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人間が生きることを肯定したい・37「四国お遍路旅の記録・2~心の変遷~」

『自分のために、
この一生があるのではなく、
人の為に役に立てるためにこの身体がある。
この身体が健康に動く限り、
最後の瞬間まで、
仏様に代わって働く。
その誓いが、
私たちを仏様やお大師さんに近付けてくれるのです』

~四国一番霊山寺住職の教え~
                 

四国八十八箇所のお寺すべて打ち終わることを
「結願(けちがん)」という。

その言葉から、なんとなく
「あぁ、お願いをしていいのだな」と私は考えた。

そこで、神社に初詣でをするときと同じような感覚で
手を合わせながらお願いごとを唱えた。
神社の神さまにお願いごとをするときは、
神さまがよくわかるようにできるだけ具体的にしたほうがよい、
と聞いたことがあったので、お寺でも具体的にお願いをした。
今の私が願うことを、4つ。

一番札所からしばらく、
私は特に何の疑問も持たず、
4つのお願いごとを唱えてまわった。

しかし、歩き始めて10日ばかりたった頃だろうか。
なんの拍子か、ふと心に問う声がした。

「仏さまはいったいどうして私の願いを叶えてくれるのだろう?」と。

おばあちゃんが孫におもちゃを買い与えるわけじゃあるまいし、
ただただ可愛くて無条件に甘やしているわけはないんだ。
私に何かを期待していて、
その代わりにお願いを叶えてくれるのではないか?
そのとき、冒頭の教えを啓示のように思い出した。

そうか。
私はこのお願いごとが叶ったら、すごく幸せだ。
優しい気持ちでいられるだろう。
穏やかな暮らしができるだろう。

それは私自身のためじゃない。
その幸せから湧いてくる力で、
世の中の役に立つためなんだ。

がんばって働いて、
少しでも他人の役に立つためなんだ。

私の力は、「人が幸せになる仕事」に使うためにある。

その力が最大限発揮されるために
私は幸せであるべきだし、
幸せでいられるよう、
仏さまも私のお願いごとを叶えてくれる。

自分の幸せと他人の幸せ。
どちらが先というのでもない。
つきつめると、同じもの。
それが人間の生き方の本来の「在りよう」なのかもしれない。

そんな当たり前のことを忘れたままで
10日間歩いていたことが、
とても恥ずかしくなった。
でも、10日目に気がついて良かったなぁとも思った。

それからは、お願いごとの後に、

「このお願いを叶えてくださったら、
世のため人のため、
精一杯力を尽くして生涯がんばります」

と誓うようになった。

「世のため人のため」なんて、
ヒーローもののアニメじゃあるまいし、
普段なら胡散くさく思えるのだが、
額に汗しながら仏さま、お大師さまに手を合わせるときは、
透明な心でその言葉が言える気がするのだった。


そんなふうに「わかった」ような気で歩き続けて16日目、
五十一番の石手寺で、衝撃の体験をする。

石手寺には「都卒天洞」と呼ばれる洞窟がある。
本堂から大師堂へ抜ける100mにも満たない小さな洞窟だ。
外は相変わらずひどい暑さなのに、
洞窟に一歩入ったとたん、ヒヤリとした空気が肌をなでた。
汗がすっと引く。
外界の光はほとんど入ってこず、薄暗い。
一本道の両側に、何体もの仏様が並んでいる。
静かだ。
足元の砂を踏みしめる音と
あちらこちらで時々落ちる水滴の音、
それだけが聞こえる。
完全に外界から切り離された空間に思えた。
途中、ひときわ大きな観音様の姿があった。
観音様に見下ろされながら、
手を合わせて頭をたれた。
そのとき、自分の体の形に薄い膜が張られたように
体が動かなくなった。
こわくはなかった。
どちらかというと心地良い。
水滴がどこかで落ちるたびに、
心はどんどん凪いで、静まりかえっていく。
どのくらいそうしていただろうか。
ふと体が動いたので、一礼をしてまた歩き始めた。
洞窟を出ると、それまでの数十分間が夢であったかのように
外は暑く、セミがうるさく、人々がざわめいていた。
すぐそばの石に腰をおろし、私は呆然としていた。
そのままぼーっとしていると、なぜか涙が出てきた。

それは、自分の罪深さを悔いる涙だった。
ごまかしがきかなくなっていた。
愚かな過去、
心の偽善、
嘘、
すべてが心にのしかかり、
情けなく、つらくなった。
泣いて、泣いて、泣いた。

しかし、暑い空気が体に染みていくにつれ、
そのつらさもだんだんに消えていった。
その後、自分の中で何が変わったのかは上手く言えない。
何も変わっていないのかもしれない。
しかし、母の胎内を再び通って生まれなおしたような、
そんな感覚すら持ったのだった。


「私はどうしてこの遍路旅に出たかったんだろう」

お寺の宿坊に泊まると、テレビもなく、夜が長い。
12畳敷きの広い部屋にポツンと座りながら、
そんなことをつい、とりとめもなく考える。

「どうして遍路に来ようと思ったんですか?」

旅の途中で何回か聞かれた。
そのたびに答えにつまる。
上手く言えない。
もしかしたら、自分でもよくわかっていないかもしれなかった。
一言でいえば「心の整理をつけるため」だった。
じゃあ、心の中がどんなふうだったのか。
長い夜にそれを思い返す。
関わってきた人々のことを考える。

私は他人をどんどん自分の中に取り込んでしまう。
相手の感情に振り回される。
相手の言葉に翻弄される。
それが相手の感情だか、
自分の感情だか、
区別がつかなくなってしまう。
捨てられないと思い込む。
すべて大切だと思い込む。
そうすると、自分の中が矛盾でいっぱいになっていく。
重く、息苦しかった。
しかも、望んでそうしているのだから始末におえない。

