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原理原則への対抗

原価計算をする際に出てくる言葉で、「先入先出法」というものがある。
英語でいえばフィッフォー!FIFO(First In, First Out)となる。
簡単にいえば、先に仕入れた大根からお店に出すよと言うことである。

入れるとか出すとか、INとかOUTとか言われてしまうと、
ミスターセンクス的にはどうしても思考があっちサイドに行ってしまう。
先とは先行ということだろうか、先端ということだろうか。
先行という意味で言えば、先に挿入し先に発射した者の勝ちである。
先端という意味で言えば、先端だけ出汁入れするテクニックのことだろう。

原理とはそのものが成り立つための理のことである。
コトワリであって、タヌキではないことは明言しておきたい。
原理とはそのものが成り立つための狸であるとするならば、
狸の役割は全知全能の神である必要があり、
狸は原理そのものとなってしまう。

原則とは、人間によって社会に適用するために決められた規則である。
原則に対しては面白いことが言えなそうだ。

原理は存在や意識に関係し、原則は人間の活動に関係する。
つまり原理は原則の上位概念であり、
原理によって作られた人間が活動の規則つまり原則を考えたということだ。

ゾクソクしてくるが、深入りすればたちまち狸になりそうなのでやめておく。

ミスターセンクスは原理原則を素直に受け止められない人間である。
「これはこうなってますのでね、覚えてください」
原理にしても原則にしても、
己の考えは別にしてとりあえず覚えろということが世の中に溢れている。

ジャンケンのルールは原則である。
このグーチョキパーの世界を無心で覚えないことには、
世の中を渡り歩くことは難しいかもしれない。
そのぐらい原則チックな知名度を誇っている。

「グーにはパーが勝つから。覚えてください。」
そんなこと言われて素直に受け入れたら、センクスが廃るのである。
グーチョキパーはどこからきたのか。
そもそもジャンケンとは何か。
公平な勝負が人間に及ぼす影響はどうか。
勝負とは何か。
考えられる限りこねくりまわし、
ちょっと飽きたなーくらいのところで腹落ちセンクスするわけである。

原理原則に物申すのは気が狂った考えだという自覚はあるが、
こねくり回し自分軸で考えないと気が済まないのも事実なのだ。

「過去が解決してくれた発想のヒントが原理原則である」
原理原則の受け止め方について思い悩んでいたセンクスに、
こんな言葉が浮かんだ。

I don't do drugs. I am drugs.
全てはここに帰結するべきなのだ。
ダリ先生が言うように、
使用者ではなく創造者、もはやその物になる必要があるのだ。

そのためには今まで人類が考えるに及ばなかった物事を創造し、
人々を連続昇天させる必要がある。

だが人生は短い。
道を極めようとすれば、一生はすぐに終わるであろう。

原理原則に抵抗するのをやめ、
原理原則に感謝し、
その上に立つ必要があるだろう。
その場所をスタート地点とすることで、
センクスのアイデアはより高いところまで到達するかもしれない。
高いところから顔射すれば、
その白濁液は勢いよく、より遠くまで飛ぶであろう。

つまりそういうことである。


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