「狐と祭りと遊び上手と。」第五話
青空に白く大きな雲が浮かんでいる。
きつね町にも夏がやってきた。最近はところてん売りや風鈴売りが町を練り歩いており、あちこちで風鈴が見られるようになった。市でも、風に揺れる風鈴の音色が夏の静けさに涼しげな響きをもたらしている。
今日はそんなきつね町の川開きの日だ。小珠は、市に通い始めて仲良くなったからかさ小僧と河童、二口女たちと川で遊ぶ約束をしている。護衛の野狐たちも付いてきてくれるそうだ。
「最近少し暑くなってきたわね」
小珠の隣を歩く二口女が空を見上げながら言う。その額は少し汗ばんでいた。
「そうですね。昨日はお夕食に初鰹が出ました」
「……初鰹? 前から思っていたけれど、小珠の家ってお金持ちなの?」
二口女が怪訝そうな顔で小珠を見つめてくる。
(この反応ってことは……)
昨日辛子を付けて食べた鰹とやらは、きつね町では高級魚だったのかもしれない。慌てて頭の中で言い訳を探す。しかし、幸いにも二口女はこれだけで小珠を狐の一族だとは結び付けなかったようで、いつもの調子で話している。
「北の方ではかなり流行ってると聞いたわ。〝初物を食べると百日長生きする〟なんて言われているんでしょう?」
「え、ええ、はい……」
「よく分かんないわあ。たった百日伸びるだけなのに何が良いのかしら」
寿命は妖怪の種によって様々らしいが、二口女は比較的長生きな妖怪だと聞く。そんな二口女にとって、百日はかなり短い方なのだろう。
市の近くにある川の水面には子供たちが作った小さな色とりどりの舟の玩具が浮かんでいる。その周りに、きゃっきゃと水遊びに興じる妖怪の子供たちが見られた。
「うはぁ~っ涼しいねえ!」
その近くで、からかさ小僧が足だけ川に浸かってばしゃばしゃと遊んでいる。河童と一緒に先に川に到着していたらしい。河童は慣れたもので、すいすいと水の中を泳いでいた。
二口女はあまり水が好きではないようで、傘を差して川辺でその様子を眺めると言った。小珠も泳げないので、二口女の隣に立っていることにした。
二口女は一人であの茶店を回しているため滅多に遊びに付いてくることはない。しかし、今日は瑞狐祭りの前準備で客がいないらしく、少しだけ付き合うと言ってくれた。珍しいことだ。
「河童はやっぱり川で泳ぐとなると凄いわね」
「見てくれてるかい? 二口女さん」
二口女に褒められた途端河童の泳ぎが速くなった。相変わらずの女好きである。
二口女は少し呆れたように笑いながら、川にいる河童に軽く手を振った。
「……ところで、そいつらは泳がないの?」
二口女が小珠の隣に立っている野狐たちをちらりと見る。野狐たちは天狗の姿に変化しており、狐の一族であることは他の妖怪から見て分からないようになっている。
「泳ぐ?」
野狐たちに聞いてみると、片方の野狐が懐から和紙を取り出して広げた。
〝お れ 泳 げ な い〟――と、歪な文字で書いてある。
「そっか。私も泳げないんだ。ここで一緒に見てようか」
以前から、何故空狐と野狐が意思疎通ができるのか不思議だった。空狐は妖力を使って会話していると言っていたが、小珠はまだそんな器用なことができないので、最近は銀狐から和紙と筆を借りて野狐と一緒に文字を書く練習をしている。書き方は気狐たちが教えてくれた。
幼い頃、村にあった小さな寺子屋は〝狐の子〟である小珠を受け付けてくれなかった。そのため小珠は文字を書く練習をしたことがない。
「一緒に頑張ろうね!」と言って毎朝早起きして少しずつ野狐たちと字の練習をしているうちに、元々何となく読むことしかできなかったものを、だんだん書けるようになってきた。今はこうして和紙に字を書いてやり取りすることができるところまできた。そんなこともあり、あの屋敷で小珠にとって友達と言える存在に近いのは野狐たちだ。
