”頑張る”じゃなくて、”楽しむ”
「よし、頑張ろう」最近、心の中で唱えることが増えた言葉だ。
ただただ、やりたいことを綴ったこの記事が、私の中ではかなりの"スキ"を集めていて、みんなもやりたいことが沢山あって共感してもらえてるのかな〜なんて思います。
ここに書いたように、私にはやりたいことと、今後それを活かしたいと思っていることも多いから、「"今"頑張らないといけない」って思いまくっていました。
もちろん頑張ることは重要なんだけど、その中で楽しむってことがないとすごく義務感の、辛いだけのものになってしまうと感じています。それはすごく、悲しく、恐怖です。
せっかく今は楽しんで色々できる時期なのに、自分から辛く大変な道に行こうとしているなんて。
いつから”楽しむ”より"頑張る"だけになってしまったのだろう。
昔の私の頭の中には常に"楽しむ"が入っていました。好きな漢字は"楽"でした。
少し周りの人より秀でていたい気持ちがあります。周りが楽しんでいる間、自分でコツコツ積み重ねてやっていくことが、今の自分にできることだとも思っています。
少し無謀な理想を持っているのかもしれません。早く結果を出したい。焦っています。
そして不安な将来に対して、今の私にはちょっと違ったアプローチでの努力しかできないのです。というか、したくないのです。わがままですが。
だから、理想が高くなりがちになり、その高い理想にたどり着くまでに最短最速で行きたいという焦りが、自分の”楽しみたい”という気持ちをないがしろにしてしまうのです。←今回の話の要
理想に向けて、新しい勉強や学ぶべきことと、そのモチベーションや楽しみが同じ方向に向いていればいいのです。学んでいくにつれて上達していくことが楽しいと思えたり、せめて苦でなければ。
逆に、何も知らずに、まず楽しい気持ちを大切にしたいものは、だんだん学ぶこと、やることの多さに辛くなっていってしまいます。ただ、中途半端に手を出した結果、下手に戻れないことも決意を鈍らせてしまうのです。
例えば、カメラの場合。今までは、夕焼けや雲を頻繁にiPhoneで撮っていたのに、一眼レフを買い、シャッタースピードや絞りや構図やレタッチなどいろいろやった方がいいことを知るにつれて学ばなければいけないことの多さに「なんて大変なんだ」と思うようになってしまったのです(カメラを撮っている人すみません)。
じゃあ、オートに戻せるかと言えばそうでもなくて、マニュアルでうまく撮ったときの喜びを知ってしまったから、もう戻せない。
いっそのこと辞めてしまうかとも思うけど、そういう時に限って綺麗な写真に目を奪われ、こんな風に撮りたい、瞬間を撮って、その写真を見返したいと思ってしまうのだ。
きっと、ちょっとずつ、楽しい気持ちに沿った進め方がいいんだろうなと思いつつ、やるからには上手くなりたい完璧主義が出てくる私。やりたいことが多すぎて、それぞれに当てられる時間も少ないのに、それぞれ全ての時間、勉強になってしまったら”楽しい”気持ちなんて持てない。
難しい。そもそも、上手に、とか、完璧に、とかの価値観が自分を追い込んでいってしまっているのかもしれない。
ただ、今回、記事を書いていて自分の本心と理想について言語化できたことは結構大きかったと思う。やっぱり文章を書くことは、自分もわからなかった本音を暴き出してしまうね。
”頑張る”じゃなくて”楽しむ”ができるようになりたい。
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