非難と批判

(補足)デジタル大辞泉(小学館)より転載

ひ‐なん【非難/批難】 の解説
[名](スル)人の欠点や過失などを取り上げて責めること。「不実な態度を―する」

ひ‐はん【批判】 [名](スル)
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

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「非難は駄目だけど、批判はいいのよ」

私が新入社員のころ、上司からよく言われた言葉だ。

改めて言葉の意味を調べてみると、その上司の言うことには、「人の欠点を取り立て責めることはダメだけど、正すために述べることはいい」ということになる。

なぜ当時の上司は、良いも悪いも、非難どころか批判できるような経験もなければ度胸もない新人に、こんなことを言い続けたのだろうか。
今なら分かる。味方を増やすために、新人を丸めこんでいたことを。

彼女の「批判」は「非難」として捉えられていた。右も左も分からない新人にも分かるくらい、仕事の遣り口は強引だった。

人には、気持ちというものがある。それを抜きに、自身の主張を「正しいこと」として述べたところで、他人がどう受け止めるかなど分からない。
順序立てて論破したところで、感情が追いつかなければ人は行動しない。

だから彼女に、人はつかなかった。

◇◆◇◆◇

今日、SNS上のヤクルトファンコミュニティでは、批判があふれた。

「何であいつを使わず、こいつを出すんだ」

これは、スタメンに名を連ねた「こいつ」と、この采配を決めた高津監督、二人への批判ということになる。

そう、これは「非難」ではなく、「批判」だそうだ。だから、良いらしい。私のかつての上司と同じ主張だ。
「この批判は、批判である以上正論だ」という自信に満ちているからこそ、世界中に発進しているのだろう。スマホ画面の向こうで、胸を張っている姿が目に浮かぶ。

人の気持ちに戸は立てられない。何を考えようと、自由だ。
ただ、苦しい中、采配を奮う高津臣吾と、グラウンドで汗水流す野球選手に対する敬意を全く感じないその批判は、本当に「批判」なのか。「非難」とは違うと、説明できるのか。

プロの決断を尊重しないその姿勢は、正直、私には滑稽にしか映らない。
「お前がやれ」。放っておけばいいと思いながらも、目に入る言葉という刃が、選手たちに届きませんようにと、祈るしかなかった。

その「はずせ」と「批判」された選手は今日、先制となるタイムリーヒットを打った。
スタメンからはずしていたら、「批判」という名の正すべき道が間違っていたことになる。しかし、その発言に責任を持つ者はいない。

そして最後にはこう言う。

「人間なんだから、イラッとくることもあるよ」

前日負けて、イラッときたからつい書き込んだとでも言うのか?正しい道を論じたのではないのか?もっと堂々としたらどうだ!

イラッとして、つい「使えねぇ」とつぶやいて、結果が出たら手のひら返しと弁明。
こんな「非難」に気づかぬふりをする強靱な心も求められる、野球選手が不憫でならない。
野球に専念させることもせず、イラッとした自分を落ち着かせるために、非難を批判に勝手に変換し、臆することなく世界中に発信させるファン(という名の野球を見る人)がいるこの状況が、もどかしい。

信用できない。がっかりだ。あまり、人間不振に陥らせないでほしい。

◇◆◇◆◇

明日は、神宮3連戦の初戦だったが、東京都における新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の延長に伴い、試合が延期となった。

2連敗で、何となく暗い雰囲気を変えて、体もリフレッシュして、次、頑張ろう。「ともに闘おう」が、ヤクルトファンとの合い言葉。

R3.5.2 sun.
DB 8-7 S
横浜スタジアム

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