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彼は、もうこの世界に不在だけれど。

昨年、雨が降る寒い夜に、喪服に身を包んだ私はお別れの会に参列していた。
大学時代にお世話になった先輩が交通事故で亡くなったのだった。
それから1年間経ったけれど、彼に会う事はできず、彼は丸1年間、この世界に不在だった。

そんなことを、先週の土曜日、彼の一回忌に参列していた時に考えていた。

不在。
亡くなるということは、「いない」状態が永続的に続いていくことだ。
仲間内で集まっても、もうそこに彼はいない。明日も、明後日も。その次の年も、ずっと。
そんなことを考えると、胸が張り裂けそうなくらい悲しい。

一回忌の場で、先輩のお母さんに挨拶をしたとき、「〇〇とは、どんな関係だったのですか。どんな話をしていたの。」そんな質問をたくさんして頂き、思い出話がたくさん行き交った。
私も含め、彼の友人たちはみんな、目に涙を浮かべながら思い思いに彼が「いた」頃の話をしていた。
それを、お母さんは「そんなことがあったんだねえ。」と肩を震わせながら受け止めてくれる。まるで、これから息子と共に歩むことができない未来の空白を、自分の知らない過去の思い出で、どうにか埋めていくかのように。たくさん質問と思い出話が行き交っていき、いつのまにか涙は乾き、自然とみんなの顔に笑みが溢れていた。

彼はもうこの世界に不在だけど、
でも一方で、そこには彼が残した暖かい仲間たちが「いる」。そして、思い出話の中に、いつでも彼の存在を感じることができる。

人が亡くなるということは、不在になるということ。だけどそこに彼を想う人がいれば、きっとそこに「いる」彼に会える。

この暖かな弔いの気持ちを、忘れたくない。

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