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いつかハワイに行きたかった

私の父親と母親は、熟年離婚をしています。

きっと、父も母もこのnoteを読むことはないと思うので、書いちゃう。

熟年離婚が恥ずかしいことではないのは重々承知なんだけど

我が家は、他人から見ると「仲良しファミリー」のように見えていたと思うから、

うち離婚しているんだよね、ということを話してしまうと、

父と母の守ってきたものを壊してしまうような気がして、あまり口外しないようにしてきました。


でも、そんな両親も、新しい生活を楽しんでいるようだし、

好きなことを見つけたり、起業したり。

だから、ちょっと、今回は想いと気づきについて、書いてみます。


家族でハワイに行きたかった


私が小さい頃は本当に仲が良くて、家族で交換ノートをやっていました。

今でもそのノートがどんなノートだったかをはっきり覚えていて。

白い表紙に、何のキャラクターだったのかわからないけど、赤いバンダナを巻いた棒人間が描かれているノートでした。

その表紙をめくると、母の字で「家族でハワイに行くぞ!」と書かれていたことも、よく覚えています。


私は小学校低学年で、ハワイというのが、近いのか遠いのか。日本なのか、外国なのか、ちゃんと理解していなかったはず。

でも母の話によると、ハワイというのは、暖かくて、海が綺麗で、まるで楽園みたいな場所なのだと。

お金を貯めて、みんなでハワイに行けるようにがんばろうね!と。家族の目標として、掲げられていました。


行ってみたいなぁハワイ。もし、行けたら、飛行機に乗れるらしい!乗ってみたいな、飛行機。いつか、絶対に、家族でハワイにいけるのかぁ!それは楽しみだな!

と、純粋に、母親の言葉をまるっとそのまま信じてやまなかった。

だって、お母さんが言ってるんだもん。叶うに決まってる!

と強く思っていたことも、覚えています。


棒人間 赤いバンダナで探したら出てきた!これこれ!ハワイのキャラだったのかな!
ハワイって書いてる!笑!懐かしい!Tシャツも持ってた!
誰かのお土産だったんだろうな!

両親は離婚。え、ハワイは?


小学校3年生まで函館に住んでいました。その頃、ちょうど、9歳離れた妹も生まれて、函館の家で、お世話したことも覚えています。

赤ちゃんが生まれると、みんなで交換ノートという文化は当然ながら途絶えてしまいました。

これはさ、やっぱり、自分が母親になってわかるけど、

母親ができなくなっちゃうと、こう言ったことは続かないんだよね。

母は赤ちゃんがいて忙しいわけで、交換ノートなんていうのは当然途絶えるわけ。

私は私で、小学校3年生になると、友達関係も忙しくなったし、習い事も忙しかったし、

ハワイのこともすっかり忘れていました。



4年生の頃、恵庭の家に戻ってきて、いつの間にか、小学校を卒業して、中学生になり、高校生になる頃には、

父と母の仲があまりよくなくなっていました。

この辺のことは、いつか、ちゃんと心の整理ができたら書きたいなぁと思うんだけど、

思春期だったし、きついこともあったな。

でも、だからこそ、今の自分の考え方とかが形成できた気もするから、なくてはならない期間だったと思うことにしています。


妹が成人して、看護学校を卒業すると同時に、父と母は離婚。

父親が、まぁ本当に、なんというか、よく言えば面白い人で、

母親は、まぁ本当に、なんというか、ものすごく真面目な人で、


よく、ここまで続いたね、と、娘としては、褒めてあげたいような気持ちになります。

で、思い出すのです。

「ハワイ行ってないじゃん」

いつかはやってこない。だから今やらなくちゃ!


父も母もすっかり忘れている気がするのだけど、私ははっきり覚えている。

小学校低学年に思い描く、ハワイの感じも、家族で絶対にいけると信じていたことも、交換ノートに書かれていた「家族でハワイに行くぞ!」の母の文字も!

行けるんじゃなかったの!?って、流石に離婚したときには、ガッカリすらしなかったけど、これで本当に、家族でハワイに行くことはなくなったんだなと。

離婚という区切りは、そういうことだよなと。

なんか、少し、寂しい気分になったのでした。


いつか、ハワイに行くんだ、の件に関しては、当時自分が小さかったから、当然決定権も、お金もなかったし、叶えられなかったのも仕方ない。

誰かに委ねないと生きていけない年齢や身分だったし、委ねていた両親が、私ほど強くハワイに行きたいわけではなかったのかも。


これから先、私にはハワイに行くチャンスがあります。

今の旦那さんと娘たちと行けるかもしれない。

もしかするとお仕事で行けるかもしれない。

1人でフラッと行くかもしれない。

とにかく、両親とはいけないだろうけど、私自身には「いつかハワイにいくチャンス」があります。


でもそれだって、わからないよね。

いつかハワイに行くチャンスは、私が動かないと、訪れない。

「いつかのハワイの夢」でまた終わっちゃう。


いつかなんて、こないの。自分が今やらないと。

林先生の「いつやるの?今でしょ」じゃないけど、じゃないこともない!

そうなのよ、いつやるの?今なのよ。


じゃないと“いつか”は現実にならないのだ!

ということを、最近めちゃくちゃ感じているのです。


ちょっぴり切ない母の一言


7月も8月も道内旅行に行きました。夫と娘と。

で、その話を母にしたところ、

「いいねぇ!たくさん行くといいよ。お母さん、いつか行こう!と思っていたのに、その時我慢しちゃって、お金がなくなるのが不安で、行かなかったから、行けなかったもん。行けるときに行くといいよ!」

と言ってくれて、涙が出そうでした。

お母さんだって、行きたかったんだ。そうだ。そうだ。

お父さんだって、行きたかったかもしれない。聞いたことないけど。

離婚は悪いことじゃない。決して。
2人が決めた2人の道だから、良かったと思う。
納得いくこと、いかないこと、いろいろあったと思うけど、
ちゃんと前に進んでいて、すごいなと思う。

2人にとって、最善の方法だったかもしれないけど、
当時は、どうにか、家族を継続できるのではないかと、模索もしたかもしれない。
そんな日々の中で、行きたかった場所も、やりたかったことも、
泡のように消えて行ってしまったのかも。
子供だった私には、わからないことだらけですが、
自分が結婚して子供を持って、寄り添える部分が増えたような気がします。


そんな、母は、京都と四国に行ってみたい!という夢が今はあるそうです。

「いつか連れて行くね!」って言ってるけど、

必ず、いつかじゃなくて、今から計画して、お母さんの行ってみたい場所に連れて行こうと思っている。


“いつか”は今動かないと、実現しないから。

母は、年を重ねてから、大河ドラマにハマり、特に福山雅治さんが演じた坂本龍馬に熱を入れていました(確か)

高知県に行って、坂本龍馬巡りをするのか。

はたまた、京都に行って、ゆかりの地を歩くのか。

どっちもいけたらいいね!私が連れて行ってあげるから、ちょっと待っててね!


今は日ハムに夢中です、エスコンもめっちゃ行ってる。人生楽しんでて良い!


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