見出し画像

birthday girl of the year

23歳最後の日、ふと思い出してnoteを開いた。BIOの年齢は21歳のまま。そんな私も気づいたら24歳になっていた。
当時「もしも課題の頑張りすぎで過労死になったら、誰かが身内にこのnoteを教えて遺書みたいな扱いにならないかな..」なんてバカみたいなことを考えて書いていた記事たちは、忘れかけていた泥臭くて世間への憎しみに満ちた負の感情を思い出させてくれて、なんとも感慨深く、ありのままの拙い文章が自分らしくて好きだな、と思えた。

忙しすぎてすでに記憶が曖昧になってしまっているが、学部3年生からありえないくらい怒涛の日々が続いて、気づいたら新潟から京都に拠点が変わっていて、気づいたら修士2年生になっていて…数え切れないくらいあった小さなスイッチが、私の未来を少しづつ変えて、それが結果的には運よく全ていい方向に進んでいて、今の自分は希望に満ちていると思う。かなり。まあまだ就活は終わってないし、修士研究は想像していた1/10しか進んでいないけど。

うちの家計で大学院に行かせてもらえている(奨学金を一切借りずに家賃・生活費を払ってもらっている)状況は大変申し訳なく、本当にありがたいと思っている。と同時に小さい頃から 大学院まで行くものだ、という教育方針ではあったので、そのありがたさも当たり前の中にいてきちんと自分が理解できていない気もする。まあ大学院での生活は本当に楽しいし、環境に恵まれているし、自分が充実していることが一番の親孝行なのでは無いかと開き直ってはいます。

今までの人生を振り返ってみると、ずっと何かにもがいていて、ずっと何かに苦しんでいて、人に対する怒りの感情をエネルギーに変えて生きていて、それがルーティンとして変わっていない。これでしか生きられない自分を哀れだなとも思うが、最初はできないと思っていた事柄を、クソみたいな負けず嫌いさが発動して、必死に頑張っていたら周りを抜かすくらいになっている。性格のひん曲がった人間なのはまあ間違い無いだろう。

今まで歳を重ねるごとに実年齢に思考が追いついていないなと感じていたけれど、今年は24という数字がなぜかしっくりきている。過去の記事に登場した友人は先日2人目の子供を出産しているし、周りもみんな院生か社会人か、って感じで、結婚してる人や恋人と同棲してる人も増えて、年齢の重みを感じるようになったのが大きな理由だろうな。

私はというと、きっと5月でこれから5-10年くらいの人生を左右する全てが決まる。それはわかってる。正直言ってかなりストレスだ。耐えろ耐えろと自分に言い聞かせて、今日も誰よりもたくさんのto doをこなす。

頭が破裂しそうだけど、あともう少し、粘り強く。