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手に職つけなさいと言い続けた母の気持ち

私の母は、専業主婦だった。
時々パートはやっていたように思うけど、長く働いていたことはなく、40代の半ば以降は、外で働くことはなく主婦をやり続けていたと思う。
家に帰ると母がいた。おやつもあり、ご飯もあり、洗濯もされていた。部屋は床に物が散らばっていたけれど、2LDKの家はそれなりに片付いていたと思う。

ちゃんと主婦をしていたと思う。
でも、子どもの頃の私は「お父さんは外で仕事で大変だけど、お母さんは家で昼寝付きで気楽でいいな」と思っていた。
どことなく、「お父さんはえらいけど、おかあさんはそうでもない」の印象がついてしまっていたのだ怖いことに。

母はちゃんと主婦をしていた。でもそれに自信を持てている人ではなかった。
「あやちゃん、あなたはちゃんと手に職をつけなさいね。うちみたいになったらあかん。別れたくても、わかれられへんもん」
と、夜寝る前によく言われた。今思うと、なかなかヘビーな愚痴を子供に聞かせたものだと思うけれど、心の底からの本音だったんだろう。

父は浮気をしたことはないと思うけど(知らないだけかもしれないけど)、酒癖が悪く、趣味にはまるタイプで、子どもや家庭を顧みるタイプではなかった。収入をあげて家を買おうとか、家族で海外旅行に行こうとか、そういうのをモチベーションにする人でもなかった。
雨風しのげる家と、食べるものが十分あればそれでいい。という人だった。

でも母は、若い時は美容師の専門学校に行ったり(中退したらしいけど)デパート売り場で働いたりと、華やかな場所が好きだった。
一度だけ、母と近所のおばさんと冷やかしでモデルルームに行った。
「うわー!すてき!」と、母が子どものようにはしゃいでいたことを覚えている。
自分には、手に入らないものへの憧れ。
母はよく愚痴を言う人で、お風呂場でぐちぐちと夫や世間や自分を呪い、吐き出してすっきりしていた。

それを聞くのが本当に嫌だった。
自分のことを棚に上げ、娘に「手に職をつけろ」と言ってくる母が嫌だった。
干渉しないで欲しいと反発心があったのだろうか。私は高校卒業後、母にずっと進められていた看護師の専門学校ではなく、大学の文学部に進んだ。

反発したくせに、不安があった。手に職をつけていない自分は、母のように誰かにすがらないと生きていけなくなるんじゃないか。

いまも覚えているのは、「手に職をつけなさいよ」と私に言う母の悔しそうな声。今思えば、あれは心からの親心だったんだと思う。自分の娘を同じ境遇にしないために。

今私は、なんとか経済的に自立できている。とはいえ、子どもと家のローン抱えて家族全員養えるかっていうと「ちょっとしんどいなあ、パートナーよ君も稼いでくれ」と言わざるを得ないくらいの甲斐性だ。
それでも、いざとなれば少しくらいは踏ん張れると思う。

母は、父が死んだのちに病気の兄を看取ってから死んだ。父が死んで10年後だった。

今の時代、男も女も関係なく「手に職」が必要な時代になってしまった。終身雇用や大企業も当てにならない。自分で生きていく力が昔より求められるようになってしまった。
くるしいなあと、時々思う。なにも考えずに生きていければいいのに。
きっと母も愚痴りながらこんな気分だったんだろう。
今さらごめんね。少しだけお母さんの気持ちがわかるようになりました。
でも、お母さんみたいにはならないようにがんばります。


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