見ている人は見ている 大村孟のこれまで、そしてこれから

『大村孟』というプロ野球選手を、見たことがあるだろうか。

大村孟(おおむらはじめ)のプロ野球キャリアは、2016年から始まった。
2年間在籍した九州三菱自動車硬式野球部から、独立リーグのルートインBCリーグ・石川ミリオンスターズに入団した。
社業と並行して行っていた社会人野球から、独立リーグのトライアウトを経て移籍した理由は、「野球に専念したい」という思いからだった。

独立リーグの環境は、厳しい。
給料があるのはシーズン中のみ。オフシーズンは無給のため、アルバイトや派遣社員として生活しなければならない。
体のケアや野球道具のメンテナンスなど、プロ野球選手としての水準に達するためにお金をかけたくても、この経済状況で行わなければならない。
本拠地となる球場は専用球場ではなく、練習場所の確保も難しい。

大村の思い描く「野球に専念できる環境」とは言い難い。それでも、会社員からプロ野球選手であることを選んだ大村は、その年の育成ドラフト1位で東京ヤクルトスワローズから指名を受けた。

契約は支度金300万円、年俸280万円(いずれも推定)。念願のNPBプロ野球選手となっても、育成選手の給料は独立リーグ時代と変わらない。
しかし、練習環境や野球道具のスポンサードなど待遇はかなり向上する。年俸制で無給期間もなく、入団後最低2年間は球団の寮にも入寮できる。

大村は福岡教育大学時代、プロ志望届を提出していた。ドラフト指名には至らず、それから3年。社会人野球2年、独立リーグ1年の時を経て、「野球に専念できる環境」に身を置き、最高峰の野球技術を学ぶ機会を得た。

夢が叶った瞬間だった。ただ、夢はまだ半ばだった。

支配下登録に向け1年。野球に専念した大村は、2018年オープン戦での活躍が認められ、3月20日に支配下登録を獲得した。
同期の中でただひとり3桁だった背番号「120」は「59」へ変わり、スワローズレディースDAYの恒例行事、イケメン総選挙では9位に入る健闘を見せた。

◇◆◇

2019年3月20日。支配下登録からちょうど1年後の、イースタンリーグ対北海道日本ハム戦。
ファイターズファン歴2年目だった私は、ファイターズの文化と選手を覚えるため、GAORAのファーム中継を録画していた。

鎌ヶ谷スタジアムのファーム戦は、衛星放送GAORAで放送される。
当時、ヤクルトのファーム本拠地・戸田球場の中継はなく、GAORAの鎌スタ中継は、実況解説付きでファーム戦を楽しめる数少ない貴重な機会だった。
この日の録画も、仕事から帰宅しチェックする。

4対3で迎えた8回表。ノーアウト一塁の場面で大村の2ランホームランで逆転。この終盤の追加点を守り、ヤクルトはそのまま4対5で勝利した。

そのホームランの解説に、私は驚愕し、興奮する。

大村選手、1年目から見ていてバッティング、非常にいいセンスしてるなと思ってですね。当時育成だったですけどね、独立リーグから入って。近藤選手みたいな、そういったセンスを感じますね。

近藤選手とは、北海道日本ハムファイターズ外野手・近藤健介のことだ。
近藤は、その類い希なるバッティングで「打率4割に最も近い男」という代名詞が付いていた。横浜高校から2011年ドラフト4位で捕手として入団したが、この年から正式に外野手登録へ変更され、よりバッティングに専念できる環境が整っていた。

近藤選手!?近藤健介のこと?あの「4割男」近藤健介と同じバッティングセンスをしていると!?

当日の解説は、北海道日本ハムファイターズ元二軍監督・田中幸雄。
私は、野球のことが分からない。自分で野球をしたこともない。だから、大村孟と近藤健介にそんな共通点があるなんて当然気づかない。
ファイターズのレジェンドがそう評するのなら、それは真実だ。

すごい人が、ヤクルトに入ったんだなぁ。

そんな大村は、2019年7月2日、対広島東洋カープ戦で初ホームランを放つ。9回表、終盤のダメ押し点で、1対3でヤクルトが勝利した。
田中幸雄のお褒めの言葉が頭に浮かぶ。

近藤選手のようなバッティングセンス。

この強みを生かせるときが、とうとう来たのだ。

◇◆◇

現役を引退し、そのまま球団に残り、二軍コーチから指導者として歩み出していた真中満は過去、そのキャリアに迷い、悩んだ時期があった。
そんな真中の元に正月、一通の年賀状が届く。
差出人は、恩師・野村克也。そこには一言、こうしたためられていた。

「見ている人は、見ているよ」

その言葉を見て、真中は迷いを吹っ切り、頑張ることができたという。

田中幸雄が、元二軍監督として指導してきた自軍・ファイターズの選手でもない、イースタンリーグの対戦チームの、育成から支配下登録されたばかりの、ファーム暮らしの選手を褒めたとき、私はこの話を思い出していた。

見ている人は、見ている。それは本当だった。そのことが、たまらなくうれしかった。

孟(もう)さん。あなたのしてきたことを、見ている人は見ているよ。
進学高、国立大学卒という異色の経歴。文武両道を地でいき、それでも進路は野球選手だった。社会人、独立リーグと野球を続けてきた。そしてNPB入り。育成選手からのスタート。
支配下登録、一軍デビュー、初アーチ。1年1年、着実にキャリアを積んできた。

捕手登録でありながら、ファーストにいることが多かった。ときには外野も守っていた。キャッチャーらしく、いつもマウンドに声をかけていた。
ベンチでも大きな声を出していた。いじられキャラが定着して、試合前の円陣でもよく声出し担当を任命されていた。ベンチはいつも、笑顔であふれていた。

今シーズンの、優勝の風景にはいなかった。それでも、秋季キャンプのメンバーに選ばれ、もうさんの頑張りを応燕できるはずだった。

私は今、胸が押しつぶされそうになりながら、こう祈っている。

見ている人は、見ているよ。大村孟のこれまでを、そしてこれからを。

私もその、見ている人でありたい。これからもずっと。

大村孟 おおむらはじめ
福岡県出身
捕手 右投左打
平成3(1991)年12月21日生まれ(29歳)
169cm/78kg
福岡県立東筑高-福岡教育大学-九州三菱自動車(2014~2015)-石川ミリオンスターズ (2016)-東京ヤクルトスワローズ(2017~2021)

大村孟の野球人生に、幸多からんことを。

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