光だけを目指して飛び続けるのか
昨晩、ふと気づくと、部屋の隅に置いてあるライトの横の壁にオニヤンマが止まっていた。
昼間のうちにどこから入ってきたのだろうか。
(田舎な我が家は、家の中にトンボが飛んでいることは珍しくない)
微動だにしないが、壁から落ちないので生きてはいるようだ。
眠っているのだろうか。
しかし、あんなに明るいライトの横だと、眩しいだろうに。
なんてことを考てほっておいたが、
しばらくすると、バタバタと羽音が聞こえ始めた。
壁に何度もぶつかっているので、この場所に居続けたいわけではないのだろう。
このままここで力尽きてしまっても困るので、外に出そうとオニヤンマから80cmほど離れたところにある網戸を空けてみるも、なかなかそちらの方に向かわない。
ライトを消し、あの手この手で窓の方に追いやろうとするうちに、オニヤンマは他の部屋に行ってしまった。
どうやら光が好きなようで、明るいライトの近くに止まろうとする。
外であればそれで仲間や交尾相手に出会えるかもしれないけれど、ここには他のオニヤンマはいない。
夜中飛び回られても落ち着かないし、どこかでしなびた姿を発見するのも悲しいので、どうにか外に出したいと、ピーターさんを呼んだ。
窓に近いライトだけを付け、そのまま外に出そうとするも、外に出てもまた瞬時にライトのところに戻ってきてしまう。
ピーターさんも、あの手この手で光を目指すオニヤンマと格闘し、しばらくしてようやくオニヤンマは窓の外に飛んでいった。
そんなオニヤンマの姿から、ギリシャ神話の「イカロス」の話を思い出した。
ロウで作った翼で飛ぶイカロスが、太陽に近づいていったところ
翼が溶けてイカロスは落ちてしまった、という話だ。
「光」はわたしたちを惹きつける。
もっと明るいところへ、上へ上へ。
自分が明るい光になりたいとさえ思うかもしれない。
そうして昇っていったからこそ、見える景色もある。
だけど、いつまで上を目指すのだろうか。
どこまで強い光を目指そうのだろうか。
そうやって光に向かう自分自身をどれだけケアしているだろうか。
背伸びをして、急いでつけた翼はロウでできてはいないだろうか。
溶けかけの翼で、羽ばたき続けようとしていないだろうか。
光によってできる自分の影を、自分から切り離そうとはしていないだろうか。
家にやってきたオニヤンマが、そして数千年前から伝えられてきた話が、わたしたちの人生にとって大切なことを教えてくれているように思う。
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