気根を育てる
ひとつまえの記事で、オソイハハヤイ、の活動についてお知らせをしてみたのですが、活動の根っこのエネルギー、みたいなものについて、ちょっと書いておきたいと思います。
久しぶりに、数々の断捨離に勝ち残り、今も手元にある相似象学会誌、を読んでいて、ああ、わたしが大事にしている世界観は基本的にここにあるんだよなあ、と思ったので、ちょっと引用させてもらって、補足していこうと思います。
カタカムナはなんだかとても流行ったようですが、どうも、わたしが大事にしたいエリアと関係ないところでもてはやされた感が強く、あのブームに私は一切かかわっておりません。
宇野さんの学会誌の好きなところは、アンスクーラーととてもスタンスが近く、あくまで、力学的に何も持たないひとたち、しかも、勘の良いひとたちに向けて書かれているというところ。そして、それぞれが、勘の良さを育てていくヒントにしたい、というコンセプトであるところです。
この相似象学会誌は、今もナワプラサードさんなどで購入できるけど、絶版になったままの号もある。人気なのは、カタカムナの暗号の読み解き、がなされている号のようだけど、学会誌のほとんどは、ただひたすら、この、直観が良いとはどういうことか、どうすれば勘が良い人が育つか、みたいな話しかほとんど書いてらっしゃらない。
私の親しい人の口癖が、「気根が無い人はどうにもならないからな」だった。これは、いくら真実があったところで、感性が無い=気の領域の根っこがもとから存在しない人には、言っても通じないし、永遠にわかりあえない、という苦い体験の上での結論であったように思う。
その「わかりあえない」ということへの絶望を通った上で今思う事は、少しでも、多くの人の心に、根っこを育てることができないだろうか?ということ。なにもかも、本質に立ち返れば全てほどけていく。
そのためにできることをやっていきたい。
Photo by Micah Hallahan on Unsplash
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