アヤと雪の女王

北米生活。心理学。自分の信条や心に響いた言葉。社会に対する思い。同じように悩み迷ってい…

アヤと雪の女王

北米生活。心理学。自分の信条や心に響いた言葉。社会に対する思い。同じように悩み迷っている人に伝えたいこと。

最近の記事

2011年の映画 Friends with benefits (邦題 ステイ・フレンズ)はなぜだか私が元気になれて、疲れた時や悲しい時に見たくなる映画。なんでかな〜

    • ハワイのおばちゃん

      高校1年生の年末年始に、うちといとこ家族とおばあちゃんの8人でハワイ旅行へ行ったことがある。 人生初めての海外旅行。 母と叔父、叔母が貯金をはたいて計画した1週間の旅行。 あたたかくて少しむわっとする気候。 世界中から来ているハッピーな旅行者たち。 ヤシの木とビーチと青い海。 パッケージングがかわいくてカラフルな商品がずらりと並んで一日中過ごせるくらい楽しいスーパーマーケット。 当時大好きだったROXYをはじめとするサーファーズブランドに身を包んだローカルっ子た

      • チャイニーズのおばちゃん

        もう数年前のことだけど、雨が降るこの時期になるとよく思い出すチャイニーズのおばちゃんとのエピソードがある。 まだその頃の私は車を運転しなかったので、郊外にある家とダウンタウンにある職場の行き来にバスと電車を乗り継いでいた。 その日は雨が降っていて、帰り道の途中でスーパーに寄った。 どの国にもチャイナタウンというものがある。 私の住むエリアはチャイナタウンではないのにチャイニーズの移民が非常に多い地域で、私のロシア人の友達は「中国の中のカナダタウン」と呼んだほど、ここは

        • 母親との距離

          父親は私が7歳の時、病気で亡くなった。 母親は専業主婦をやめて、父親の会社の好意で同じ系列会社で雇ってもらい、家事を手伝いに祖母(母親の母)が来てくれて私と弟は育った。 父親がいないというと、その当時はまだ離婚している家庭の数もずっと少なかったので、周りの友達から好奇の目で見られるのが恥ずかしかったが、それ以外は経済的にも、精神的にも自分が恵まれていないというようなことは一つも思わなかった。 母親はご飯もお弁当も作ってくれたし、授業参観にも来てくれた。時には祖母が来てく

        2011年の映画 Friends with benefits (邦題 ステイ・フレンズ)はなぜだか私が元気になれて、疲れた時や悲しい時に見たくなる映画。なんでかな〜

          カウンセリングで知った自分のこと

          カウンセラーさんのとこに通うようになって半年が過ぎたころから、ついに、 ・じゃあこういう考え方を試してみましょう。 ・脳科学を取り入れた手法で、子供の頃の嫌な思い出で固まっている部分の脳みその筋肉をほぐしましょう。 ・日記をつけて、その中でこういう項目に沿って書いてみるようにしましょう。 といった具体的なアドバイスが出てきた。 あとから知ったが、カウンセラーさんというのは相談されて、はいと即座に相談に対する解決策をくれるものじゃないそうだ。 悩みの奥深くにある原因

          カウンセリングで知った自分のこと

          カウンセリングは精神的に病んだ人のものではない

          心理学に漠然とした興味は昔からあったけど、自分がカウンセリングを受けるなんて一ミリも考えたことはなかった。 悩みや将来の不安、誰かに相談したいことはあるけれど、別にそんな大それたものじゃないんで自分で解決できます。 相談もしてもいいけど、結局決めるのは自分なんで自分で考えます。 そういう一人だったから、私も。 ふと仕事の関係で知った心理カウンセラーの人の記事を読んで気に入って、当時の仕事の福利厚生でカウンセリング料も少しカバーされるってだったので新規カウンセリングを申

          カウンセリングは精神的に病んだ人のものではない

          カナダに住んで見る日本

          2012年からカナダに住んでいる。 日本は便利で清潔で安全で好きだった。コンビニも各駅にあるデパートも、居酒屋の飲み放題もカラオケもディズニーランドも大大大好きだった。でもこの生活のまま自分の人生が進んでいくことに、どこか違和感ももっていた。 カナダには北米への憧れがずっとあったからあまり迷わずに来た。それでも最初の夜は友達にもらった手紙を読んで泣きながら、ステイ先のベッドで寝た。 あれから8年。憧れだった北米生活がすっかり日常になってマンネリすら感じる時もある。 で

          カナダに住んで見る日本

          高校生の自分に言いたいこと

          私の家は、ごく普通の家庭だと思っていた。 父親が私が7歳の頃に亡くなって、一人で一生懸命育ててくれた母親は「片親だから」と言われないようにと私と弟を自立していて、常識があって、世間から冷たい目を向けられないようにと必死だったんだと思う。 幼稚園の頃、大きくなったら何になりたいかと聞かれ全くアイデアがなくて、意見を聞かれること自体が恥ずかしかった私は適当にお花屋さんと言った。 小学校高学年の時、仲の良かった友達と一緒に「将来は水族館でイルカの飼育係をしたいね」と夢を語った

          高校生の自分に言いたいこと