藤井亮太が笑っていた

藤井亮太が笑っている。

いい時代になった。昔はこんな風に、退団した選手を追うことができなかった。
一個人が、SNSを通じて世界につぶやきを聞いてもらえる時代だ。野球選手も個人でアカウントを持ち、オフの合間に情報発信というファンサービスをしてくれている。
球団もネットのコンテンツが充実してきた。コロナ禍におけるおうち時間の影響もあるだろう。自宅にこもりながら、手元のスマホで入手できる情報は、キャンプを見学できない、球場に足を運べない、そんな今だからこそ、野球ファンの大切な情報源だ。

この藤井の記事に出会ったのも、藤井の所属球団「シティライト岡山 硬式野球部」の公式ツイッターで発信されたからだ。

藤井は、2013年ドラフト6位でヤクルトに入団した。
藤井は足が速い。2017年、3塁からのバントチャージで、1塁寄りのバッテリー間に上がった小フライをキャッチするというファインプレーで、藤井「忍者」亮太が誕生した。その足を生かすため、捕手から内野手に登録変更もした。

2017年は、96敗という歴史的大敗を喫した年だ。けが人が続出し、若手が二軍から召集され、「美女木スワローズ」と揶揄された。
そんな藤井の足を生かした攻守は、つい2年前、優勝したことが嘘のように暗く沈んだ神宮を明るく照らしてくれた。

当時の二軍監督は、高津臣吾。戸田で藤井を育て、神宮に送り出した人だった。
その高津監督から、「力になれなくてごめんな」とメールをもらい、NPBでの現役続行に諦めがついたという、藤井。
どんな気持ちで、このメールを送ったのだろう。高津監督の気持ちを考えるだけで、胸が押しつぶされそうになった。

7年間のプロ野球生活だった。

「まだ体は動く」と、戻ることが決まった古巣のシティライト岡山には、もう一人、ヤクルトにいた児山祐斗も在籍している。児山は、藤井のドラフト同期だ。久々の再会に、運命を感じていた。

袖すり合うも他生の燕(縁)。
私は、ヤクルトのユニフォームに袖を通した選手を、生涯応燕したい。
だからまた、元気な笑顔の藤井亮太を発信してほしい。

いや、私も会いに行けばいい。都市対抗野球!東京ドームで、待ってるぞ。

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