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ムスメが不登校になった 7 蜂が導く

中二で公立の中学校へ通わなくなったムスメは
1ヶ月、ぼーっとブラブラ過ごし、
自分のペースで自分らしさを回復していきました。

本人にしてみたら、ぼーっとはしていないはずで
焦ったり、落ち込んだり、不安に苛まれたりの
行ったり来たりだったと思います。

それをそばで見ていて、
しかも「見ているだけ」に徹するわたしにとっても、
なかなか骨の折れるひとときでした。

目の前の人が弱っている時、困っている時、
あれこれ助言したり、手出ししたり、肩代わりしたり。
実はその方が、こっち側はラクなんです。

だけど、今回はそれをせず、
おだやかな日常を過ごすことに徹しました。
ただ、おだやかな日常を保つことは、非常に忍耐が必要でした。

わたしがムスメの将来のことをあれこれ考えてしまうと、
自分の心臓の鼓動音が、だんだん大きく聞こえはじめ、
胸のあたりや指先が、だんだん冷たくなってきます。

自分の不安を解消するために、ムスメに
口を出したり、何かをしたくなったりします。
それは、ムスメのためというより、むしろ自分が落ち着くためにでした。

そんな「頭にホコリが立つ」いやな気分になるときは、

「いまこの瞬間、わたしは幸せでいよう」

むやみに先のことを考えないように、
呪文のように唱え続けました。

そして、よく淡路島の母がわたしに言っていた言葉を
思い出していました。

「わがはちはらえ」

たとえば、妹や母に対して余計なひとこと
「それ、無駄遣いとちゃう?」とか
「あんまり食べ過ぎたらあかんで」
とか言うと
だいたいこの言葉が来るんです。

「ひとの事言う前に、わがはちはらえ〜」

小さい頃は全然わからなかったのですが、
おそらく漢字はこうだと思うのです。

「我が蜂、払え!」

他人の蜂を心配するまえに
自分の蜂を追い払いなさい。

他人のことをかまうより自分を省みなさい。

親が子どものことを心配しなくてもいいように。
そして同時に、
子どもが親のことを気にしなくてもいいように。
お互いが自分の蜂をまず払いのける強さを持とう。

ムスメが、
もう親のことなんて微塵も気にせず
将来のことを考えられるようにするには、
親が自分の人生をしっかり生きねば。

親の顔色を見て過ごす子どもにさせるなんて、
最悪な親だな、と思いました。


そんな中、いまの公立中学校へ行かない、と決めたムスメは
自分の進路のことを少し具体的に考えるようになりました。

わたしは、今どんな進路があるのか、調べ始めました。
不登校になったときもそうですが
「無知はよくない」
うわさや先入観から判断せず、広く調べようと思いました。

いまは支援機関があったり情報も多くなりましたが、
当時はわたしもそのような機関は知りませんでした。
なので「不登校」と見るや、片っ端から本を読み漁るなどして
情報を集めていきました。

ムスメには調べている最中は何も言わず、
良きタイミングがきたら
小出しにムスメに提案していきました。

「べつの公立中学校へ行ってみる?好きな学校を選べるらしいよ」

それは、ある塾の先生から教えてもらった話でした。
教育委員会へ事情を言えば、好きな学校に行かせてくれる、と。
ただ、わたしたちが住んでいた地域で適用されるかは、わかりません。

「あ、それはいやだ。
 今の学校とそんなに変わらない気がする。」

はい、却下。

「じゃあ、通信制の学校はどう?」

通信制の学校は、不登校の子どもたちにとって
大きな役割を担う、心強い選択肢のひとつです。
8年経った今、実に多様性に富んだ通信制学校があります。
全く外に出なくても勉強できる学校や、
毎日通う学校(通信制なのに!)などもあり、
自分に合ったスタイルでの学習を選択することができます。

