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生きるか数えるか⑤

そもそも、何かを数えるためには、
そのかたちが、周囲から独立して扱えないと不可能である。
液体や粉などの場合は、
器=結界で隔絶された空間
にそれを入れた状態で、その範囲の重さ、というものをやっと数えられるようになる。

数の増減だけが、社会的な意味での価値と連動するといっても過言ではない。
むやみに数を増やすことができたり、また減らすことができれば、
価値を増減して思いのまま、ということになる。

数が増える時も、数が減る時も、そこで起こっていることは、結界の崩壊・融解である。そこでは、壁や境界線が失われ、今まで別存在だったものと混ざり一体化したり、内に孕んでいた何か、が外に流れ出ていったり、ということが起こる。

化学(Chimie)の語源をおっかけると、
Cheuo/Chymosといった「お粥」という意味にぶちあたる。
「錬金術の起源」で、ベルトゥロは複数ある語源のうちシャムの国由来、ということを重視し、この「お粥」という語源を、無意味だとして切り捨てているが、私はむしろこちらが、本質的な元型イメージを的確に指し示していると感じる。

Photo by Mae Mu on Unsplash
https://unsplash.com/@picoftasty

お粥は、もともとの、穀物のつぶつぶの輪郭を煮ることで失わせる。
穀物1粒1粒、数えることができていたのに、
もうそれが不可能になって、
お椀にいれられて1杯、2杯、と数える単位が異なっていく。

そういう意味で、
④でも考察してきた金太郎飴やソーセージの元型イメージも、
お粥的な状態を経たものを成型した、と考えるとわかりやすい。
長い棒状に成型して切り分ける時点で、
数え方が変化するわけだ。

元型イメージのもやりとした風景に戻ろう。

お粥(kayu)という語は、カシューナッツのカシューにも関連していく。
カシューはウルシ科であり、
日本でおなじみの漆剤は、通称カシューなのだ
(もっとも現在は、植物由来でなく石油成分由来のものがメインになっていて、まったく別物が漆製品としてメインで流通している、、紅型などの伝統工芸製作の場面でも、シンナーたっぷりな、ニセ漆しかほとんど使われていない様子。)

脱線していくようなのだけれど、
ここでキネシスとエネルゲイア考察でとても大切な、
些細であるが非常に鍵になる風景にぶちあたっているので丁寧に書いておきたい。

漆は、土星、やぎ座に関連してくる。
器とそこに入る中身の関係性を考えた時、お粥は中身、その器に使われているのが漆であり、土星管轄、になってくる。

つまり、シンボル解釈を丁寧に遡っていくと、
たいてい、このオポジションである関係性と、
ほとんど同義というか、両義性を帯びてくるのである!

ちょうど今起こっている、お粥という器の中身を指し示す言葉をおっかけていたら、器そのものを指し示す言葉と通底してしまった、という現象だ。

お粥状態のものは、胃の中でどろどろに溶かした、えいようたっぷりのfluidという液体そのものである。これは蟹座管轄。
漆は、釉として用いると、水を弾いて器として機能するよう助ける。これはやぎ座管轄であり、180度反対、時計の12時と6時の関係性のような、オポジションである。

この向かい側の、正反対の意味がごっちゃになってくる現象(両義性)は、語源おっかけをやっていると、物凄く頻繁に発生するので注意しておくととてもためになる。

占星術のシンボル解釈をするときにも、とても役に立つ。

漆の話はとってもおもしろくネタがたくさんあるが、脱線しすぎて戻れなくなりそうなのでここでは割愛する。


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