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自分の中のあかりに気づけば、誰もいない場所に踏み出していける

武雄たけおにある御船山楽園で開催されている、team Labによる「かみさまがすまう森」に行った。


会場内にはたくさんの来訪者がいたが、とにかく敷地が広く、日も落ちていたので、木々が生い茂るエリアで暗闇の中自分の他に誰も見えないというタイミングが何度かあった。

どこに向かうのか分からない道を一人歩きながら、
「この感覚はどこかで出会ったことがある」と思った。



想いを形にしていくとき、向かう先に光が見えない所在なさがある。

お手本となるような人がいなかったり、
お手本となるようなものがなかったりするのだ。

まだないから、自分が作りたいと思うのだけれど、
まだないから、すでにあるあかりに頼ることができない。


以前は、誰かが灯すあかりの後をついて行っていたように思う。

それによって、新しい世界に踏み出すことができたし、
それによって、いろいろな世界を知ることができた。

だけど、自分自身の深いところから湧き上がる声を形にしようとしたとき、
誰もいない暗闇に踏み出すことが必要になった。


暗闇は怖い。

そこで何に出会うか分からないし、
そこで見たくない自分に出会うかもしれない。

誰もいない場所は孤独だ。

誰も道を示してくれないし、いつまで歩けばいいのかも分からない。


それでも踏み出すことができたのは、
自分の中にあかりがあることに気づいていたから。

誰もいない道も、自分で照らすことができたから。



誰かのあかりで照らされた場所は安心だけど、
いつまでもだれかのあかりの後をついて行くのか。


わたしたちひとりひとりの中には、それぞれのあかりがある。

小さくて、消えそうになることもあるけれど、
そのあかりは決して消えることはない。

大切なのは、そこにあかりがあるということに気づくこと。


最初は、誰かのあかりを美しいと思うところからでいい。

でも、あなたの中にはあなたのあかりがあるのだということに気づいていこう。

そうやって、自らのあかりで、自らの歩む道を照らしていったならきっと、
いつかこの世界に別れを告げるときに、
「いのちを生きた」と思えるはずだ。



人と人とのつながりの中には、目には見えない温かさがある。
その温かさが増し、循環する時、きっと世界は今よりもっと明るくなる。

という想いに共感し、ご一緒してきたDANROのウェブサイトがオープンしました💡

今月・来月は「対話者としての倫理と美意識」をテーマにした講座も開催します。

「対話」についてもっと深めたい方、自分自身の中にあるあかりでさらに世界を照らしていきた方、ぜひご一緒しましょう♪

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