「喋らない天狗も珍しいわね。茶店に来る天狗は皆お喋りなのに」
「う、生まれが違うんじゃないでしょうか? それより、瑞狐祭りもいよいよ数日後ですね!」
二口女が不審がるので、小珠は慌てて話を逸らした。
すると、二口女の表情が曇る。
「……そうね。今年は結局雨降らしも瑠狐花を散らすこともできそうにないわ」
二口女が少し寂しそうに笑うので、ちくりと胸が痛む。春からずっと努力しているが、瑠狐花は一向に咲かない。力不足を痛感する日々だ。
「やっぱり、祭りの目玉はあった方がいいですよね……」
「ええ。雨降小僧は結局寝たきりのようだし、もう無理でしょうけど。……小珠、笑っちゃう話をしてもいいかしら? わたし、もし今年の瑞狐祭りが成功したら、町を出た恋人が戻ってきてくれるかもしれないなんて思っていたの。この町がまだ繁栄していること、この町の美しさが伝われば――またここへ来て、わたしを迎えに来てくれるかもしれない、って」
言いながら、二口女の頬に一筋の涙が伝う。
「……なんて。夢物語ね」
二口女は、きつね町を嫌って出ていった恋人のことをずっとこの場所で待ち続けている。二人で運営していた茶店をずっと捨てられずに。
――笑ってほしい。二口女には、こんな顔をしないでほしかった。
きゅっと拳を握り締める。あと数日で、せめて花だけでも咲かせたいと思った。
◆
からかさ小僧や河童たちと別れてから、小珠は野狐たちと走って屋敷へ帰宅した。夕食を食べたらすぐにまた妖力を扱う練習をしようと思ったのだ。
キヨや野狐と共に夕食の準備をしていると、キヨがふと炊事場の小さな窓から廊下の方を覗いて小声で言った。
「向こうに、へたり込んでいる脆弱な男がいないかい?」
脆弱な男? と不思議に思いキヨが覗き込んでいる窓を見ると、向こうの廊下に倒れている金狐が見えた。
何かあったのかと慌てて炊事場から出て金狐に駆け寄る。
「金狐さん? 何をしてるんですか」
「あ゛ー……小珠はんですか? 気にせんといてください」
「そう言われましても……」
廊下に倒れている人を放っておくわけにはいかない。
「床が冷たいんでくっついとるんです。暑いからか、昼から体しんどぉて……」
妖怪も暑さには弱いらしい。この町も、ここ数日で急激に気温が上がっている。市にいる妖怪たちの中でも体調を崩して帰っていった者がちらほらいた。
そこで小珠はふと思いつき、炊事場まで小走りで戻る。昨日収穫したトマトとナスを取り出し、ナスを軽く炒めてから、トマトと混ぜて味付けをする。小さな器にそれらを入れ、とたとたとまた金狐の元に戻った。
「金狐さん。もし良かったら、食べてください」
金狐が疑わしげに眉を寄せる。何を用意したのかと不審がっている様子だ。
「夏野菜は栄養価が高いですし、水分も豊富です。夏は体調を崩しやすいんです。野菜食べて元気になりましょう! 座れますか?」
そう励ます小珠をじっと見つめた金狐は、しばらくしてむくりと起き上がる。そして、無言で小珠の持つ器を小珠から取り上げ、もぐもぐと食べ始める。小珠が「お水も持ってきますね」と炊事場に戻っている間に、金狐は小珠の切った野菜を全て食べ終えていた。
「大丈夫ですか? 夜にかけて涼しくなってくると思いますから、もう少しの辛抱ですよ。野狐たちに伝えてお医者さんを呼んでもらいましょうか」
体温の上昇があるか確認しようと金狐の額に触れた時、金狐が目を見開いて小珠の手を払った。何故か耳まで真っ赤になっている。やはり高温による病気なのでは……と心配して近付くが、金狐は後退った。
「な、何しはるんですか。女性なんですから男の俺に安易に触れんといてください」
「は、はあ……」
(もしかして金狐さん、女性が苦手……?)
