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楽園は、ない。


「これが愛なんて思わないで。
 あの日君の手に救われてしまったんだ。
 もう引き返せないだけなのよ」

大好きなREISAIというアーティストが提供してる楽曲「模倣犯」

PVのストーリーとしては泥沼の四角関係の恋愛模様なんだけど、冒頭の3行のフレーズを聞いた時私は強烈にあることを思い出していた。

そう、中国のことである。

「これが愛なんて思わないで。
 あの日君の手に救われてしまったんだ。
 もう引き返せないだけなのよ」

私はあの日、中華圏に救われた。

それで今でもそれにしがみついてる。

「どうして?」

どうして中華圏が好きなのかと幾度となく聞かれてきた。

ご飯、映画、文化、、、。

相手の顔色から相手の求めていて且つ話題の広がりやすそうな話題を選んで回答してきたけど、
その全ては正しくも正解ではない。

中華圏にであったばかりの頃の私は20歳。

まさに経済絶頂期にいた中国に降り立った私は、
明日は今日より良くなると無邪気に真剣に信じて未来に疾走していく14億人のパワーが飽和する空気にクラクラした。

そして、およそ20年の人生を日本から出ることなく過ごしてきた私の心臓をめちゃくちゃに打ち込んでいく怒涛の異文化に夢中になった。

その後、すっかり中国に夢中になった私は、
大学の人間関係とかサークル活動とか、そういうものを全部放り出す勢いで中国に没頭していった。

バイトの給料が入れば航空券を買って。
読めもしない中国語の字幕に張り付いた。
wechatで中国人とやりとりしてみて、自分が今外国語を話して外国人とやりとりをしているという事実にときめいた。

今となっては全てが懐かしいけれど、
この頃の私は世界で一番健全で幸せな恋する乙女。

当時の私は、
大学の友人たちの言葉を借りるなら「元気なメンヘラ」で。

有り余るパワーやエネルギーを自分でコントロールできてなくて、空回りばっかりして勝手に傷ついてるめんどくさい女だったのだ。

その後、両親を半ば脅す形で1年間の中国滞在を勝ち取った私は2018年の1年間を中国の某都市で過ごすことになった。

それは私の人生で一番幸せな時間だった。

中国人の女の子と暮らして、
市場の人に揶揄われながら毎日の買い物をして、
友人の電動バイクの後ろに立ってヘルメットもつけずに秋の夕方を疾走した時の夕日の美しさを永遠に忘れたくない。

私が何をしても、
中国語がうまく話せなくても、
いつだってその街の人たちは何も気にしないで圧倒的な雑さと適当さで私のことを巻き込んでくれた。

ここにいれば私は、「変な人」とか「頭がおかしい女」とか「元気なメンヘラ」じゃなくて、
普通の人になれた。

毎日誰かに手を引かれて、誰かに干渉されながら、誰かと一緒にご飯を食べて、誰かに新しいことを習って。

中国人たちに巻き取られていく感覚が心地よくて、寂しくなくて、幸せで、どんどんのめり込んでいってしまった。

帰国する時は嫌で嫌で号泣して、
帰ってきたら死んだ目で就活をした。

中国人が私に与えてくれたものの一つである中国語は企業に大きく評価され私に幾つかの内定をもたらした。

周りの人は感動して喜んでくれたけど、
私は2年で辞めて中国で現地採用で働くことを夢見ていた。

そして私は、日本社会で元々変人だったものに、中華エッセンスがガッツリ加わって本格的な頭がおかしい女として再デビューを果たした。

自分なりに人と関わったり、
楽しくしてみようと頑張ったけど、
距離を詰めて迫ると男も女もするりと逃げ去ってしまう。

小学生からとにかく道を踏み外さないように優等生として割とまともな道を歩いてきたつもりだったけど、
その実ずっと自分を殺して今やりたいことを我慢して未来に投資し続けてきた気がする。

