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さやか 自己紹介(2024年1月版)

こんにちは。米国公認会計士・ヨガインストラクター・アパレル縫製業オーナーとして活動するさやかです。
新年なので自己紹介をリニューアルしました。
今回の自己紹介は2024年1月版です。

名前▶︎ さやか 
仕事上は、さやかまたは長澤さやかとして活動しています。夫の姓が伊勢なので戸籍上は伊勢さやかとなります。夫婦別姓が実現していない日本ですが、旧姓新姓を併記をできる機会は増えており、例えば会社の登記簿の代表取締役名、マイナンバーカードや運転免許証は「伊勢さやか(長澤さやか)」です。


これまでの仕事について

▼職歴 

  • みずほインベスターズ証券(現みずほ証券)個人営業・本社で外国株式およびデリバティブ商品のバックオフィス

  • あすな会計:ミャンマーの現地法人代表

  • MVC会計事務所:現職(ミャンマーでの活動拠点)

  • ミャンマーメイドアパレル&縫製 はりこ店主:現職

  • 株式会社アウェアフル :現職(日本での活動拠点)

  • フリーランスヨガインストラクター:現職


現在の仕事

米国公認会計士・アパレル代表・ヨガインストラクターの3つが主なお仕事です。

今年のテーマは “HOME“


今年は"HOME"を作ることをテーマにしたいと思っています。
長年仕事第一で30代を過ごしてきて、それはとても良いことでした。
ミャンマーで会計事務所を一から立ち上げ、経済的な人生の基盤を作ることができました。30代の終わりから自分の体と心に向き合って、悲しい出来事も乗り越えて、昨年素敵な結婚をして家族を作ることができました。
今は妊活にも取り組んでいます。
そのことは仕事にも良い影響をもたらし、家族を大切にすることで、社員の家族を大切にすること、関わる人たちみんなを大切に思うことなどにつながっていて、自分自身がより進化している感覚を覚えています。
狭い意味での家族だけでなく、関わる人みんなを家族の様にコミュニティを作れたらいいなと思っています。そのための学びも継続していきます!

▶︎会計税務
英文会計がわたしの専門で、ミャンマーで長年会計事務所を経営してきました。ミャンマーで活動されているお客様方へ安心で必要な支援を行っています。「お客様を保護する」という価値観で仕事をさせていただいています。新しい事業として、日本で外国人向けのコンサルテイングをはじめました。日本の制度がガラパゴスで英語には対応してないものが多かったり、外国人にはハードルを感じるものが多いようです。日本人でも難しい制度を私というフィルターを通すことによってサポートできたら良いと思っています。お客様のお話をお聞きすることが好きなので、どんどん相談いただけたらうれしいです。

▶︎ 縫製業
ミャンマーにあるお店「はりこ」では、ミャンマー産の素材を使った仕立てやサービスや商品を展開しています。
日本にもそれを輸出し、ポップアップショップおよびECサイトで販売しています。
ミャンマーの魅力がもっと伝わるように鋭意努力していきます。
直近では、ECショップが簡単に作れるプラットフォーム「BASE」の立ち上げをサポートする業務を始めました。 小さなブランドを、縫製と販売ツール構築でお手伝いいたします。

▶︎ ヨガインストラクター
2010年に発症した1型糖尿病は大変な病気なのですが、私の人生にとっては必要なものだと考えています。糖尿病は毎日24時間、私と共にあります。
糖尿病や慢性の疾患があってもヨガやスポーツを行える、そのことを伝えるヨガインストラクターとして活動をしています。

ご契約や報酬等はお話をさせていただいた上で提案いたします。柔軟に対応させていただきますので、気軽にお声がけください!

しないこと🙏

妊活をしているので、夜の会食&お酒の席へは参加しません。
もともとお酒が好きで、飲み会に呼ばれるキャラでしたので、申し訳ないですがご理解いただけますと幸いです。お茶やランチはぜひご一緒させていただきたいです!
・広告は意識してシャットアウトしています。
自身で選択したメディアを見ます。

趣味や性格・資質について

名前▶︎ さやか(長澤さやか・伊勢さやか)
出身▶︎ 東京生まれ 茨城と埼玉育ち
居住▶︎ 東京では池尻大橋、ミャンマーではヤンゴンのタウンオカラッパ 
趣味▶︎ マラソン、トレイルラン、自転車、ヨガ、乱読、音楽(ピアノ弾き語り・ヒップホップ)、筋トレ、和装、ミャンマー服
特技▶︎ レスが早いこと
性格▶︎ 好奇心旺盛、天真爛漫、競争心強い
習慣▶︎ 早起き、毎日2種目の運動
好き▶︎ バランスのよい自然な食事
嫌い▶︎ 脂質の多い食事 長時間体を動かせない環境

