名前のない夏

ある日、はなうた仲間のまつしまさんが、大学のゼミ用につくった音源をグループのメッセンジャーに送ってくれたの。

まつしまさんはすっごいナイーブなところがあって、ふだんはめちゃくちゃ優しい人なんだけど、曲をつくるとディープな闇をさらっと開陳してこちらをあっと驚かせる。どうも隠してるふうではないようだが、日常生活では積極的にみせてもないか。音楽ってこう、底なし沼でほんと面白い。

そのとき送ってくれた曲は「名前のない夏」と言うタイトルだった。どこかノスタルジックで切なさど真ん中、ナイーブさ全開な世界だった。闇までいかないが薄暗くて心地がいい。ゆえに、なかなかそこから離れがたくなるような、そしてそれはわたしがふだんぜんぜんアクセスしない領域のメロディだった。

何回か繰り返し聴いているうちに、ちょっと中毒になっちゃう類の、ともすると留まり続けてしまって出てこれなくなっちゃう世界。メロディをくちづさめるようになってきたところで、ふとことばが立ち上がってきた。

風に頬なでられ
瞼閉じたゆたう

言葉ひとつなくて
こだまだけが響く

続くあの夕暮れ
融ける僕の身体

これでいい
なんて

笑ってばかりいた日々
だけど

名前のない夏
どこか不確かな夏

聴こえてくる
あの波

光、こぼれる
名前呼んで

跳ぶ、、、

曲に詩をつけるって経験をしたことなかったからとても楽しかった。直感的につくったわりには、メロディに沿った詩の構成になった気がする。どうもやっぱり、わたしはノスタルジックな世界にとどまり続けることができないせいか、最期跳んでどっかいっちゃったのが笑えるんだが、これもはむりやりじゃなくて曲が連れていってくれた、そういう生命力を感じたのでした。

でもって完成したはなうたをシェアしたら、まつしまさんから間もなくこんなお返事の詩が届いたのだった。

日々の繰り返しは祈りみたく

時間を重ねる筆の先に
明日明後日を描く人たち

見渡すと同じく

まだ足りなくて誰も明日を描く
楕円が弧を描くと見えた瞬間は
時間の束を、

花言葉、重なった花束

夕日に洗われてあーここにいて
今がある意味を感じて

そして文末は「言葉にするの難しいですね。ただ勇気をもらいますね!もっと伝えてみたい話してみたい事に忠実に作品作ってみます」と締めくくられていた。

詩って自由だな。

わたしはすぐわかりやすく言葉を選んじゃうけど、まつしまさんは自分の言葉、自分に通じている言葉を使っている。だから、その言葉の向こう側にどうにかアクセスしたくなる、そういうチカラがあるなあと思う。

いやー、それにしてももうこれ2年前のことなんだね。いやーのんびりしてたなあ。せっかくだから記録として残したいなーと思って今回まつしまさんに、許可もらってここに書いています。

わたしにとってはなうたは、手紙とか、短歌とか、きっとそういうものなのかもしれないなー。下手とか上手とか目先のそういうのに気を取られずに、ハートから響いてくるものを聴けるひとでいつづけたい。



読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️