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ヘラヘラしながらリトル・マーメイド観に行ったら引くほど泣いた

ヘラヘラしながらリトル・マーメイド観に行ったら引くほど泣いてしまいました。

この映画が上映開始前からキャスティングや設定について、いろいろと議論の的になっていたのは皆さんもご存知のことでしょう。主に賛否両論の「ぴ」の部分が、Twitterを眺めていれば嫌でも目に入ってくるほどだった。

主人公のアリエルを、黒人系のキャストが演じることについて、黒人系の私はとくに、Twitterや他のSNSでも言及はしなかった。なぜかというと、本当にどっちでもよかったからである。

小さい頃からディズニーのビデオを擦り切れるほど見せられ、ディズニーランドを特別なご褒美として与えられてきたディズニー最高思考の私にとって、アリエルが黒人でも白人でも、本当にどっちでもよかったのだ。

リトル・マーメイドの世界が3次元で見られるだけでも喜び、いや悦びだし、たくさんの才能ある大人が、リトル・マーメイドをあーでもないこーでもないと一生懸命再構築してくれると考えただけで、胸が高鳴っていた。

私は常日頃、エンターテイメント作品はエンターテイメントとして楽しみたいと思っている。だから、正直言うと、映画の外で起こっている論争に巻き込まれるのは嫌だなと。ディズニーという私にとっての心の聖域に、子どもの頃の気持ちのまま、夢と魔法の世界へ入り込みたい。ということなのかもしれない。どちらかというと気になっていたのは、CGとかエリック王子とか、フランダーの表情とか、映画そのものの表現のこと。

それで、今日やっと本編を観てきた。

上映が始まる前に、友達が売店で買ったホットドッグが卑猥で2人して笑いが止まらなくなったのはさておいて、リトル・マーメイド、とっても良かった。

まず良かったのはエリック王子の粗野な雰囲気。城を飛び出して、荒っぽい船員たちと飲んで騒いでる王子。そんな王子ってこんな感じだよね!という説得力がすごかった。王子というより、若大将に近いあの感じ。そうだよね、アニメみたいな育ちの良い感じとは違うよね!と妙に納得してしまった。それでいてしっかりとディズニー王子らしいチャーミングさもある。絶妙だ。

いいぞいいぞと思っていると、主役のアリエルが登場。私の中のアリエルは赤髪で白い肌のアリエル。アリエルに限らず私が小さい頃から好きだったディズニープリンセスは一様に私の容姿とはかけ離れていた。

それでも私は彼女たちに憧れ、あふれ出るような親しみをもっていた、はずだったのだが、今回のアリエルの姿を見たとき、私は、これまでディズニー映画で感じたことのない胸のざわつきを覚えた。

海の底に届く日の光で照らされたアリエルの肌は私と同じように青白く光る褐色だった。なだらかな肩のラインと、浮き出た鎖骨の形が自分のそれとかなり似ていた。

私みたいだと思った。瞬間的に、これは私なんだ、と思った。たぶん彼女の肌がもう少し暗くても、明るくても、こんな気持ちにはならなかったと思う。子どもの頃のどんなときよりも、今、アリエルが私の近くにいる。そう感じた。

アニメのままの姿だったら、鈍い私は気がつかなかったかもしれない。パート・オブ・ユア・ワールドがこんなにも私の歌だったなんて。トリトン王がこんなにも私の父だったなんて。

物語は全く同じはずなのに、心に沁み入ってくる深度は明らかに違った。多様な姿の登場人物の意義が、あまりにも個人的な感情によって私の胸の中に沈んできた。こんな気持ちになるのは私だけなんじゃないかとすら思うほど、まるでピッタリと作られた私の部屋の鍵のようだった。逆に言えば、今回のキャスティングでアリエルへの共感を奪われた人もいるのかもしれない。姿への共感は思っていた以上に侮れないことを、身をもって痛感した。

フランダーはお魚だった。

あと、冒頭でスカットル(鳥)がアリエルたちの目の前でスナックだぁとか言って魚をバクっと食べてたけど、アリエルたちはそれについては何とも思わないのかなと思ってしまった。お魚のなかでも自我を持つものと持たないものがいるのかな…とか余計なことを考えてしまったが、あまり考えないようにすることにした。あと、貝が貝柱で二足歩行しだしたのはちょっとキモかった。

ラストシーン。トリトン王はアリエルを「愛している」と強く抱きしめ、彼女の船を沖に強く押し出す。

私も愛していると言われた気がした。

思いがけず今日、アリエルは私の中で特別なプリンセスになった。またハロウィンの頃にディズニーに行きたい。


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