▼ ストレングスファインダー 
上位▶︎ 学習欲、個別化、達成欲、最上至高、指令性
下位▶︎ 信念、回復志向、包含、調和性、成長促進

2010年から1型糖尿病です。インスリンペンやフリースタイルリブレを使ってきました。現在はインスリンポンプ療法となっています。自分の心と体に向き合わざるを得ない病を、27歳という若い暴走する盛りの時期に発症したことは福音でした。しっかり勉強して米国公認会計士の資格を取り、海外移住し起業できました。

電子名刺

長澤さやか Sayaka.N (prairie.cards)
お仕事のご連絡も遊びのお誘いも、お気軽にご連絡ください!
sayaka_n@awareful.net

ヒストリー

私のヒストリーを紹介させてください。 

大学時代
埼玉県の普通の公立の高校(市立浦和高校)から、 私立のお嬢様が多い上智大学に進学をしました。今は少しずつ克服できてきてますが、子供の頃から周りに対して敏感で、人の目をすごく気にするし、自分をよく見せようとするし、競争心が強い性格でした。
高校生の時に英語が得意になったので、国際的な環境がある憧れの上智大学を受験することを決め、まっしぐらに勉強を頑張って合格しました。
育ちがすでにお嬢様な人が多く集まる大学。大学入学前にすでに留学の経験があったり、帰国子女や外国人が多い環境でした。(たとえば、TBSアナウンサーとして活躍する出水麻衣さんと友人でした。キャンパスには歌手のクリスタルケイちゃんや、亡くなられた小林麻央ちゃんを見かけていました)
憧れが実現出来たのに、高校生の時までは得意だと思っていた英語が、この新しい環境の中では苦手な方になってしまって、なんとやる気を失ってしまいました。学部は法学部国際関係法学科です。面白い勉強ができる環境で、当時はしっかり勉強したつもりでもあったのですが、今思うと集中力が足らなかったし、最低限留年しないような内容の頑張りだったと思います。迷走した大学時代だったと結論します。

大学から証券会社へ
大学時代にお世話になった恩師は、森下哲朗先生。銀行の出身で金融や国際取引の法律を専門とする先生でした。私が大学にいたのが2002年から2006年。つまりリーマンショックの前でIPOなどが盛んだった時期になります。その影響で、金融業界を目指す人が周りにも多くて、外資系の銀行、日系の銀行、証券会社、投資銀行などに就職をする人が多くて、何も考えていなかった私は証券業界を志望し営業社員を多数募集している会社には当時受かりやすくて、みずほ銀行の子会社のみずほインベスターズ証券に採用していただきました。支店に所属し営業担当させていただきました。
営業の仕事は決して向いてなかったと思いますが、向いてないからこそ、若い頃に叩き込まれたことが今すごく活かされていると感じます。初めてお話しをする方にも物怖じせずに提案ができるし、断られることが全く怖くありません。(本当は怖いのかもしれないですが、怖くないと心から信じています。)無になって、数を打たなければいけない仕事もときにはあると思うのですが、それもできます。証券会社では、清潔感を持ってお客様に接しないと信頼してもらえないので、そういった「相手に安心感を与える」身体感覚が身についたと思います。
本社に異動になり、外国株式とデリバティブ商品のバックオフィス業務を担当することになりました。株式を扱う部署にいたので、株式の情報や日経新聞の読み方がわかるし、投資が好きになりました。在籍時には株式は購入していませんでしたが、今は株式投資も楽しんでいます。


