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学び続けることの重要性をひしひしと感じる

今年度は、担任を持っていないということもあり、通常級で支援を必要とするADHDのお子さん、自閉症スペクトラムのお子さんといった発達障害を持つお子さんたちと接することが多く、その対応に苦慮しています。

特に、暴言、他傷行為、離席、といったような、周りの人間からすると不適切と感じる行動が増えていて。

どうしてもそういったお子さんたちが起こす衝動的な(衝動的に見える)暴言や暴力に対しては、
「それは許さない!」
と強い指導をすることも多くなりがちです。

ただ、そういった指導は、たしかにその一瞬は本人もまずいと感じているように見え、やってしまった行為に対して謝ることもできて効果があるように思えるのですが、結局またすぐ同じような行動をとってしまうことも。
あまり有効な手立ても取られずにここまで来てしまったように感じています。


そんな中、ある日、あるお子さんと2人で遊んでいた時に、
お子さんの気持ちが落ち着いている状態の時に、ふと、

なぜそういう言葉を使ってしまうの?
そのときってどういう気持ちかしら、
それなら代わりにこんな言葉を使ってみたらどう?

と遊びながらお話をしてみました。
すると、その後そのお子さんが暴言を吐きたくなった瞬間に、
さっき話した「代わりの言葉」を言ってくれたのです。

あ、これは一つ有効な手立てだったのかもしれない、と思えました。それで早速、もう一回勉強し直そうと思って特別支援教育に関わる本を一冊注文しました。


しかしそういえば、と、
私が教師になりたての頃、約10年くらい前から、もうすでに発達障害を持つお子さんは通常級にもいて、その対応に悩み、何冊も本を買って勉強してきたことも思い出して、先ほどからその本を読み漁っているのですが、ヒントになるものがたくさん散らばっていて、なんでここに立ち返ってこなかったのだろうと、再発見の驚きと後悔と、なんというかちょっと興奮していて眠れなくなってきています。笑

なんとなくの経験則に頼るだけの指導では、
解決策は生まれにくいのだと実感します。
(もちろんその経験則もとても大切!)
やはり常にエビデンスに基づく知識を持っていること、アップデートすること、再確認することがとても重要です。もし自分のやり方が良くなかったら、プライドを捨て素直に改められる柔軟さも重要。


ちなみに、今回読んだ中で、障害特性をどのように指導に役立てるか、というものがありました。
特に自閉症の言葉の発達に遅れや問題があるという特性について、

また、自傷、他傷、かんしゃくなどの不適切な表現は、原因を明らかにし、その気持ちを表現する別の手段に代替するようにしましょう。

特別支援教育のための子ども理解と授業づくり/湯浅恭正、新井靖英、吉田茂孝

ということが書いてあり、私の対応が間違っていなかった!と安心しました。

また、自閉症スペクトラムに対する支援の原則というものも別の本に書いてあり、一部抜粋して引用させていただきます。

(1)保護的な環境を提供すること
・まず絶対に失敗しないようにお膳立てすることが重要
・小学生のうちは、世間の荒波にもまれる必要はない、この時期に荒波にもまれると、プラスの学習ではなくトラウマとして記憶され、将来フラッシュバックを起こしやすくなる
・自信はカラ元気で構わない
・自信を持って育っている人のほうが、成人期の適応がよくなっている
(2)得意なことを十分に保障すること
・子どもが得意なこと、ほかの人と違うことこそほめるということを意識する
(3)苦手なことの特訓を極力させないこと
・思春期より前に苦手克服の特訓を要求され続けることは、二次的な問題の発生リスクを高める。
・思春期以降に自発的な動機づけが出てきたら、本人が必要と思うことについては勝手に特訓を始める。
(4)大人に相談してうまくいったという経験を持たせること
・相談は、自閉症スペクトラムの人たちが最も苦手とするコミュニケーション
・「相談」という形式をとっていなくても、何かがうまくできないと騒ぐ、泣く、母親に「やって」と要求してくる、そうしたコミュニケーション行動が、将来の相談の萌芽である
・何ができないのか、何をしてほしいのかを丁寧に確認し、子どもに寄り添いながら、一緒に問題を解決するという姿勢を示すことが重要
・ここで視覚的に段取りを示し、その段取りに沿って子どもが問題を解決できれば、言うことなし!

自閉症スペクトラム/本田秀夫(ソフトバンク新書)

暴言、暴力、かんしゃく、といった行動は、こちらにとっても「困る」行動ですが、
やはりそういう行動をとってしまう子ども自身も
「困っている」
ということを絶対に忘れてはいけないな、と思います。
何に困っているのか、それに対する代替案、解決策を一緒に考えるのが、私たち関わる教師や親の役目であると改めて考えさせられました。


最近、ジェネレーターという言葉を目にしました。
コーチでもファシリテーターでもなく、ジェネレーターとは、

自分自身が参加者のひとりとなって、身近なことを面白く捉え直す「面白がる」ことを一緒になってしてしまうことで、目標とはしていないものの創造の連鎖が自然に起きてしまう、ような役割を超えたありかた

というものだそうです。
教師のあり方として、近いものを感じました。

そしてもう一つ。
やはり知識を持っているということの強さ、というのを感じます。
目の前の事象に対して、知識があれば対処できる。
もし適切でない指導をみかけたとして、エビデンスがあれば納得してもらえる。
なんとなくそれは良くない、というだけでは説得力に欠ける。

自分が目指す「あたたかい」教育現場のあり方に近づけるためには、もっともっと勉強する必要がある。

家事と子育てでてんてこまいな毎日ですが、それに甘えず勉強し続けたいと思います。

とりあえずは、特別支援教育に関わる本でまだ読見直せていない本があるので、その続きを読んで染み込ませます🌿


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