忘れたかったんじゃない。
自分の中の想いを見つめなおし、確認したかった。
仕事からも人からも一旦距離をおいて、
自分にとって本当に大切なものを再確認したかった。

そして、修行の旅に出ることで、
自分が今まで犯してきた罪を浄化したかった。
許されたかった。

でも神々しいものに触れるたび、
心が静かになるごとに、
自分の愚かさを深く思い知るばかりだった。

隠し、
目をつぶり、
ごまかしてきたものが照らされていく。
やったことは「なかったこと」にはできない。
それを背負いながら、
これからどう生きていくかを問われていた。

私はそう簡単には変われない。
でも四国を歩いたことで、
背負い込んでいたものがポロポロと落ちていき、
キラキラしたものだけが胸に残った。
キラキラと私を照らし続けてくれる人。
キラキラ光る信念。

この先また、
余計なものを背負い込むかもしれない。
それでもがんばっていこう。
仕方ない。それが私だから。
今の気持ちを忘れなければ、
きっと大丈夫。
きっとできる。
必ずまた、働ける。


お寺という場所も、
遍路の白装束も、
「死」をイメージさせる。

杖をつくたび響く鈴の音は、
あの世へ一歩一歩近づく道程をイメージさせる。

だからこそ、「生」を考えさせられるんだ。
「死」に向かっていく「生」を、
一日一日どう生きるのかということを。


さて、いよいよ結願の日。

その日は八十八番大窪寺を目指してただひたすら歩く日だった。
宿から大窪寺まで行くルートは、大きく2つあった。

距離は長いが、山をまわりこみ、平野を行くルート。
危険と言われる岩登りのある女体山を越えていくルート。

山越えルートは平野ルートの2倍は時間がかかる。
私は平野を行くつもりだった。
山はもうこりごり。
今までの旅を振り返りつつ、平野をじっくり歩こう。

ところが、「へんろ道マーク」をたどっていくうち、
知らず知らず山のほうへ誘い込まれていた。
「あれ?!」・・・気がついたときにはもう遅い。

最後の「お遍路ころがし」は、想像以上に手ごわかった。
あいかわらずの虫の大群。
クモの巣にひっかかり、
丸太に頭をぶつけ、
台風で崩れ落ちた道を岩壁にへばりつくようにして進む。
山頂に近づけば近づくほど道は険しくなり、
少しでも気を抜くと転がり落ちそうな岩場をよじ登っていく。

山越えをするつもりはなかったので、
水も充分に用意していなかった。
しかし汗は容赦なく体から流れ出ていく。
なにせ季節は真夏だ。
「もう~だから山はイヤなんだよ~!」
最後まで泣きべそをかきながら、
なんとか山頂についた。

そこには、眼下の景色を一望できる、大きな岩があった。
空に突き出しているような岩。

私は荷物を降ろし、岩の上へあがった。
岩の先のほうまで行き、腰をおろす。
言葉が出ない。
私は飽かず、いつまでもいつまでも岩の上から景色を眺めていた。

岩の上で何を感じたか。

それは「私は独りなんだ」ということ。

生きている中で感じる苦しみも喜びも、
私ひとりのものでしかない。
疲れきった体と渇きの中、
私がどういう気持ちでこの眺めを見ているかは、
私以外の誰にもわからない。

この美しさは、私の心というフィルターを通して目に映るものだから、
例え同じ景色を見た人がいても、
同じ美しさを感じているわけではない。

この瞬間、
この景色、
この心、
これは誰とも分かち合えないものなんだ。

そのことが切なく、また誇らしくもあった。

絶対的な孤独、それを知っているからこそ、
周りにいてくれる人々のことをかけがえなく思う。
どんなにでも大切にしたいと思う。
一緒に生きていきたいと思う。
矛盾しているようだけど、矛盾していない。

涙が出るのは、さみしくて、でも嬉しいからだ。
「独り」、だけど「一人」じゃない。

=====DEAR読者のみなさま=====

「本当の祈りは日常にある」

遍路に出て、そう気づかせてくれたのは、
高知に住む親戚でした。
私が遍路に出るという知らせを受けて、
ビックリあわてて案内をかってでてくれたのです。
数日間、一緒にすごさせてもらいました。

今回お世話になった高知の親戚は
父方の亡くなった祖母の血縁だったので、
久しぶりにおじいちゃんやおばあちゃんの話をたくさんしました。

ご先祖さまが手がけていた仕事の話、
可憐な乙女だったおばあちゃんが
おじいちゃんにお嫁入りしたときの話、
私が産まれて、おばあちゃんがどんなに喜んでいたか。

懐かしく、楽しく思い出話をした日の夜、
私はあんなに可愛がってくれた祖父、祖母になんの恩返しもできなかったことが、
心から悔やまれました。

私の心がまだ幼く、
自分のことで精一杯だった頃に
祖父も祖母も他界してしまいました。

無償の愛情に何も返せなかったことが情けなく、
申し訳なく、
今更ながらとても悲しくなりました。

そしてハタと気づいたのです。

八十八箇所、決意してまわり始めたけれど、
家の仏壇には、
仏さまもお大師さまも、
祖父も祖母もご先祖さまも、
ずっとちゃんといたのだということ。
四国まで来なくても、
毎日すぐそばにいたということを。

結願したあとは、
日常の中の祈りや想いこそ大切にしようと、
心から思いました。

自然に
穏やかに
素直に
すねずに
恥ずかしがらず
淡々と
大切なものを大切にする
きちんと丁寧な生活を送っていきたいと思います。


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※これは20代の頃に発信したメールマガジンですが、noteにて再発行させていただきたく、UPしています。

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