1型糖尿病
証券会社に勤務している途中に1型糖尿病を突如発症しました。
41歳の今振り返ると、1型糖尿病を発症したことは私の人生の中で一番の転機です。それまでは、競争心が強くて、周りの目を気にする天真爛漫なキャラでした。1型糖尿病というのは原因不明で発症し、自分には何の責任もなくて突然厳格な日々の管理を必要とする状態に陥ります。
努力でなんとかなると、それまでは思っていたけれど、努力してもどうにもならないことがあるということ。がむしゃらに頑張るだけでなく、バランスが大事だったり、休むことが大事だったりすること。でもやっぱり努力はとても必要だということ。そういう人生に必要なことを凝縮して学ぶ土台が私にとって1型糖尿病の存在です。
パワープレイでどうにかなっていたことはもうどうにもならなくなった。
なので、私は資格の勉強を始めることにしました。それまで興味があったけれども、勉強を始める覚悟が決め切れていなかった米国公認会計士の資格を取ることを決めて、1型糖尿病の教育入院が終わった次の日に予備校のアビタスに入りました。
2年間かけて4科目を全て一発合格し、内容についても理解を深めた状態で合格し、ライセンスも取得することができました。この時の投資額はざっと100万円なのですが、当時は円高で一ドル80円を切ったので受験料が安く済んだ時でした。
大学は法学部ですが、興味を持って経済学部の講義の「入門簿記」のクラスを取ったときに、会計を好きになりました。これもセレンディピティで、偶然とった他学部の科目がその後の自分のキャリアになるとは当時は思ってはいませんでした。

ミャンマーへ
米国公認会計士に合格し、ふと自身を顧みると、もう1型糖尿病のある生活にすっかり慣れたことに気が付きました。
いろいろな制限はあるけど、それも生活の一部となっていました。ためしにベトナム一人旅に行ってみたところ、すごくすごく楽しく問題なく行ってくることができて東南アジアにいきたいなと漠然と思うようになりました。重度の冷え性なことがあり、暖かい国に行くと自分のパフォーマンスが上がるということも大きな要因で、ジャスネットコミュニケーションという会計人材に特化した人材採用会社さんに登録し、ご縁のあった「あすな会計」さんに採用していただき、ミャンマーの責任者として会計事務所に就職を勝ち取りました!
その事務所では現地の会計士と一緒に仕事をするということになっていたのですが、その会計士との関係がうまく構築できず1年で退職することになりました。1年ミャンマーにいたら、人間関係もたくさん構築できたし、ミャンマー生活に慣れたし、言語もだいたい話せるようになっていました。そのこで、別に失うものは何もない!ということでMVC会計事務所を起業するに至りました。3名の社員を雇用して、3万円のアパート(自宅兼オフィス)に通ってもらって仕事を開始しました!ストリートフードを食べていればそんなにお金はかからないので、売上10万円からのスタートでも特に困りませんでした。当時は野心のある尋常じゃない日本人ばかりのミャンマーでしたので、ある意味普通なわたしは安心感を与えることができたのか、お仕事がどんどん増えて行って、スタッフの数も5名、10名とどんどん増えていきました。現在は30名の社員とともに事務所で楽しく働いています!

コロナとクーデターを経て日本でも起業
2021年2月に軍事クーデターが突然起こり、ミャンマーは国としては立ち行かない状態になりました。
さらに追い打ちをかけたのが2022年4月に突如発表された金融・為替管理政策で、お金を引き出せない、送金できない、強制兌換される、レートが固定相場でマーケットと著しい乖離がある・・・などのお金の問題です。4月にこのような重大異変がありましたので、翌月5月に日本に会社を立ち上げ、日系のクライアントのお金をそちらで受けたり、日本側でコンサルティングを行うことにしました。アパレル販売やヨガインストラクターの仕事もしたかったので、いろいろな受け皿になる会社という箱をこのときに作ったことがとても良かったです。

ヨガインストラクター
コロナ禍で一人でミャンマーでさびしく不安な思いで過ごしていました。航空便がストップしてしまったので、日本へ渡航ができなくなってしまいました。オフィスにも出社できなくなりました。
そこで長年趣味として継続していたヨガをもっと学ぼうと思い、ヨガの資格の代表である全米アライアンスRYT200の資格を目指し勉強スタートしました。無事に取得しヨガインストラクターとしても活動を開始しました。
往来の多い暮らしなので、いる場所でのリアルクラスとオンラインクラスのハイブリッドで週2回ほどクラスを提供しています!
1型糖尿病なので、わたし自身がヨガに参加しているときに低血糖や高血糖になることもしばしば経験しています。そこで、慢性疾患があっても安心してラジオ体操感覚で参加できるヨガクラスを目指して運営しています。健康な方も、どなたでもご参加いただけます。


さまざまなお仕事をしながら、社員たちや関わるお客さまたちと楽しい毎日を過ごしています。家に帰ると、とってもかっこいい夫がいて幸せです。
「HOME」をテーマに、お仕事も家庭のことも、これまで以上にがんばっていくことを誓います!Wish List100項目も書いたので、近日公開します。

長い文章をお読みくださってありがとうございます💛さやか👍
2024年1月19日

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