自開症
笑福亭鶴瓶さんがほぼ日の学校で講演した際に
以前タモリさんから、
あなたは自開症だ。と言われたという話を聞いた。少し前の話だ。
自分をオープンにするにも程がある。誰に対しても興味があれば話しかけ、話しかけられたら答える。
そういう性分が行き過ぎている。もはや病いではないかと指摘されたというような内容と記憶している。
タモリさんは半ば呆れたような気持ちでまじめに話されたのか、ふざけて揶揄うように話されたのか、どちらとも想像できるが、私はこの話をする時の、鶴瓶さんがなんとも好きだった。
自分を開かなければ、相手も開いてはくれない。
鶴瓶さんは先行型だ。待つより行く。
その潔さは、懐の深い温かい一面と、踏み入ることを恐れない勇気とちょっとした狂気みたいなものも感じて、私はいつもかっこいいなと思う。
私は鶴瓶さんみたいになりたいなあと思っているそばから、ダメだなとも同時に思う。
誰にでもいい顔はできないし、自分の心を開けたり閉めたり、冷蔵庫なら中の食品が腐る!と叱られるほど開閉を繰り返している。
開いたら飛び込んでくんねん。おもろいやろ。
と目を細める鶴瓶さんはますますかっこいい。
冷蔵庫はあけたまんま、なんでも好きなもんもっていきぃ。って言えるんだもんな。
自分を開いていくということは、誰かに委ねることでもある。
甘えるには覚悟がいる。甘えない方が容易い。
委ねることをリラックスしてできるようになれたら、もう少し扉は軽くなるかなと思う。
こんなことを、例えば職場で話すことはない。
友達にも言わないだろう。おしゃべりするには
オチがない。
私が鶴瓶さんになりたいけどなれないんだ。と言ったら、そうね、おだんごはおだんごでいいじゃない。で終わりだ。
んだな。で、私もコーヒーを飲むしかない。
だから、noteっていいですよね。
だから、何?の話がもしかしたら誰かの頭にタネとなり飛んでいき、また発想や気づきになったり
するかもしれない。
その可能性があるということが書くことの力になる。
いろーんな人がいて、立派な人や、素敵な人はたくさんいる。
その中でも、私は笑福亭鶴瓶さんという方を素敵で、憧れを抱いて見つめている。
受け入れることを恐れず。
受け入れることを楽しむ。
生きることには幾通りもの楽しみ方や面白がり方があることを、忘れずにいたい。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。