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みんな大好き煉獄杏寿郎。だけど私はどうしても好きになれなかった理由[鬼滅の刃無限列車編]

遅ればせながら、2023年に入ってから鬼滅の刃にハマりました(笑)

最初にアニメの動画配信で、無限列車編を見ました。
何故立志編では無かったのかと言うと、そもそも鬼滅の刃のアニメを見ようと思った理由が、

友だちが大ハマリして映画館に何度も見に行ったと言っていたから

そーんなに面白いのなら、ちょっと見てみようかな、位の軽い気持ちからでした。


見たらたしかに面白い!
立志編を見てなくてこれまでの流れもわからないけれど、元々アニメを見るのも好きなので、お話しにぐんぐん惹き込まれていきました。

どこ見てるのかわからなくてウマイと大声で連発するコミカルな煉獄さんは、前段で描かれたフクちゃんを助けるシーンがあったからこそ、本来とても強くてカッコいい人なのだと初見でもわかりました。

炭治郎たちが魘夢と死闘を繰り広げている間も、煉獄さんは途切れることなく技を出し続けています。
炭治郎と伊之助に下弦の首を斬らせる判断をしたということは、下弦の首を斬るより五両を護り切るほうが難しいと判断したからなはず。
だって煉獄さんなら、下弦の首を斬るなんて相対しさえすれば一瞬でやれそうですが、探しに行く間に乗客は魘夢に取り込まれてしまいますものね。

技は出すのにある程度体力を使うそうなので、魘夢が倒された時点での煉獄さんは、数えられないほど連続で技を出しており、相当疲弊していたことが推察されます。


からの、上弦の参猗窩座到来。
あのバトルシーンを見るに、万全の煉獄さんならタイマンで勝てていたかもしれないと思わせるほど接戦の打ち合い。

煉獄さんの炎の呼吸も見事だけど、私は猗窩座のバトルもそれまで出てきた鬼たちの卑劣極まりない血鬼術と違い、正面から撃ち込んでくる大技の連続に手に汗握りました。

いや、魘夢とか肉片や目玉とか相当気持ち悪かったので、猗窩座の技は鬼らしくなく綺麗とすら思いました。


からの、日の出。

煉獄さんはとどめを刺され、崩れ落ちる。

猗窩座が去ったあと、炭治郎を呼んで静かに話し始める煉獄さん。
無限列車に乗り込んだ時に見た変なテンションもなく、視線も自然で、等身大のひとりの人間が話している雰囲気。

個人的には、煉獄さんの変なテンションが違和感しか無かったので、最後の最後に見せた穏やかな煉獄さんの姿が一番好きで、多分ここまでは、私も大多数の視聴者と同じく

。・゚・(ノД`)・゚・。煉獄さんがぁぁ

となっていました。


そして問題はここからです。
煉獄母、煉獄瑠火さんが杏寿郎の心の景色に回想シーンとともに現れました。

「弱きものを護るのが強く生まれたものの責務です。」

「はい、母上。」


(;´Д`)見ながら、なんだか嫌な感じがしました
(;´Д`)この感じ、よく知ってる


そして、回想シーンののち現れた母の面影に杏寿郎は問います。


「俺はちゃんとやれたでしょうか。」

「立派にやれましたよ。」


(;´Д`)ギャ~!!!

そう言えば杏寿郎は、

「俺は俺の責務を果たす!」

ってめちゃくちゃ言ってたよ。

(;´Д`)こーれーのーこーとーかーぁぁぁ!!

大多数の人は、このシーン感動で涙涙だったと思います!
ネットで見ても、ここ一番の感涙シーン、煉獄杏寿郎の尊い生き様が描かれていると解説されているわけです。


でもでもでも!

でもでもでも!


(;´Д`)私にはそうは思えなかった〜



ここで、私のことを少し書きたいと思います。
鬼滅の刃の世界と自分ごとを照らし合わせるのもなんですが、個人的にはこの作品には誰の心にも照らし合わせられる世界観が描かれているという魅力があると思うのですね。


noteで随所に書いていますのでいまさら隠しませんが、私は代々神社の神職の家に生まれました。まぁ、あまね様みたいなものです。
父も母も神社の家に生まれて、昭和の時代はまだまだ家柄がとやかく言われる時代でしたから、私の両親はふたりともそれぞれ、家名に恥じない人物になれと厳しく育てられたようでした。

私自身は父がサラリーマンをしている時に生まれているため、普通の家庭で育ちましたが両親から受けたのは両親が受けてきたのと同じ教育でした。


普通の家庭に生まれたけれど謎に気高い精神をたたき込まれ、両親ともにそうだったこともあって私はその選択肢しか知らない中で育ちました。

反抗もしたし苦しい気持ちもあったけれど、それと同じくらいあったのは、
両親の望みを叶えたい、両親にとって自慢の娘になりたいという切なる思い。

無意識ではあるけれど、おかあさんの望みを叶えるために生きていた、と言っても過言ではなかったと理解したのは、母が亡くなって私の世界から色が消え、私ももういつしんでもいいやと思った時でした。


そんな自分がおこがましくも、代々炎柱を務める煉獄家に生まれた煉獄杏寿郎のあのシーンと重なって、もう真顔の母瑠火にあどけない笑顔を向ける煉獄杏寿郎が見ていられない。
もう、母の呪いに殉死する息子にしか見えなくて。


(;´Д`)あああ〜やめてぇぇ


私にとっては、一般的には感動のあのシーンはもう、呪いが発動し終えたシーンにしか見えなかったわけなのです。



鬼滅の刃という漫画は、人だろうが鬼だろうが、本当に心の機微を繊細に丁寧に描いてる素晴らしいものだと思います。
実は自分が望まないことにがんじがらめになっていたのは、ただただ母の望みを叶えたかった、母の望みを叶えられる娘になりたかったからなんだとハッキリ言語化できたのも、鬼滅の刃の影響がとても大きいのです。

私も、杏寿郎のように母の期待に立派に応えたかった。

そして、期待に応えるために頑張っていた私はまるで、父のために罪人になった猗窩座みたいでもありました。それが良きにつけ悪しきにつけ自分自身の望みでもないことを叶えるためには、自分を顧みる訳にはいかない。親の望みを実現するために生きる、ただひたすらその一心で。
私にとっては、猗窩座も自分の投影でした。


無限列車編ですっかりハマった私は、立志編を見て、蝶屋敷編を見て、遊郭編を見て、刀鍛冶の里編を見て、コミックを全巻揃えました。

そして、先日見かけたウエハースを買ってみたら

ウエハースのシール

。・゚・(ノД`)・゚・。よりによってコレが出た〜


私の中では、

(;´Д`)呪われた杏寿郎のシールでた~


でした(*´ω`*)

※あくまで私の心の世界から見た解釈ですけどね(笑)

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