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そこに愛はあったのだと、今になってわかる

ピーターさんが日本を離れてもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。

最初の一週間は香港に滞在しており、久しぶりに会う人たちとの時間で忙しいだろうと電話はしなかった。

その後ピーターさんがオランダに移動する頃から先月末までわたしが割と仕事で忙しく、気づけば1日が終わるということが続いていた。

今は日本時間の夕方以降にはほとんどセッションを入れていないので-8時間の時差があるオランダからはいつ電話をかけてきても大丈夫なのだが、1週間ほど前まで電話がかかってくることはなかった。

ピーターさんは本来電話好きだ。

世界を旅しているときも、日本に来てからも、オランダの友達から電話がかかってくることも、電話をかけていることもよくあった。

ここ数日は電話をすると、今滞在している部屋を見せてくれたり、前の日あったことを話したりとあっという間に時間が経っている。

そもそもおしゃべりが大好きなので、一緒にいても話が尽きることはない。

久しぶりにオランダに帰って話したいことは色々あっただろうけど、それでも電話をしてこなかったのはわたしに気を遣っていたのだろう。

以前、何かのワークでわたしはどんな特徴があるかとピーターさんに聞いたら「真面目だ」といったような返事が返ってきた。確かにわたしは「こんな感じでいいや」と妥協せず、「できる限り良くしよう」と取り組む節がある。

だから、やっていることに集中していたら気づいたら日が暮れていたということもよくある。

そんなわたしのことを知っているから、電話がかかってこないということは何かに取り組んでいるのだろうと思っていたに違いない。

携わっていたプロジェクトがひと段落し、電話をして、「これからはもう少し頻繁に話せるよ」と言ったら「Good good good」と笑った。


10年前、当時の夫を福岡に残して東京の会社に転職をした。

夫は口数が少ない人で、最初に電話をしたときに全く話が盛り上がらず、その後、彼から電話がかかってくることもなく、あっという間に数ヶ月が過ぎた。

そんな状況から、わたしは「わたしのことにあまり興味がないのかな」とぼんやり思っていた。

本当はそうではなくて、わたしのことをよく知っていて、想いを持っていることに猪突猛進するわたしを、どうにか尊重しようとしてくれていたのだろう。

もしかしたらもっと他にやりようはあったのかもしれないけれど、そのときの彼にはそれが精一杯だったのだろう。

前しか見ていないわたしは、彼がわたしの背中を見守りながら、寂しい気持ちでいるということを想像さえしなかった。


大切な人の背中を見送るには愛が必要だし、
離れている人をそっとしておくのも愛があるからできることなのだと、
今になってわかる。



「外は寒いけど、2階の寝室はあたたかいよ」

と言うと、ピーターさんは嬉しそうな顔をする。

自分がいない家でもわたしが安心してあたたかく眠れるように。

のんびり過ごすのが好きなピーターさんが、日本を離れる前に毎日へとへとになるまで作業を続けていたのも、愛だったのだ。


そんなふうに、何かをすることに表れる愛もあれば、何かをしないことに表れる愛もある。

ともにいることに表れる愛もあれば、ともにいないことに表れる愛もある。


その場でわかる愛もあれば、後になってわかる愛もある。



人生とは、そこにあった愛に気づいていく旅路でもあるのだと、電話を終えて、スンと静かになった部屋の中で考えている。


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