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母と旅行した

3泊4日の関西旅から帰宅した。
とにかく楽しい旅行だった。

こんなに、喋ることや書くことを目的としない旅行は久々だったと思う。
ラジオで喋るための何かを見つけようとか、
noteに書いて、読む人にも楽しんでもらいたいとか
そういう気持ちを、ほぼゼロにして、
目の前にいる人たちと、ただただ、その場の空気や、時間が流れるのを楽しんだ。

太る、とか、痩せるとかも、度外視で、
ただただ、笑いながら美味しいものを美味しくいただいた。

帰りの飛行機の上で、忘れないうちに旅の行程を書かなきゃ!と思って、
何度も書いては消して、書いては消して、を繰り返したんだけど、うまく書けなかった。
すごく楽しかったのに、
なんでこんなに書くことがないのだろう?と不思議だったのだ。

旅行を終えて、今、やっとわかった。
誰かに話すための旅行じゃなかったからか!
本当の意味で“私たちの旅行”だったのだ。


全ての行程が無事終わって、安心した私は、荷解きもほどほどに、自宅のソファで横になっている。
張り詰めていたものが急に緩んで、
もう立ち上がることすらできない。

今やっと旅行が終わったんだと思った。
終わったことを、実感して、寂しい気持ちになってしまった。

旅行に行くまでの数日間は、実は少し不安だった。
この旅行が自己満足で終わったらどうしよう?
とか。
旅慣れしてない母と、小さい子供を連れてしっかりと導いていけるだろうか?
とか。

だけど、4日間、ちゃんと、みっちりと、楽しかった。

このnoteにも書いた通り、今回の旅行は
母のための旅行だった。
母を旅行に連れて行きたい!
親孝行旅行にするつもりだった。
だけど、実際旅行を終えてみると、ほとんど自分のための旅行だったような気もする。

きっと、これから先、老いていく母を思う時、成長していく子を見守る時、今回の旅行のことを何度も思い出すだろう。

娘たちが、こんなに可愛い瞬間に、母と一緒に旅行ができたことも、
母の足腰が元気なうちに、歩いて京都やUSJなど、楽しめたことも。
今のタイミングしかなかったのでは!?
と思うくらい、必然的だったような気さえするのだ。


母は、旅行中、何度も
「夢見心地だわぁ」
と呟いていた。

京都の街並みを歩いて、
USJで乗り物に乗って、
神戸の夜景を眺めて、
どの瞬間も、味わうように、
「夢見心地だわぁ」
と呟いた。

何年も旅行などをせずに、家のことを真面目にやった母の目には、
知らない街がどんなふうに映っただろうか?

68歳にもなる前に、もっとたくさん一緒に出かけられたらよかったけど、
そうもいかないことも、たくさんある日々だったのだ。


話は少し逸れるけど、
父と母と妹と、いわゆる“鈴木家”として、最後に旅行したのは、確か沖縄だった。
あれが、最後の4人旅行になるなんて、
その時は思ってもみなかった。
またすぐ何かしらで来れると、
いや、もしかしたら、そんなことすら思わないほど、当然のように旅行をした。

けど、結局あれが最後になってしまった。

最後って、いつ来るかわからないものなんだなぁ、ということがたくさんある。
それは旅行に限らずだけど。

最後の瞬間が
「これが最後なんですよ!」
と教えてくれることは少ないということを、大人になって初めて知った。


こんなこと書くと、母に
「縁起でもないこと言わないでよ!」
と、怒られるだろうな。

もちろん、まだまだ、母と旅行したいし、きっとできると信じているけど。

今回の旅行は、一生の思い出に残る旅行だったということなのだ。
そう。ただ、それだけ。
そう実感すると、楽しかったことが終わって、少し切ないのだ。

まぁ、明日からも頑張るか。
まだまだ行きたいところ、たくさんあるし。
これが最後なんて思わずに、
また行こうねと、約束しよう。

親孝行なんて、何度したっていいのだから。

京都初日
USJも京都の坂も神戸の坂もよく頑張りました!
また思い出したら色々書きます。

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