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Purple feeling -『地上で僕らはつかの間きらめく』

彼の小説の中に入っていくと、そこはなぜだか1番しっくりくる場所だ。

過去に書いた日記を読んでいて、こんな一節が目に飛び込んできた。
オーシャン・ヴオンの「地上で僕らはつかの間きらめく」という本を読んでいた頃の話。


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幼い僕を連れ、母は祖母と共に太平洋を渡った。戦争に人生を狂わされた祖母と、新天地アメリカでの生活に翻弄される母。二人の苦難は少年の僕にも影を落とすが、ある年上の少年との出会いによって、僕は初めて、生きる歓びを知る――。アメリカ文学の新たな才能による痛みと美しさに満ちた自伝的長篇。

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この本は英語の読み書きができない母へ向けて綴った作者からの手紙という形式で書かれている。
私は自伝やノンフィクション形式の本に惹かれていて、自分とは背景も経験も異なる作者が見ているまなざしを詳細に描いた本を多く読んでいた。
想像がつかないほどの苦難を経験してきた作者が何を感じ、何を考えて生きてきたのか知りたかった。
その中に自分を刺し貫くものを見つけたいと思っていた。その思いは今でも消えることはない。ずっと私は他者について、生きることについて、私自身について知りたいと思っている。


読んでいる間中、心臓が激しく脈打っていて、殴られるような衝撃を常に感じているかのようだった。
簡単に言葉で表せない。表してはいけない。
困難と痛みの連続の中で、彼がどのように自分の存在を確かめ、今まで生きながらえてきたかを知ること。それは衝撃的であり、感動的であり、畏怖を感じさせるものだった。


それでも、私はこの本を読むことに安心感と安らぎを見出してもいた。
彼の本は、ポジティブなエネルギーに溢れた世界からいったん離れて、自分という殻の中に入ることができる場所だった。当時の私は世界と自分が乖離しているように感じていて、きっと本当の意味でその場にいることはいつもできていなかった思う。私は立ち止まって、自分の痛みや苦しさを見つめて、私自身を見つけてあげるための時間がずっと必要だった。当時は日々を生きることに必死で、立ち止まったらきっと倒れてしまうとどこかで感じていた。
そんな中で彼の本を読み、苦しみと共に生きてきた彼の言葉を理解することは、苦しみを感じることから目を背けていた私を一気に違う場所へと連れていった。


本の中に出てくる言葉で、「紫色の感情」というものがある。英語で言うと「purple feeling」。

ヴオンが母にこう語りかける。
(実際は母にではなく、自分に語りかけているようにも見える。)


「母さんは自分の人生で最も幸せだった日のことを覚えてる?最も悲しかった日は?時に悲しみと幸福が結びついて深い紫色の感情になることがあるって思ったことがある?」



紫色の感情。purple feeling。
それが名付けられるまでは存在することを知らなかった。この一節を読んだ瞬間、紫色の感情が自分の中に存在することを知った。
私たちの感情は多様で、いろんな色に溢れている。矛盾する要素が共存していたり、ひとつの出来事に対して感じる感情も多様だ。悲しみと嬉しさが同時に存在していたりもする。
それは自分では気付くことができないものかもしれない。
私は自分の中に存在している多様な色彩を、感情を、いつか見つめてあげたい。時間がかかったとしても、ずっと答えは分からないとしても。

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