私の求めるものがどこにあって、
なんのために生きてきたのかが本気でわからなくなってきた。

そして、
社会人になった後はそれがどんどん深い違和感として私にのしかかってくる。

言いたいこと我慢して、
やりたいこと我慢して、
大好きな人たちには会えなくて。

コロナ禍の新社会人生活は私の人生観とメンタルをめちゃくちゃに破壊し尽くした。

パワハラと、無視と、とにかく辛い生活だったけどそれでも私が折れなかった理由は、
2年間の就労経験を得て中国に行くという目標と夢があったからだ。

中国にさえ行けば万事解決だって。

そこに行けばもう私は寂しくなくて変人じゃなくて自由になれるって。

中国に行けばなんとかなる、という最終兵器があったから私は無敵でどんなに辛くても立ち上がれていた。

でも、本当はもうそんなに無邪気に中国を愛せなくもなっていた。

別れてしまったけれど、
香港人の彼氏が2019年から中国共産党によって徹底的に行われた一国二制度の破壊について涙を流していたのを見ていたし。

めちゃくちゃなプロパガンダに踊らされる人民を目の前に絶望的な気持ちになったことだって増えてる。

社会人4年目になって会社で中国ビジネスに関わるようになって、やっと中国に手が届いたと思ったけど、
そこで中国人たちが繰り広げているのは日本人となんら変わらない建前と愛想笑いと永久に続く消耗戦。

中華圏に行って、働いて暮らすことは私の夢だ。


それはもうら7年間抱き続けてきた私だけの夢だった。

でも。

本当は日本で幸せになれればよかっただけなんだろうなあ。

本当は日本社会のど真ん中で、友達と恋人とあと仕事とそういうものに翻弄されながらも楽しく暮らせたらよかったのに。

だから、嫌でしょうがなかった就活だって頑張ったのだって、日本社会のど真ん中の大手企業のサラリーマンになればもしかしたら楽しく生きられるかもしれないなあって思ってたんだけどな。

でも。なにやっても、どうしてもうまくいかなくて。

地下鉄の駅で呆然と行ったり来たりする電車を見送って、動けなくなってしまった。


中華圏に行ったとしても、自由にもなれないし。


この世のどこにも楽園はない。

かつて私の瞳の中の中華圏は楽園だったけど、
この世界に元々楽園なんてないんだ。

どこに行っても同じこと。

こんなシンプルで簡単な現実を認めたくなくて、受け入れたくなくて同じところをぐるぐる回って虚無感と絶望感に押しつぶされかけている。

何度も何度も中華圏と縁を切って今からでも、
日本社会に適合しようとしたけど、
何回そうしようとしても追いかけてきて首に縄をつけられて引きずり戻されてきた。

センセーショナルに輝かしく華やかに私を救ってくれたあの激烈な中華圏との出会いから、
日本でしっかりまともな優等生をやってきた私に、面白いことや悪いこと。

まともじゃないことを一つ一つ体と心に叩き込んでいったのが中華圏で、私の人生のおよそ四分の1の時間をかけて私を作り替えていってしまった。

だから、
中華圏に対する感情はもはや愛なんかじゃなくて、
「もう引き返せないだけ」という執着と諦めとほんのり残ってる期待と愛情の残骸だけなのだ。

好きとか嫌いとかじゃなくて、
ぶっ壊れるほどに愛して、死ぬほど幸せで死ぬほど傷ついた初恋の残骸のように消えないものとして私の心の一番いいところに陣取って離れてくれないだけ。

これは。私が一生囚われていく呪いだ。

でも、この呪いと生きていく以外の生き方を今更見つけられない。

中華圏に逃げたとしても、
多分日本と同じようなことになる。

私はどこに行っても変人で、
どこに行っても人間がたくさんいる限りしがらみや面倒くさいことは生まれてきてしまう。

生きる場所が変わったところで、
悲しみや苦しみが存在しない人生が手に入るわけじゃない。

それが現実だ。

人生の解決方法なんてものはない。

「でも、どこで地獄に落ちるかはあなたが決められる唯一のことじゃないですか。」

とニヤリと笑う。

だから、わかってるから。

いつか手に入れる片道切符。

それが楽園行きじゃないとわかっていても、乗り込むこと以外の選択肢を持ち合わせてない自分に気付いているから、どこまでも愚かな自分を抱えて越境するその日まではこの寂しさと絶望感を抱き締めて苦しむ覚悟を決めたのだ。


この人生を地獄に。

天国は死んだ後くらいの方がちょうどいいじゃない。


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