パソコン環境の進化や、コロナもあって、
昔の「通信制・夜間」の学校のイメージを大きく覆す、
豊かなバリエーションがあります。

担任の先生を、生徒が選択できるような学校もあるとか!
先生と生徒が対等の関係なんですね。画期的!すばらしい。

8年前はそれほど多様な通信制学校はありませんでしたが、
それでも、N高校など、新しい取り組みの学校が増え始めたころでした。

「通信制・・・
 家にいて通わない、というイメージがよくわからない」

あ、ああ。。。通わない選択肢も、違和感なのね。
(難しいわあ・・・笑)
ということで、これ以上調べず通信制学校は候補から外すことに。

「フリースクール行ってみる?体験」

「フリースクール。どんなところかわからんから、行ってみる」

フリースクールは当時は珍しく、
8年前はほとんどありませんでした。

が、わたしたちはラッキーでした。
なんと、車で30分ほどの場所にあったのです。
それはインターネットで見つけたのですが、
塾を経営されている方が、その近くでフリースクールも運営していたのです。

ダンススクールの空きフロア。大きい鏡が壁一面にありました。
小学生〜中学生が、10数人いました。外国の子もいました。
走り回ったり、くるくるダンスをしたり、隅で本を読んだり、
ハンモックに揺られて昼寝していたり。

とにかく自由で、何をしてもいい。
カリキュラムはなし。
給食は、みんなでお金を出しあって、みんなでメニューを決めて
みんなで買い出しに行って、作りたい人が作る。
料理したい人も、したくない人もいていい。
食べるタイミングも、自由。
「手を合わせて、いただきます」みたいなのは、なし。

先生は何も言わず、ニコニコしているだけ。

子供たちは、水を得た魚のように、のびのび楽しんでいました。
文字通り、元気いっぱい。
そしてみんな優しい。
繊細な優しさ、というのかしら。

昼ごはんを食べるときも、ちらちらわたしのほうを見たり、
お皿を取ってさりげなく回してくれたり。
頻繁にコミュニケーションはとらないけれど
わたしたちに対し、子供たちは適度な距離感をとっていました。
子どもたちの距離感は、居心地の良さと安心さを与えてくれました。
じんわり温まる、湯たんぽのような安心感です。

わたしは、ママのみなさんとたくさん話をしました。
お互いに、つらい経験や葛藤をもっている者同士でした。
お互いにそれがわかるので、共有するだけで救われる気持ちでした。

この子どもたちの繊細な優しさが、同時に
学校になじめない原因の1つでもあるのかしら、、、
と思うと、心がギュッと切なくなりました。

暗闇にほんのり灯るあかりが、どうしようもなく心を癒すように
この子たちのほんのりとしたあたたかさに、助けられる人たちも多いはず。

学校が、蛍光灯のような明るい光ばかりになってしまったら、
ともしびのような明るさは、相対的に見えなくなります。

こういうあたたかさが学校には少しずつ減っているとすると、
学校というところは、どんどんギスギスするのかなあ。。。

などと、わたしはぼんやり考えました。

わたしとムスメも、自由に1日過ごして、帰ってきました。

「どうだった?フリースクールは」

ムスメは、先生や子どもたち、父兄のみなさんがとても優しく
自由で寛容なことがすごくいい、という感想を言ったあと、

「でも、自由すぎて疲れちゃった、笑」

あ、ああ、
カリキュラムがないのは、それはそれで疲れるのね。笑

ムスメは、学校にいたとき、授業中ふざける男子たちに
「静かにしなさい!授業受けられないでしょ?」
と怒る子でした。
そうか。。。ムスメは授業受けたかったんだもんなあ。

ということで、フリースクールも行かないことに。

「山村留学や、島留学なんてのも、あるのねえ」

他の塾の先生からも教えてもらっていた話。
8年前は、ちょうど地方の高校でそんな取り組みが始まった時で
島根県・隠岐島の「隠岐島前高校」や沖縄「八重山高校」がありました。
いまはもっと多くの学校があると思います。

