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人生はルービックキューブ

次男が高校生のころ、急にルービックキューブをやり始めたことがあった。

なんでもクラスメイトで瞬時にルービックキューブをそろえられる子がいて

憧れたらしい。自分もできるようになりたいと練習を始めた。

父親というのはなぜだろう。何かというと息子と張り合う。

あちら側には一切その気はなく、平和的交流を望んでいるにもかかわらず、すぐに戦いを挑もうとするのだ。

全ての面をそろえるには、キューブを回転させていくときの法則があるらしい。その法則を暗記することがルービックキューブを制覇するコツらしい。

私は全く興味がなく、次男と夫が練習する様子を目の端に見ていた。

そのうち、いつの間にか三男も参戦していた。

タイムを縮めるためには回転の滑りが良いものが良いと、自宅にあった古いもの以外に新しいものを購入し、3人はせっせと手元と頭を動かしていた。

結果、3人は驚くほどのスピードで、6面の色をぴたりと合わせられるようになった。

「特技できたね」と声をかけると「ああそうか、これ特技になるか!」と

子供たちは笑っていた。


法則があるといっても、その法則を使うには自力で「完全一面」というのを仕上げなければならないらしい。

自分でルービックキューブをみて、一面だけは自分の思考で色を揃える。

へえと思った。ふーんと深く息をした。

自分が日常生きていて、ふとした瞬間にルービックキューブを回転させる

子供や夫が、手元に集中している背中を思い出す。


生きていると、回転して回転して、きた!という瞬間が訪れてきれいに色が揃う瞬間がある。

あーーやっとここまできた。と思っても、別の一面はぐちゃぐちゃなことがある。

仕事がうまくいっても、家庭の心配事を抱えていたり、子供のことで嬉しくても、実家に心配事が発生したり、新しい友達ができても、うまくいかない人間関係もある。

そんな風に、私はいつでも6面の色がぴたりと揃わない、モザイクのような人生を生きている。

もしも、それがうまくいくマニュアルがあって必死に覚えて、全てが整う人生があったとして、私はその人生をちっとも魅力的に思えない。

すべて揃うことが完成形だと思う価値観があると同じように、いくら回転してもいつまでもそろわずに馬鹿みたいにモザイクしか作れない人生が面白いという価値観もある。

人のnoteを読んでいて、「黄色がそろったな」とか、「もう一回崩したんだな」とか、勝手に思ったりする。

私のルービックキューブは、時々自分以外の力でぐるぐる回る。

それはきっと誰のものでもそうだろう。

どんなにモザイクが複雑になっても、「これもなかなかきれいじゃないか」と受け止めて、自分のなりたい色を目指していくような私でいたい。

今日は天気が良い。温かいひかりに春の気配が見え隠れしている。

外にはまだ雪が沢山積もっていて、日差しを反射して目に眩しい。

いつでもはじまりでしかない。いつでも続いている。

とりあえず、自分の目指す一面の色を揃えるために、手元じゃなくて体全部でぐるぐるもがいて、行ったり来たりを繰り返していこう。

そんな朝だ。

お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。