意外な一面を見てしまったような気がして、慌てて手を引っ込める。
そういえば、べたべたと肩に手を回してきたり悪戯に突然体当たりしてきたりする銀狐とは違い、金狐はこれまで頑なに小珠と一定の距離を保ってきた。突然屋敷にやってきた異物である小珠に心を開いていないためかと思っていたが、もしかすると、そもそも女性と関わるのが苦手なのかもしれない。
「すみません、出過ぎた真似を……私、そろそろ炊事場に戻りますね」
「……いえ」
立ち上がって金狐から離れようとする小珠に、金狐が問いかけてくる。
「そういえば、銀狐から聞いたんですけど、まだ瑠狐花を咲かせようとしとるいうんはほんまですか?」
「え? はい……ずっと頑張ってはいるのですけど……」
結果が出ていない現状を恥ずかしく思い、少し俯く。
「……そうですか」
金狐は自分から聞いておいて興味なさげな相槌を打った後、立ち上がってどこかへ行ってしまった。動いて大丈夫なのかと少し心配だが、その足取りは見る限り確かだった。
◆
その次の日も、次の次の日も、次の次の次の夜も、小珠は何度も瑠狐花を咲かせようとした。
結局――――瑞狐祭り当日になっても、瑠狐花は、咲かなかった。
瑞狐祭り、当日。
小珠はキヨや野狐たちと共にきつね町南の中心部へ向かった。頼み込むと、一日であればキヨを屋敷から連れ出してもいいと医者から許可が出たのだ。毎年キヨと行っていた瑞狐祭りである。絶対に一緒に行きたいと楽しみにしていた。
――しかし、瑠狐花を咲かせられなかったことで、小珠の心にはまだもやもやとしたものが残っている。
祭りの看板や装飾品があちこちを飾り、町全体がまるで別世界のような美しさを放っていた。
夕日に照らされながら、妖怪たちが華やかな衣装を身に纏って外へ出てくる。貧しい南の妖怪たちも、ここぞという時に着る色鮮やかな一着を着ているようだ。女好きの河童が下心丸出しの目をして女性たちを物色しているところを見かけた。邪魔しては悪いと思い、気付かれないように二口女の茶店の前を通り過ぎる。
「貴女、こんな日なのに着飾ってないのね」
その時、今日はいつもとは違う紅を塗っている二口女が店から出てきた。
小珠は市へ行く時の質素な衣服でここまで来た。野狐たちが用意してくれた着物は豪華すぎたからだ。万が一汚してしまったらと考えると逆に祭りに集中できないと言って断った。
「あら?……そちらのご老人、まるで人間のような匂いがするわね」
二口女がすんすんと匂いを嗅ぎながらキヨに近付く。
小珠は慌て、庇うようにしてキヨの前に立った。キヨには妖怪の匂いがする袋を持たせているのだが、それでも匂いに敏感な二口女は感じ取ってしまったらしい。
「がっはっは! 人間に間違えられてしまうとは、わしも衰えたもんだねえ」
すると、キヨが辺りに響き渡るほどの大きな声で笑った。二口女はその迫力に動揺したようで一歩後退る。
「その笑い方は妖怪だわ……。ごめんなさい、馬鹿にしたわけじゃないの。わたしの勘違いだったみたい」
怯えた様子でキヨから少し距離を取った二口女。そして、気を取り直すようにごほんと咳払いをした。
「後半は舞台で芸があるわ。今年は気合いが入っているそうよ。興味があればぜひ行くといいわ」
二口女は妖艶に笑い、まだ店仕舞いがあるらしく茶店へと戻っていく。二口女には長年引きこもりだったと伝えているので、丁寧にこの町のことを教えてもらえる。
その背中をじっと見つめていると、天狗の姿をした野狐が和紙を取り出して文字を書いて見せてきた。
〝元気 だして〟
〝おれ 小珠ががんばってたの しってる〟
「……うん。ありがとう」
そうだ、落ち込んでいてどうする。折角キヨと祭りに行けるようになったのに、楽しまなくてどうするのだ。これ以上の幸せはないはずだ。それに、来年であればまた瑠狐花を咲かせられるかもしれない。
気を取り直して背筋を伸ばした小珠は、「おばあちゃん、楽しもうね!」と笑顔で言った。キヨも小珠のその様子を見て微笑み返してくれる。
「そういえば、今日は朝から空狐さんや銀狐さんがいなかったね」
朝食の時間は毎度屋敷にいる妖狐たちが全員が集まるのだが、今日は極端に数が少なかった。金狐はおらず、気狐たちもいつもより数が少なく、野狐も心なしか減っていたように思う。
「忙しいのかな……」
