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山田哲人を思う気持ちを、どう表現するか

山田哲人がコロナ離脱したのは、7月9日だった。
有症状での離脱ということもあり、療養期間の10日を経た7月19日に練習復帰した。

7月12日から高津臣吾監督が復帰した7月20日まで、作戦コーチの松元ユウイチが指揮を執った8日間の勝敗は、雨天中止2回をはさみ5勝1敗。

一軍野手のほとんどを欠いた異常事態でも、ヤクルトファンは普段二軍で出場機会を狙っていた選手たちの躍動に期待していたが、前半に貯めた貯金を使う結果となってしまった。

山田が出場登録、即スタメン起用となった7月24日、連敗を止め勝利をもたらしたのは山田のダメ押しホームランだった。*1

「哲人が戻ってきたから、勝てた」。

なかなか勝ちに恵まれなかった閉塞感を打破するべく現れた救世主として、ヤクルトファンからそう崇められた。

しかしそこから、山田の調子は上がらなかった。療養期間を終えただけの体調は、コロナ前に戻っているわけではないのだろう。
無理もない。毎日の積み重ねでつくってきた野球選手特有の体も、たった10日間の療養で、その体が積み重ねた“歴史”を奪われたということだ。
ましてや、山田は無症状患者ではなかった。筋力、体力の面だけでなく、呼吸機能、平衡感覚、睡眠、全ての機能が停止してしまう。

不十分な状態でも戻ってきた理由。持っているポテンシャルを信じてのことか、それとも、チームの士気を上げるためか。
本来であれば、「きっちり治してから戻っておいで」と声をかけたい。
しかし、キャプテンとしてチームを率いる責任感が、十分な回復を待たずに復帰の道を選ばせたように思えた。

期待が大きい分、落胆の振り幅は大きくなる。
不調の山田に手のひらを返したファンは、ツイッターを掃き溜めにし、不平不満を罵詈雑言に変換していた。

私は直接、誹謗中傷のツイートを見ていない。しかし、山田哲人ファンの友人は、「見てられないくらいひどかった」と話した。
世の中には、いろんな人がいる。SNSの犠牲になり、命を失う人までいることが周知の事実とされてもなお、自分のその言葉がそれに該当するとは思わない人も、広い世の中いるのだろう。

私は「どんな誹謗中傷があっても、私は応燕するよ」という、謂わば“孫引き”ツイートで山田に対する誹謗中傷を知った程度だ。
いつものことだから、放っておけばいい。
そう思いながらタイムラインを眺めていると、話題になっているツイートは、あからさまな誹謗中傷だけではなかった。

例えば、「二軍に行って調整してくればいい」というツイート。
そこに、様々な意見がつき、広がり、私のようにぼーっとツイッター界隈にいる者にまでたどり着く。

怒りの反論は、二軍の捉え方の違いだ。
二軍は「落ちる場」と捉える人は、「山田哲人は試合に出続けて調子を上げていける」という怒りの持論を展開する。
しかし、二軍を「リハビリの場」と捉える人は、「山田哲人を休ませてやりたい」という一途な労りがある。

どちらも、自身が持つ山田哲人のあり方を考えた末のコメントだ。

「哲人が無事ならそれでいい」というツイートに、「チームの勝ち負けはどうでもいいらしい」と揶揄する返信がついたツイートも目にした。
発信者は、そんなことは一言も言っていない。行間を勝手に読み、ヤクルトファン失格の烙印を押している。
そんな人が、世の中が広い以上現れるものなのだ。

皆が不調の山田哲人を『様々な視点』から『自分の言葉』で述べていた。
様々な角度から、様々な人生観の中で山田哲人を語り、その語りを様々な角度から、様々な人生観の中で受け取れば、それがまったく異なる意見のように映る。
だがよく読めば、山田哲人の不調と復調について、皆が同じことを言っていた。

山田哲人がそれだけ核となる人物であることは間違いない

私?    私は、「山田哲人の笑顔が見たい」。

どう受け取られるのかしら。

*1

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