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日々の記録で自分を客観視する

2021年4月。まだまだうつ症状に悩まされて、自分が強迫性障害だと認識しておらず、苦しさに打ちのめされていた時。きれいな桜の写真が撮れて、いつもお世話になっている方に、その写真をシェアすると、こんなアドバイスを頂きました。

「〇〇(ニックネーム)の気づきや感性は面白いから、言葉でも写真でもいいから記録してみてごらん」

そのアドバイスをきっかけに、暫く遠ざけていた日記を再スタートさせ、バレットジャーナルという日々の記録を始めました。

そして半年以上経った今では、日記、バレットジャーナル、日々のタイムマネジメント記録の3つの記録を続けて、寝る前のルーティーンになっています。

3つの記録はそれぞれ別々ではなく、かけ合わせてこそ、毎日の私の心を整える為に役立っています。強迫性障害が酷かった時、私は「起きてもいない妄想」を「事実」だと妄想して、それを「良い、悪い」で判断し、自分を責めていました。だからこそ、自分自身を「事実」から見つめることが私には必要でした。

例えば、バレットジャーナルだけを見て卒論のことで出来たことが少ない時、「自分は何もしていない!」という妄想が始まっていました。でもタイムマネジメント記録を見ると、そこには図書館に行って資料を探していたり、買い物に行くなどの生活に必要な時間を使っていたりしたことが分かります。その上で日記を見ると、できたことは少なくても、買い物に行くまでの時間で様々なことを感じ取って学んでいることに気づくことが出来ました。

他にも、タイムマネジメント記録だけを見ると、卒論に費やした時間は少なく、ぼーっとしている時間が多くて、「無駄な時間をたくさん過ごした!」と妄想したけれど、バレットジャーナルを見ると出来たことが多くて、短時間でとても集中していたことが分かります。日記を見れば、そのぼーっとした時間に自分自身の感情と向き合って、またひとつ自分の「するべき思考」を手放せていたりします。

3つの異なった記録をすることで、3つの方向から、「今」の自分自身を事実から捉えて自分を客観視できるようになりました。そして自分を責めたり、妄想で苦しむことが減りました。

実際に今、卒業論文を執筆しているなかでも、この記録のおかげで、冷静に自分の進捗状況を見たり、どう卒論の時間を作るかという改善のための方法を探ったりが出来ています。

この3つの記録は全て同時に始めたわけではなく、日記→バレットジャーナル→タイムマネジメント記録の順に始めて、徐々に記録が増えていった形でした。

日記だけを書いていた時、自分の感情がメインだったので、感情に振り回されていました。毎日同じことの繰り返しで何も前進してないような気がして、自分を責めて苦しめていました。

そこで、心理療法の一貫として「できたことを記録する」ことを主治医の先生に勧められ、今日したいと思ったことと、できたことを記録する為に見つけたものが「バレットジャーナル」というノート術で、とりあえず始めてみました。そうすると、したいことを大量に書いてしまって、ほとんどができてない状態に陥りました。この原因は、自分がどのくらいの時間で何をどれくらいできるのか、という現状が把握できていないことでした。

そのため、自分がどれくらいの時間を何に使っているのかという現状を把握する為に予定ではなく、毎日ただただ今日の時間の使い方を記録し始めました。そうすると自分の時間の使い方が客観的に見れて、どのくらいの量が適切なのかを把握したり、時間の使い方をどう改善するのかが見えてきました。

様々な小さい挫折が重なって、今の私なりの記録の方法が作られていきました。実はこの方法が確立したのも、今月に入ってからなので、半年のほとんどはずっと試行錯誤を繰り返してきました。

実は、1番の大きな挫折は「バレットジャーナルが面白くない」ということでした。ただ真っ白のノートに毎日を記録すると、なんだか味気なくて、機械的で苦しくなりました。そのうえ以前まで使っていた初代のノートは、バレットジャーナルのノート術のフォーマットが少し入っているノートで、それもなんだか鬱陶しくなっていました。
そんな挫折から、バレットジャーナルを書く気が起こらない日々がたくさんありました。自分を責めないために始めたもので、自分を責めるという、何とも不思議な矛盾が起こっていました。

そんな挫折を乗り越えるために、始めたことが「手帳は無地のノートにし、フォーマットもないものにすること」と「マスキングテープやシール、スタンプなどで書くことが楽しくなるようにすること」でした。

無地のノートで自由度を上げて、自分なりのフォーマットを作ることで、「こうしなきゃ」という縛りが無くなり、心地よくなりました!

もともと文房具が大好きで、お年玉を貰ったら、4分の1を文房具に使って、残りは貯金するような子どもだったのですが、初代ノートは「整理することが目的なんだから、飾るのは目的じゃないから」という「こうでなきゃいけない謎理論」を自分に押し込めて楽しむ工夫を何もしていませんでした。

しかし童心に帰って、100円均一ショップや文房具屋さんをまわって、少しずつシールやマスキングテープを集めたりして、ノートを飾ったりすると、不思議なことに毎日書きたくなり、とっても愛着が湧き、自然と記録が続きました。

記録することはすごく地味なことの積み重ねで、すぐに成果が出るようなものではありません。だからこそ、楽しむことが大切ですが、楽しむことは「楽しもう!」という気持ちを持とうとすることだけではどうにもならないことを気付きました。楽しむためには、楽しむための工夫も大切なんだと記録を通じた挫折で学びました。


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