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文章を書くということ

私がnoteを開くときは文章を書きたいときだ。最近、文章を書きたい衝動に駆られることが多い。なんでだろう。でも理由を探す前に書きたい時に書く。それがいいと思っている。

このnoteを始めたのは独身時代のInstagramがきっかけだった。手帳にハマり、ノートにハマり、文字を書く楽しさを知った。文字を書くことで自分自身とおしゃべりできる楽しさを知った。これまでは、自分の心の声を聞くとか、自分の本当に思っていることとか、そんなこと意識もしたことなかった。

私なんてこのくらい。私にはこれが合ってる。私にはそんなことできるわけない・・・。

でもそれは違っていて、本当はそうは思っていなくて。今までの世界は表面的なものしか見えてなかった。世の中には「自分目線」と「他人目線」があり、大事にするべきは「自分目線」ということ。心の奥で思っていることを認めていいんだ。むしろもっと見つけてあげないといけないんだ。

私の世界は180度変わった。


手帳風景。



そんな「書く」ことに重きを置いてきた20代後半。書くことは習慣となっていたのだが結婚してからその習慣は取っ払われた。

引越しして初めて実家を出た私はドキドキとワクワク・・・だけではなく結構な「不安」があった。環境が変わったと同時に他人との共同生活。私ストレスは溜まるばかりで解消の仕方もわからなかった。それは彼(旦那)も同じだったと思う。

そんな中、私は手帳にありとあらゆることを書いていた。それは実家にいたときと変わらず自分とおしゃべりしている感覚だった。そこでどうでも良くなることもあったし、まぁいいかって忘れられることもあった。だから当たり前のように続けていたけれど、それは全て彼に読まれていた。

私と私のおしゃべりを。

それから私は「書く」ことをやめた。心の中を剥がされ丸裸にされた気分だった。彼は自分の悪口を日々残されていると思い、怒った。私は羞恥心でいっぱいになり、二人の信頼関係はゼロになった、と思う。手帳は全部処分した。



それでも私は文章を書くのが好きなんだと思う。そして読むのも好きだ。最近はKindleで読んでいる。手で書くことが好きだった頃は本は絶対に紙派だった。(紙派って言葉が存在するかわからないけど。)

でも家に本を置くスペースがなくなり電子書籍を読み始めた。今ではスマホでサクッと読めるのが快適で、いいなと思った本をすぐ検索して、ボタンひとつで購入。すぐに読み始められるので読書のスピードは上がった。

あと最近ハマっているのはアメブロ。本当にいろんな方がいるんだなと思えて、楽しい。同じ境遇の方、自分とは全然違う土地で生活している方、海外に移住した方、自分よりも遥かに人生の先輩であるだろう方。そんな方達の生活が垣間見えるのが本当に楽しくて、ありがたいなと思う。

noteのように長文で投稿している方もいれば、SNSのように写真と感情に任せた言葉がポンポンっと並んでいるだけの方もいる。投稿スタイルでもその人の個性が出るのでそれも面白い。




今日、たまたま読んだアメブロの記事で私は号泣してしまった。それは病気で妻を亡くしてしまった男性のブログ。私自身も父を癌で亡くしており、そういうブログはつい読んでしまうのだけれど、今日は疲れていたのか、かなり泣いた。

闘病中の思いや、過ごし方。その中で少しずついなくなってしまう現実を受け入れて、覚悟を決めていく。そしていよいよという時の感情と、いなくなってからのその後。残された方だけが歳をとっていくのがとても切ないが、ありがたくも思える。

その男性は医者の治療に納得がいかず、今もできることをしている。なくなってしまった命と体は帰ってこないけど、それでもやりたいからやる。素晴らしいと思う。そんな男性の思いと文章のなめらかさに心を撃たれた。小説でもなくブログなのだから実話ということがまた私の心を震えさせた。

私も父に会いたくなった。
父は私が結婚したことも知らない。その前に正社員を心を病んで辞めたことも知らない。もっと話せばよかった。もっと一緒に過ごせばよかったと今でも思う。だけれども、あの経験があったから、私は辛くても生きようと思えた。辛くて辛くて何度も目を開けたくないと思ったけれども、それでも自ら命を絶ってしまうことは、もっと生きたかった父に顔向けできないからである。

私はおばあちゃんになり、しわしわの顔で笑ってこの世を去りたい。そして父に会う。父は私にこう言ってくれた。「あやかの幸せがパパの幸せだからね。女の子だから、素敵な人に出会って素敵な人の家族と家族になって。幸せになってね。」と。うん、私は幸せだよ。これからもたくさん笑って幸せに過ごすよ。

そんなことを思い出させてくれた、今日の午前中。私はたくさん泣いて少し眠い。だけど人間はあっけなくいなくなってしまうこと。体はもろいこと。そしていつその日が来るかわからないこと。父はその日がある程度わかっていただけに、私たち家族は幸せだと思う。

ちょっと暗い話になってしまったけど、私は最近いろんな人の生活を垣間見ることが好きみたい。そして文章を書くのが好き。誰に向けて、とかではないけど、今日の私みたいに、たまたま読んでくれた人の少しのきっかけになるかもしれない。そんな連鎖がどこかで起これば私の生きている日々も無駄ではないと思える。

生きていればいろんなことがある。でもそれは生きているからこそ。そんな「色々」を乗り越えて楽しんでいけたらいいなと思う。2023年はいい年になりそうだ。


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