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《世界史》ヴィクトリア女王と血友病

こんにちは。
Ayaです。
今日はヴィクトリア女王と血友病についてです。まずは彼女の人生を振り返ります。

ヴィクトリア女王(1819〜1901)

ヴィクトリア女王は1819年エドワード王子とその妻ヴィクトリアの間に生まれました。前回でも触れましたが、父エドワードはヴィクトリアが生後8ヶ月のときに亡くなってしまいます。母ヴィクトリアは今で言う毒母で、愛人と一緒に幼い我が子を支配しようとしていて、当時の国王ウィリアム4世から苦言を呈されています。1837年に即位すると、母とその愛人を退け、華麗な独立を果たします。
しかし、アン女王と同じく、依存する人間が必要な性格でした。アン女王は女友達でしたが、ヴィクトリアの場合は幼くして父親と死に別れたためか、男性を求めました。最初の相手は首相のメルバーンで、臣下というより恋愛関係のようで、"メルバーン夫人"と陰口を叩かれる始末でした。さすがにこのままでは結婚に差障りがあるということになり、結婚相手探しが急がれました。相手はザクセン=コーブルグ=ゴーダ公の次男・アルバートでした。嫌々見合いをしましたが、彼の美男ぶりに心惹かれ、結婚を決めました。

長女ヴィッキーとヴィクトリア女王夫妻


アルバートは最初は人気がありませんでしたが、短気な彼女を支え続け、正式にプリンス・コンフォートの称号を贈られています。ヴィクトリア女王とアルバートの間には四男五女が生まれましたが、長男のアルバート・エドワード(エドワード7世)は素行が悪く苦しめられました。エドワードが大学で不祥事を起こして、体調不良にも関わらず謝りに出かけたため、アルバートは亡くなってしまいます。最愛の配偶者を息子のために失ったヴィクトリアは息子を許しませんでした。
アルバートを失い悲嘆に暮れる日々でしたが、さすがに3年間も閉じこもったため、みなから批判されたので、公務に復帰しました。これ以来、公の場では喪服しか着用しませんでした。
しかし、プライベートではスコットランド出身のジョン・ブラウンを寵愛します。この男性は長身の美男でしたが、粗野でくだけた態度でヴィクトリアに接していました。ヴィクトリアもそれを許し、あまりにも親密だったため、秘密結婚の噂もありました。ヴィクトリアの崩御後、エドワードが彼関連のものを全て処分しているので、あながち嘘ではないかもしれません。そんな彼もヴィクトリアより先になくなってしまいます。

ヴィクトリア女王と使用人ジョン・ブラウン


ヴィクトリア女王は1901年崩御しました。享年81歳で、現在のエリザベス2世に抜かされるまで、最年長を誇っていました。彼女の治世にイギリスは最大の領土を得て、パブリック・ブリタニカと言われるようになります。しかし、国内では有名な未解決事件・切り裂きジャック事件が起こるなど表裏の激しい時代でした。
彼女の子女はヨーロッパ中の王室と結婚したため、彼女はヨーロッパの祖母と呼ばれました。しかし、この婚姻政策は血友病という遺伝病を広げることとなりました。

ヴィクトリア女王とその子孫たち




血友病

血友病とは血液凝固因子の不足で血が止まりにくく、少しの怪我で出血死してしまうような病気です。この病気は遺伝病で、ヴィクトリア女王の前までハノーファー朝では出現していませんでした。原因は彼女の両親が高齢で彼女を出産したためといわれています。
この病気は発症するのは男子のみですが、遺伝するのは女子のこどもだけという特徴があります。ヴィクトリアの息子たちでは一人しか発症しませんでしたが、娘たちの嫁ぎ先では複数人発症しました。今日は彼女の子どもたちと、発症した子孫たちついてまとめます。
(1)第一王女 ヴィクトリア(1840〜1901)
母ヴィクトリアと同名のため、"ヴィキー"の愛称で呼ばれました。幼少時から優秀で、両親は彼女が女子であるのを悔やみました。プロイセン王子フリードリヒ(のちのドイツ皇帝フリードリヒ3世)と結婚します。自由主義的思想のため、鉄血宰相ビスマルクに警戒されていました。夫フリードリヒ3世のドイツ皇帝在位期間は3ヶ月のみでしたが、息子はヴィルヘルム2世となって、第一世界大戦を招きます。母と同じ1901年崩御、享年60歳。

第一王女 ヴィクトリア

(2)第一王子 エドワード6世(1841〜1910)
待望の後継者でしたが、問題行動多数で母ヴィクトリアから嫌われます。デンマーク王女アレクサンドラと結婚。いつか彼の稿を設けるので、今回は割愛します。

(3)第二王女 アリス(1843〜1878)
血友病保因者の一人目です。ナイチンゲールに介護を学んでいました。ヘッセン大公と結婚しました。
男子は2人で、そのうち1人は血友病で亡くなっています。ジフテリアに罹患した子どもたちの世話をしてうつされ、35歳で亡くなりました。残された子どもたちはヴィクトリア女王のもとで養育されました。
娘は4人のうち、イレーネとアレクサンドラの2人が保因者でした。イレーネはドイツ皇帝の弟と結婚、2人の息子が血友病で亡くなりました。アレクサンドラはロシア皇帝ニコライ2世と結婚、息子アレクセイが血友病に苦しみ、ラス・プーチンの登場のきっかけとなります。

