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《世界史》世界恐慌

こんにちは。
Ayaです。
今日は第一世界大戦の終結から世界恐慌についてまとめたいと思います。

ヴェルサイユ条約(1919)


アメリカの参戦によって苦しめられることとなったドイツ帝国。敗戦を重ね、1918年水兵の反乱をはじめ各地で蜂起が発生し、ヴィルヘルム2世が退位・亡命することとなります。いわゆるドイツ革命で、ドイツ共和国(通称ヴァイマル共和国)が成立します。
ヴァイマル共和国政府は連合国(イギリス・フランス・アメリカ・イタリア・日本等)へ休戦を申入れ、1919年ヴェルサイユ講和会議が開かれます。
講和会議に出席したのは、ロイド・ジョージ英首相・クレマンソー仏大統領・ウィルソン米大統領らでした。ドイツ革命の余波でオーストリアが代表を派遣できなかったこともあり、連合国側の意見をまとめ、ドイツ側に受諾させるという方式が採用されました。この方式が膨大な賠償金の原因となります。

ヴェルサイユ講和会議

連合国側の要求は過酷なもので、簡単にまとめると以下の通りです。

  • 海外領土の放棄

  • アルザス=ロレーヌ地方をフランスへ返還する。

  • ライン川左岸(フランスとドイツの国境付近)は非武装地帯とし、フランスの管理下とする。

  • オーストリア支配下の各民族に民族自決権を認め、独立させる。

  • 賠償金は1000億金マルクとし、1926年5月1日まで200億金マルク支払う。

この過大な要求はロイド・ジョージ英首相とクレマンソー仏大統領の思惑によるものでした。
元々、ウィルソン米大統領はドイツに過酷な請求はすべきではないという意見でした。彼は世界平和のために国際連盟の設立を提言するほどでした。一方、ドイツに苦しめられたロイド・ジョージ英首相とクレマンソー仏大統領は二度とドイツが立ち直らないように過酷な要求をしました。結局、ロイド・ジョージ英首相とクレマンソー仏大統領の意見が通り、上記のような内容になってしまいました。
勿論ドイツ側も反発しましたが、条件を飲まなければ戦争を継続するといわれ、仕方がなく受諾しました。この過酷な要求はヒトラー台頭の基盤となります。
ウィルソン提唱の国際連盟も成立したものの、アメリカ自体が議会の反対で参加できず、その力も限定的なものとなってしまいます。

世界恐慌(1929)

第一世界大戦が終わり、世界は束の間の平和を取り戻しました。特にアメリカの経済発展の勢いは強く、人々は豊かな生活を謳歌します。このころのアメリカ社会はまさに『狂騒の20年代』の世界で、人々は投資に乗り出します。

リンドバーグによる大西洋横断はこの頃

しかし、その栄華は長く続きませんでした。1929年10月24日木曜日、株価が暴落したのです。のちに『暗黒の木曜日』と言われる日でした。なんとか買い支えようとしますが、失敗。『悲劇の火曜日』10月29日を迎え、アメリカ経済は破綻します。
すでにアメリカが経済の中心となっていたこともあり、世界中にその打撃が向かうこととなります。人々は失業し、路頭に迷うことになります。

短いですが、今回はここまでにします。アメリカの世界恐慌によって、世界は2度目の世界大戦を起こすこととなってしまいます。


昨日の『ガラスの仮面』との差wwえげつない笑
次はファシズムの台頭としてムッソリーニ政権の成立についてです。
noteまとめに無言館の記事が取り上げられたようで嬉しいです!



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