「感情の劣化」と、身体・言葉の関係。

社会学者の宮台真司氏は、「感情の劣化」や「言葉の自動機械」という言葉を近年良く使います。

それについて、先日こんなツイートをしたところ、「やや受け」くらいの反応を頂きました。

この記事では、このツイートを、もう少し深く掘り下げてみたいと思います。

感情の劣化=身体感覚と言葉のつながりの劣化


人間の感情は、身体感覚と言葉(記号)という、2つの領域にまたがる営みです。

感情を言葉にするというのは、身体感覚の言語化です。
言葉によって感情が動かされるというのは、言葉によって身体感覚の変化が起きるということです。

感じたことを言語化する、言葉を身体で感じる、この二つが十分に出来ることは、その人の感情の働きがマトモであるということを意味します。

そして、この二つが不十分にしか出来ないことは、確かに「感情の劣化」と呼べるだろう、、、私はそのように捉えています。

「感情の劣化」が「言葉の自動機械」を生む理由


では、「感情の劣化」は何故「言葉の自動機械」を生むのでしょうか。

「感情の劣化」=「身体感覚と言葉のつながりの劣化」は、自分が感じている感情・身体感覚を、正確に言語化していくことを困難にします。

言語化されない感情や身体感覚というのは、心理療法用語としての「未解決の問題」、平たく言えば「本人が気づかないストレス」として、人の内面に蓄積されやすいです。

言葉に表し切れない感情を、「なんだかモヤモヤする」と表現したりします。この種のモヤモヤって、言葉にならないとうっすら心身に残りますよね。そういう「うっすら心身に残るモヤモヤ」のようなものが、心身に蓄積されやすい、、、というと「未解決の問題が心身に蓄積する」という現象が感覚として分かりやすいでしょうか。

中長期的に内面に蓄積された大小さまざまな「未解決の問題」が本人に引き起こす現象には様々なものがありますが、その中には

・本当に思っていることと、発せられる言葉の間のギャップが大きくなる(感情を言語化する精度が大きく落ちる)
・考え方のバイアスや頑固さ
・不快感や違和感を感じること自体からの逃避(思考停止)
・精神的なゆとりの無さと条件反射的な吹きあがり(潜在的ストレスでいっぱいいっぱい)

という現象もあります。

平たく言うと、人の話を聞かず、自分の考えに疑問も持たず、自分と異なる意見や気に入らない物事にすぐに吹き上がる、、、そんな人が出来上がっちゃうことも珍しくないのです。

で、ここで言う「そんな人」こそが「言葉の自動機械」である、というわけです。

感情が劣化する=身体感覚と言葉の繋がりが劣化する。
この劣化が、未解決の問題・ストレスの蓄積を呼ぶ
蓄積された未解決の問題・ストレスが、身体感覚と言葉が切り離された、「言葉の自動機械」を生む。

というのが、「感情の劣化」が「言葉の自動機械」を生む、というルートです。

これは一種の「病・症状」と表現すべき現象でしょう。宮台真司氏も、「感情の劣化」を語る時「症状」という言葉を使いますが、それも、上のようなルートを意識してのことではないか?と推測しています。

本人だけの責めに帰すべき問題ではないが、放置して良い問題でもない。


「感情の劣化」「言葉の自動機械」という問題は、そもそもどういう切っ掛けで始まるのでしょうか?

個人的な観測範囲では
・人生のどこかの時点で、自分の感情を感じて表現することを何らかの形で抑圧された人(親子関係・教師との関係・いじめ・パワハラ・モラハラ等を含む)
・自分の感情を言葉にする経験が圧倒的に不足している人

が「感情の劣化」「言葉の自動機械」問題に陥ることが多いです。

単に「環境が悪かった」という、一概に本人の責任と言えないことが切っ掛けになっていることは多いように思います。

但し、これは「感情が劣化した人」「言葉の自動機械」を許してあげよう、許容してあげようという話にはなりません。周囲の人や社会にとって問題であることには違いないのですから。

「感情の劣化」「言葉の自動機械」からのリカバリーは可能なのか?

「感情の劣化」「言葉の自動機械」からのリカバリーは、可能であると私自身は思っています。

身体感覚を言葉にする、言葉を聞いた時の身体感覚を感じる、という二方向の能力が衰えると、感情の劣化を引き起こすのですから、これらの能力を意識的に訓練(あるいはリハビリ)すれば良いわけです。

訓練方法は様々ですが、私自身(昔はひどく感情が劣化した人間でした)に効果があったもので、人にもおすすめしやすい方法としては、

一日15~30分ほど時間を取って、自分が考えていること、感じていることを、紙にどんどん書き出していく

というものがあります。

人は、日頃から頭の中に、沢山の言葉を駆け巡らせていると同時に、いろいろな言葉にならない感情を抱えて生きています。こうした言葉・感情を、整っていなくても良いので、毎日15~30分程度、どんどん紙に書き出していきましょう。

自分の頭の中にある言葉を書き出す、また言語化されていない感情を言語化していくことを通じて、自分の身体感覚と言葉の繋がりを取り戻すことに大きな効果がある方法です。
※より詳しくこの方法について知りたい方は、ジュリア・キャメロン著「いくつになってもずっとやりたかったことを、やりなさい。」の中にある、「モーニング・ノート」というエクササイズの説明がおすすめです。

またそれだけでなく、以下のような効果も見込めます。
(言葉と身体をつなげる能力というのは、非常に広い領域に影響するため、いろんな領域でのメリットがあります)
・ストレスをため込みにくくなる
・先送りなどが減る(脳内の情報が整理整頓される分、タスク処理が速くなる)
・言語化能力・抽象思考力が鍛えられる(言語化能力は抽象化能力のベースです)
・自分が気づいていなかった「未解決の問題」に気付き、解消する切っ掛けが得られる

長期的にやることで、感情の劣化からのリカバリーはもちろん、様々なメリットもついて来る、シンプルな手法ですので、興味がある人はぜひ継続してみてください。

まとめ:自分とのコミュニケーションをもっと深めよう!

感情・身体感覚と、言葉との繋がりを取り戻すというのは、

「自分自身とのコミュニケーションをもっと深めること」

とも言い換えられます。

自分とのコミュニケーションがおろそかになると、それは自分の内側の深い部分と、表層的な考え・言葉の間に分断・ギャップを生み、それが「感情の劣化」「言葉の自動機械」を生み出す。こんな言い方もできそうです。

そして、自分とのコミュニケーションを深めることは、現代社会においては、ある程度意識して習慣としていかないと難しいことです。

「感情の劣化」「言葉の自動機械」といった問題に対する処方箋は、多くの人々が自分とのコミュニケーションを深めることである、、、そのように私は考えています。


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