「なあに。小珠の頑張りが奴らの心を動かしたんじゃろう」
隣のキヨが意味深なことを言うので、「どういう意味?」と聞き返すが、キヨはふっふっふっと怪しげな笑い方をするだけだった。
暗くなるにつれて町の提灯が灯っていく。屋台の周りには家族連れの妖怪たちが集まり、皆楽しい夜を過ごしていた。
小珠はキヨや野狐たちを連れて、二口女が言っていた舞台の方へと向かった。きつね町の南に住む妖怪たちがほぼ全員集まっているらしく、物凄く混んでいる。人混みの熱気を感じながら、キヨの手を引いて歩いた。
「おばあちゃん、はぐれないでね」
途中妖怪にぶつかって転けそうになると、野狐が小珠を支えるように手を引いてくれた。
華やかな布で飾られた舞台上で、妖怪の踊り子たちが優雅な舞を披露している。夜風になびく衣装が月明かりの下で煌めいていた。
笛や太鼓、琴などの楽器によって音楽も奏でられている。舞台近くにいる妖怪たちの目は舞台の上の踊り子たちに釘付けになっている。
(きつね町ってやっぱり、素敵なところだな……)
きらきらとしたその光景を見て改めて思った。人口減少が著しかったあの村とは違う活気を感じる。瑞狐祭りの規模もあの村とは比べ物にならない。まるで別世界を見ているような気持ちになった。
その時。
――――ぽつり、ぽつりと。小雨が降り始めた。
ざわっと妖怪たちが騒ぎ始める。
小珠も驚いて上を見上げた。空は晴れていて星さえ見える。雨など降るはずがない。
小珠がぽかんとしていると、周りからこんな声が聞こえてきた。
「あそこにいるのって妖狐じゃない……!?」
「嘘、どうして……こんな所に妖狐の一族が……こんな所に来るような方々じゃないのに……」
「あれは、雨降らしの舞よ!」
それを聞いてばっと舞台の方を見ると、華やかな舞台の隅に、狐の面を被った空狐や銀狐、金狐たちがいた。彼らは美しい扇子を持って舞っていた。
(〝雨降らしの舞〟……この小雨を降らせてる……?)
雨粒が顔に当たり、肌を伝っていく。
空狐たちが瑞狐祭りに協力しようとしている。市の妖怪たちを身分違いだと罵っていた彼らが、この瑞狐祭りを盛り上げようとしてくれている。おそらく、小珠が成功させたいと言ったからだ。
こんな素敵な町に連れてきてもらえて、住む場所を与えてもらえて、キヨとこうして祭りに行くこともできるようになった。さらに、瑞狐祭りへの協力までしてくれるとは。
自分は狐の一族に与えられてもらってばかりだと感じた。
(私にも何かできることは……)
瞬間、思い出した。初めて花を咲かせる練習をした時、銀狐に言われたことを。
―――……『今日中には無理やと思っとったけど、大したもんやん。その調子やったら、妖狐が得意とする〝化かす〟こともすぐできるようになるんちゃう?』
……化かす。化かせばいい。
「……瑠狐花……」
ここにいる妖怪たち全員を、化かせばいいのだ。
「――――瑠狐花が、降ってきました!」
自分の意識を騙すように全力でそう叫び、内にある妖力を放出させる。
雨粒の一つ一つが瑠狐花となることを想像して、全身に力を入れる。
ゆらゆらと、小珠の中にある炎のようなものが増大し、勢いを増していく。
小珠が目を開ける頃には、周囲から歓声が上がっていた。
――――雨を花びらに変える幻影。実際には変わっていないのだが、妖怪たちの目には、この雨粒が瑠狐花の花びらに見えている。
「瑠狐花だ!」
「これぞ瑞狐祭りだね!」
「うおおお! きつね町は繁栄してるぞ!」
色とりどりの花びらが舞う。風に揺られ、吹かれ、ひらひらと。
幻術は小珠自身にもかかっているらしい。小珠は瑠狐花が目の前に広がるその光景に見惚れてしまった。
提灯の光、舞台の光、舞っている妖狐たちの光、それに照らされている数々の妖怪たち――それは、小珠が人生で見た中で最も美しい景色だった。
しばらくして妖力を使い切った小珠はぜえはあと息を荒くしながら汗を拭く。妖力を使って、こんなに大規模なことをしたのは初めてだった。
視界がぐらぐらして倒れそうになるところをキヨと野狐二体が支えてくれる。横を見ると、キヨが「頑張ったなあ」と笑ってくれていた。
「綺麗な景色だ。あの村の瑞狐祭りも良かったけれど、こっちも素敵かもしれないねえ」
誰の笑顔よりも見たかった笑顔だ。じわりと涙が出そうになる。
