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奇妙に循環するフォックストロット 映画『運命は踊る』に寄せて

 「人生は不条理だ」という、そんな圧倒的な現実が目の前に立ち現れたときこそ、人間は皮肉にも運命というものを実感するのかもしれない。特に現代はそうだ。幸福なときに感じる運命よりも、悲劇に見舞われたときに感じる運命の方が、人生のなんたるかを言い当て、妙な説得力を感じさせる。これも現代の皮肉だ。この映画の原題であるフォックストロットが、動き出したら必ず元の位置に戻ってきてしまうダンスのステップであるように、この映画もまた、一度回り始めた悲劇の歯車は、どう足掻こうにも、正しく運命というかたちで、登場人物たちの目の前に現実として立ち現れる。

 この映画はイスラエルを舞台に、ある夫婦が、兵役に就く息子が戦死したという“誤報”を受けたことで、混乱し運命に翻弄されていく様を描く。平穏であるはずの国内の日常は、息子のヨナタンの死の報せを受け、徐々に緊迫した空気につつまれていくが、その逆に非日常であるはずの戦場には、緊迫感とは程遠いどこか間延びした時間が流れている。この二つの場所で起こる、異なる時間の流れを描きながら、物語は一家の主であるミハエルの過去の過ちと、その断罪を描いていく。そこに重厚さと軽妙さ、シリアスとユーモアとを介在させ、奇妙でミステリアスな空間を演出してみせる。特徴的なのは、その映像のスタイルで、人物とその背後に飾られた幾何学模様の抽象画との組み合わせによる心理的なショットや、地平線の彼方まで広がる砂漠で、機関銃を手にした兵士が、ひとりダンスをする姿など、カメラの的確な構図やフレーミングがみせる映像のビジュアルが、そのシーンの情景の外観と、そこにいる人々の内面の心理とを見事に描いている。家族の心の模様に迫る距離感と、俯瞰で突き放して風刺してみせるときとの、間合いの取り方、詰め方は、まぎれもなく世界レベルの演出のセンス。現代のドラマを描く手本のような傑作だ。

※サミュエル・マオズ監督のインタビューはこちら


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