、これが遅れていたなら三番目の原爆が東京に投下予定だったそうだ。

 オッペンハイマーが指揮し僅か3年で理論から原爆へと姿を現した形は、生み出された親や親元(研究所員)らから軽々と引き離され軌道修正する気が無い人らが敷いたレールを一気に走った。
 
 いつの時代も研究者は新たな発見をしていく。それ自体は、間違いでも、止めるべきことでもない。けれども、戦争というフィルターがかかった時は平時よりも更に抑止力は働かなくなりそれらが利用される機会もある。
 抑止力は政治家の仕事でも研究者がその手を止めることでもなく人ではないかと、人の集合体ではないかと考えてしまう。


「The physicists have known sin; and this is a knowledge which they cannot lose.
(物理学者は罪を知った。それは決して忘れることのない知識だ)と聴聞会で繰り返し述べたオッペンハイマー。

 
 


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