やはりこの町を、キヨと今後暮らしていくきつね町をより良くしていきたい――そう思った。
*―――**―――**―――*
かつてないほどの熱気の中で、瑞狐祭りは終息した。
空狐たちが帰ろうとしていると、近くに居た踊り子たちが寄ってきて、怯えながらも小さな声で「ありがとうございました」と頭を下げてきた。町民に礼を言われるのは初めてのことで、空狐たちが酷く驚いたのは言うまでもない。
野狐たちからの報告で、小珠は妖力を使い果たして気を失ったと聞いている。丁重に屋敷まで運ぶよう伝達し、金狐、銀狐と共に牛車へ乗り込んだ。
「はぁ~暑いししんどいし、餓鬼の我が儘に付き合うなんて二度とごめんやわ」
「今回は僕の我が儘です。小珠様を悪く言わないでください」
小珠は全て自分の力で何とかしようとしていた。一度も空狐に助けを求めようとはしなかった。それでも役に立ちたいと思ったのは、空狐の方だ。
隣の銀狐を注意すると、銀狐は何やら面白そうににやにやと笑いながら肩に腕を回してくる。
「随分入れ込んでるやん、小珠はんに」
「一族の繁栄には彼女の力が必要であるというだけです」
素っ気なく答えると、反対隣にいる金狐もこの話題に乗ってきた。
「なら、何も〝天狐はんとの結婚〟なんて大嘘つかんで良かったんとちゃいます?」
「そうそう。ほんまは次期当主の空狐はんとの結婚やのに、小珠はんな~んも知らんねんで? 騙すん心苦しいわぁ」
金狐の発言に便乗し、大袈裟に腕を動かして文句を言ってくる銀狐を軽く睨む。
「当たり前でしょう。〝あの〟玉藻前様の生まれ変わりですよ。一体どんな邪智暴虐な女性かと警戒しますよ」
「様子見したところで結婚はもう確定なんやろ。空狐はんは玉藻前様とまぐわって妖力の強い子を後継者として残さなあかん。きつね町を統治する一族として」
「まぁ、空狐はん玉藻前様にはちっちゃい頃からいじめられとりましたもんねぇ……そう思うんは無理ないです」
大昔のことを思い出し同情したのか、金狐が空狐を庇う。
そう、これは本来空狐と小珠の婚約であるはずだった。それを空狐が無理を通して、小珠本人には隠すよう指示したのだ。――本当に小珠がこの一族に入るに相応しいかを見極めるため。
空狐と小珠の結婚は、玉藻前の生まれ変わりとして小珠がこの世に生を成した時点で決まっていた。もう十八年も前からである。
だから空狐は、何度か狐の姿で幼い小珠に会いに行った。悪名高い玉藻前の生まれ変わり――自分が将来結婚する相手は如何ほどのものかと。
しかし何度会いに行っても、小珠は玉藻前とは似ても似つかない、ただの純粋な少女だった。生育環境でこうも違いが出るのかと驚かされた。生まれ持った妖力の強さから人間に恐れられ幽閉され性的虐待も受け、人間嫌いを拗らせていた玉藻前とは違い、小珠は優しいキヨに守られながら育った。その差が大きかったのだろう。
しかし、妖怪の本質的な部分は生まれ変わったところで変わらない。どこかに玉藻前の片鱗は現れるはずだ――そう警戒し、空狐は小珠の本性を見るために自分は婚約者ではない体で小珠と関わってきた。しかし。
(……変わっていない)
あの村に居た頃から、まだ元気だったキヨに大切に育てられていた頃から、小珠の性格は何一つ変わっていなかった。
他者を憎しみ続けていた玉藻前とは真逆。小珠は他者への感謝を重視する。
――キヨという女性は偉大だ。あの玉藻前の生まれ変わりを、こうも真っ当に成長させたのだから。
「もしよっぽど嫌やったら~、俺がもらったろか?」
「は?」
「とにかく妖力強い後継者が生まれればそれでええんやろ。俺と一緒になってもええと思わん?」
銀狐のふざけた発言で、空狐の思考が遮られる。
「……これは昔から定められていることです。そう簡単に相手は変えられません」
空狐は、自分の声が少し低くなっていることに気付いた。
その態度を見た銀狐は「冗談やんかあ」と茶化すように笑う。
――果たして本当に冗談か。空狐の胸に、もやもやとした感情が残った。
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次話:https://note.com/awaawaawayuki/n/nf8f0a566063f
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