第二王女 アリス
彼女の曾孫がエリザベス女王の夫エディンバラ公フィリップ。


アリスの次女 イレーネ
男子三人を出産したが、成人したのは一人のみだった。


アリスの四女アレクサンドラと子どもたち
アレクセイの血友病のため、ラス・プーチンに傾倒、革命を招くこととなる。DNA調査で四女アナスタシアに血友病保因が認められた。

(4)第二王子 アルフレート(1844〜1900)
父の兄の死後、ザクセン=コーブルグ=ゴーダ公位を継承しました。ほとんどドイツ語を話せませんでしたが、地元のやり方を優先したため、慕われていました。日本やオーストラリアに王族として初めて上陸しています。
結婚相手はロシア皇帝アレクサンドル2世の娘マリヤでしたが、彼女は夫を真似ず宮廷女性第一位を主張したため、兄嫁アレクサンドラ皇后から嫌われていました。1900年薨去、享年55歳。

第二王子 アルフレート

(5)第三王女 へレナ(1846〜1923)
結婚相手はデンマーク王家支族のアウグスブルク公三男でしたが、娘をそばに置いておきたいヴィクトリアは喜び、彼女の夫にも殿下の称号を与えました。父アルバートの死後は妹のベアトリスとともにヴィクトリア女王を支えました。
第一次世界大戦中、ドイツ語風の家名を改めることとなります。1923年薨去、享年77歳。

第三王女 ヘレナ

(6)第四王女 ルイーズ(1848〜1939)
ルイーズはヴィクトリアの娘のうち1番の美貌の上、芸術的才能があり大学では専攻していました。結婚ではデンマーク王家やドプロイセン王家が候補にあがりましたが、ヴィクトリア女王が両国との関係を懸念し、スコットランド貴族のアーガイル公爵の後継者と結婚させました。当時王族ではない結婚相手は異例でした。
夫がカナダ総督に任じられ、ルイーズもカナダに向かいます。カナダでは人気がありましたが、体調を崩して帰国します。夫は同性愛嗜好があったり、本人も体が弱かったため、子どもは居ませんでしたが、1939年まで長生きします。享年91歳。

第四王女 ルイーズ

(7)第三王子 アーサー(1850〜1942)
ナポレオンの宿敵ウェリントン公爵が代父になったため、この名前が付けられました。陸軍に仕官し、長兄のかわりにエジプトの反乱を制圧しています。1878年プロイセン王子の娘ルイーズと結婚、一男二女を得ます。1890年には来日し明治天皇に謁見。謁見中指を怪我しましたが、平然と続行したため、明治天皇に賞賛されます。この来日時、日本画家上村松園の作品を購入して話題になりました。1911年カナダ総督に任じられ、退任後は隠遁生活を送ります。1942年薨去、91歳。彼の一人息子が翌年亡くなったため、彼の公爵位は絶えます。

第三王子 アーサー

(8)第四王子 レオポルド(1853〜1884)
ヴィクトリアの息子たちで唯一の血友病患者でした。持病のため兄たちのように軍務にはつけず、ヴィクトリア女王の秘書役を務めていました。血友病のほかに癲癇もありましたが、とても知性的な男性でした。ヴァルデック侯女へレーネと結婚し、一男一女をもうけました。今回取り上げる血友病患者で子どもをもうけたのは彼だけです。1883年癲癇の発作で怪我をして、血友病のため亡くなりました。ちなみに血友病患者本人の子どもたちは息子は血友病にならず、娘は必ず保因者となります。

第四王子 レオポルド

(9)第五王女 ベアトリス
血友病保因者の二人目。ナポレオン4世との結婚話がありましたが、彼の戦死で破談になってしまいます。娘を手放したくないヴィクトリアの希望で、結局バッテンベルク公子と結婚し、三男一女をもうけます。三男のうち血友病を発現させたのは一人でしたが、娘ヴィクトリア・ユージェニーがスペイン王アルフォンソ13世と結婚、スペイン王室に血友病をもたらします。第一次世界大戦中、マウントバッテンに改称します。1944年薨去、享年87歳。

第五王女 ベアトリス
父の死後、姉ヘレナとともにヴィクトリア女王を支える。


ベアトリスの娘 ヴィクトリア・ユージェニー
スペイン王と結婚したが、息子二人が血友病となる。死亡率の高い幼少時はなんとか生き延びたものの、二人とも不慮の事故で亡くなる。

ヴィクトリア女王と血友病、まとめました。彼女の婚姻政策のため、第一世界大戦は『いとこたちの戦争』とも言われます。子息は長男エドワード以外はみんなまともそうですね(ジョージ3世の子どもたちが異常なのか)前にも書きましたが、ヴィクトリア女王が結婚式でウェディングドレスを着用し、あやかりたいと流行したそうです。
次はハプスブルグ家やヴィステルスバッハ家などドイツ系の家々をまとめたいなと思っております。

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