たとえば都会の人間関係や学校に疲れた子どもたちが、
親から離れ、学校や島の人々と時間を過ごしながら自分を確立していく
というカリキュラムです。
街全体、島全体で生徒たちを見守るところが、いいなあと思いました。

だけどムスメは

「田舎暮らしは興味ない」

ばっさり。笑

たしかに、わたしの実家の淡路島とそう変わりゃーせんですわね。
田舎は体験済みだから、あまり新鮮さはなかったみたいです。

さて、他にどんな進路があるのか、ふうむ、、、
と思案していたとき、ふと、自宅の本棚を見ました。
思春期の子どもとの向き合い方に関する本が、2冊ありました。
同じ著者の方でした。

不登校の生徒の家庭教師をしながら、
学習や進路支援活動をしている教育研究家の方でした。

おもむろにページを開けると、2冊、一気に読み切りました。
わたしは「この人と話をしたい!」と思いました。直感です。

裏表紙に、メールアドレスが書いてあり、
わたしは、すぐにメールを送りました。

「進路を相談したいです。ムスメの話を聞いていただけませんか?」

すると、次の朝に返信メールがきました。

「もちろんご相談には乗らせていただきます。
 が、ひとつ、確認したいことがあります。
 娘さんは、わたしと本当に直接話をしたい意志はありますか?」

親の方が躍起になり、
子どもと無理に引き合わせようとする例が多いが、
それだと僕はいやです、

その子の意志を尊重したい、とのこと。

ムスメに聞くと「うーん」と少しだけ考えて
「いいよ。話をしても」と答えました。

このタイミングを逃したくない!すぐにお会いしたい!
わたしたちは本当にラッキーでした。
首都圏に住んでいるその方が
結婚式に出席のため、週末に名古屋へ来られるとのこと。
(その当時、わたしたちは、名古屋近郊に住んでいました)

式の前にお会いすることができます、と
急遽、お時間を作っていただきました。

相談料金は、60分2万円。ぐ、高い。

だけど、
「この方はムスメの話を聞いて、どう答えるのか?」
すごく興味が湧きました。

何より、わたしたちにとって、学びが多いはずだ、
という確信がありました。直感です。

週末、名古屋駅のホテルでお会いしました。

ムスメとその先生が1対1で話をする間、
わたしは同じティーラウンジの、遠くで待っていることに。
わたしは二人の様子をちらちら、遠巻きに見ていました。

ところが、
予定時刻の1時間を過ぎても、全く話が終わる気配がない。
むしろ、二人して体をよじらせ大盛り上がり。

わたしはだんだん心配になってきました。
心配なのは「相談料金」のほう。
タクシーメーターがピコンピコンと上がり続けるあの様子を
頭に思い浮かべては、
手のひらに汗がじっとりにじんできました。

 10万円とか行ったらどうしよう・・・
 そそそそそれは、いくらなんでも先生だって
 次の予定があるから、絶対終わりは来るはずよね。。。
 結婚式だって言ってたし。

結局、相談した時間は2時間!
1時間のところを、1時間オーバーです。

料金は、4万円ではなく、2万円のままでした。
よかった。。。タクシーメーター方式じゃなかった。

料金のご配慮も含め、ありがとうございました、と先生に伝えると、
先生はあっはは、と笑い、もともと想定していました、とのこと。

「うちのムスメは大人にはよく話す」という性格を
わたしが送ったメールに記載の言葉の一端から拾い出し、
ムスメがゆとりをもって話せるように、と
そもそも時間を長めにとってくださっていたのです。

へぇ、もともと想定していたのか。。。

(じゃあ料金のことも先に言って欲しかったわ)

などと独りごちつつ、わたしはムスメの顔を見ました。

ムスメの目が、ちょっといつもと違う感じでした。
明らかに光が差し込んでいました。

この日の出来事が、
いままで考えたこともなかった方向へ
導かれることになるとは、
当時は思いもしませんでした。

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