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陰謀論拡散、悪いのはAIではなくやっぱり人間である

■開けたウェブに生まれた「閉ざされた言語空間」

米大統領選をめぐる「情報ソースの大混乱」や「陰謀論の広がり」が改めて話題となっております。SNSやYouTubeにおけるエコーチェンバー現象や「関連動画」が次々と再生されるアルゴリズムの仕組みによって、「開けているはずのインターネットで、閉ざされた情報に漬け込まれてしまう」状況が生まれていることが指摘されております。また、「いいね」や「RT」を得たいという報酬系を刺激され、より「ウケる」ネタや言説を振りまいてしまう行為も問題視されるところ。

Netflixの映画『監視資本主義』では、こうした仕組みを作った側の技術者たちが「懺悔」するドキュメンタリー映像に、アルゴリズムにはめられた人間の哀れな末路がドラマ仕立てで差し挟まれながら、「人を幸せにしたかった・マネタイズのためにやった」ことが、他人を不幸に陥れてしまう現状を描き出しています。

「人のためになると思ってやっていたけれど、そうではなかった!」と気付いて、今度はその危険性を周知させるための活動に励んでいる技術者の方を見ると、「いやいや、そうはいってもあなた方はそれで生活してたんじゃないんですか」という思いが1割くらいありますが、一方で「あかんと思ったらすぐに身をひるがえせる」というフットワークの軽さは、うらやましくもあったりします。

■アルゴリズムとやらに負けてたまるか精神

この「アルゴリズム」というのは確かに曲者で、多くの方がご経験のあるようにamazonでひとたび何らかの本や商品をクリックしたら、欲しくもないのに延々と似たような商品が表示されたりするわけです。「私」のデータの一部が独り歩きし、別のそれっぽい人のデータと組み合わされて勝手に「私像」を作り上げ、「ああいうのを買うお前なら、こういうのも欲しいはずだよな」と押し付けてくる。

しかもそれがことごとく的外れだったりもするわけです。あるいは、そこそこそれっぽい商品を表示していながら、本屋で「これ出てたんだ、なんでamazonは知らせてこないんだ!!」とめぼしい本を見つけて腹を立てたりもするのですが、その時私はむしろ「アルゴリズムに勝った!」と思うわけです。書店に足を運んだうえでの自分の選球眼、アンテナの張り方はもちろん、「ククク…amazonのやつ、私がこの手の本まで食指を伸ばしておるとは気づきもせんのだな…」「お前のところでだけ、本を買っていると思うなよ!」などと。

それはともかく、アルゴリズムというのはこの程度であって、いくらエコーチェンバーと言っても人間というのはファジーであいまいな存在。気分によって、昨日までと今日からとで指向が変わることなんてよくあるのです。

また、SNSなどについても確かに技術によってある一定の方向性の思想ばかり強めてしまえる仕様はあるにはありますが、例えばツイッターでも、そのタイムラインを構成しているのはユーザー自身のフォロー傾向によるところが多い。そもそも「同じような意見ばかり見聞きしていて、面白いんですか、飽きませんか」というのもありますよね。「違う意見を目にすると血圧が上がる」という状況にある人はもう結構症状が進んでいます。

■ゴミ情報を放流しているのはやっぱり人間

何より、現在はすでに「その、仲間だと思ってフォローしたり追ったりしている情報源、本当に『仲間』なんでしょうか?」ということから、疑わなければならない世の中です。

例えばロシアは、西側(特にアメリカ)の世論を分断すべく、ネット上にトロールと呼ばれるニセ情報を流して影響力を及ぼしたり、人々の認識を撹乱させたりしている。しかもそれを組織的にやっているというのだから驚きます。

そうした「トロール工場」については、こちらの二冊で紹介されていました。

また、後者の方では「(おそらく)金儲けのためだけにフェイクニュースを作っては流し、作っては流しして、挙句そうしたビジネスを始めるための学校までやっている人物」へのアタックも試みられていました。

つまり、技術によってエコーチェンバー状態になっているとはいうものの、その元になる記事はやっぱりまだまだ人間がネット上に放流しているのであり、当然のことながら引っかかって更に拡散するのも人間だ、というわけです。

確かに技術(による仕組み)やAIが勝手に判断して送りつけてくる情報に、我々現代人は振り回されてはいますが、そうした技術側はまだ「善悪」の区別をつけることはできないし、人工知能と呼ばれるAIに至っても、そうした判断もできなければ、結果の「責任」を取ることはできないのです。

だいいち、そうした仕組みをこしらえているのも人間なんですからね。

■腹を立てながらも違う意見に触れるしかない

悪意ある側は、金や政治的目的のために嘘を書き、ばらまく。しかも読み手に取って「事実を飛び越えるくらい面白い(嘘だからね)情報」だったり、「こうだったらいいのに」と思うような、もう撒き餌でしかないものが大量に放流されてくる。

対抗する受け手側としては、「気を付ける」以外にないわけですが、こうなってくると「ネットの不確か情報」VS「老舗メディアのクレジット付き記事」ということにもなってきて、オールドメディアと呼ばれて袋叩きに遭ってきた側の巻き返しが始まりかねません。

かねません、といってもこれだけどうしようもない情報が行き交う中では、「少なくとも事実であるらしい情報」を掬い上げるにはそれが最も効果の高い「網」になってしまいます。

一方で、「事実関係としては老舗メディアの情報を摂取しつつも、判断に関しては譲らない」ということも必要かもしれません。もちろん「メディアを疑え!」がいつの間にか「メディアの逆が正しい!」「メディアが報じていないものにこそ真実がある!」と思い込みすぎるとまずいことになるわけですが……。

いわゆる「ポストトゥルース」を嘆く系の翻訳本や、ネットで陰謀論にはめられていく悲しい人々系の本を読んでいると、いずれもが「トランプ自身や支持者を批判する」ものになっているケースが多く、「あー、こうやって低能扱いされたら、どんどんディープな陰謀の世界へ行きたくもなるよな」と思わなくもない。

例えばこのあたり…。いや、面白い本なんですけどね。

バイデン支持者や、オカシオコルテス支持者なんかにだって、ともすればトランプ信奉者に勝るとも劣らない「ヤベー奴ら」がいるんじゃないのと思うのですが、そういう人はこの手の本を書く人の「考察対象」になりにくいんですね。

そうした非対称性が現状を生んだんだなと背景に思いをはせつつも、「メディアを疑っている。だが現実世界から浮遊するつもりはないぞ」という皆さんは、アルゴリズムに負けず、時にムカつくツイートを飛ばしてくる論者もフォローし、「インテリがポリコレ棒で殴ってくるんじゃねーよ」と腹を立てながらもその手の本を読んで、自らそうした「壁」を克服するしかありません。

共に頑張りましょう!

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