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【プロセカ】「RADderとボカロシーンの共通点」(イベントストーリー「Light Up the Fire」考察)


【はじめに】

はじめに


結論から言おう。
今回のイベストでボロ泣きした、と。

筆者はプロセカをサービス開始日から遊び、イベントストーリーも(全てとは言えないまでも)読んできた。
それでも、泣いたのは初めてだった。


裏腹に、SNSでは否定的な意見も多い。
「RAD WEEKENDがただの解散(追悼)ライブだったなんて」
「モブ中心のストーリーなんか、面白くない」

確かに、キャラクターに重きを置いた「プロセカ」にとって、「推し」の出番が少ないというのは致命的だ。
良くない感情を抱くのも仕方ない。

だが私は、このイベントストーリーに、ボカロシーンへの深い理解と愛情を感じた。


かつて「般若心経」ブームに笑い、放課後のカラオケで「千本桜」を歌い、「砂の惑星」に思いを巡らせ、そしてプロセカで再びボカロを聞き始めた人たちに伝えたい。
このゲームは、ボカロシーンへのリスペクトでいっぱいだと。

あるいは、今回のストーリーに思うところがある人が、溜飲を下げるきっかけになればいい。

本稿について

筆者が興味を持ったのが、「RAD WEEKEND」の主催者だった「RADder」だ。

今回は実際のボカロシーンと「RADder」の軌跡を比較することで、「プロセカ」が「ViVid BAD SQUAD(以下「ビビバス」)」に何を託したのかを考えていく。

本稿は、読者がイベストを読了していることを前提としている。あらすじは割愛、ストーリーの根幹にも言及する。
また、引用元が記されていないものは、今回のストーリー「LIght Up The Fire」から引用した。
なお、敬称は省略させていただいた。


【なぜストリートなのか】

「ストリート」とは?

まず、「ビビバス」のテーマである「ストリート」について確認したい。

「プロセカ」の5ユニットにはそれぞれテーマがある。
「バンド(Leo/need、以下「レオニ」)」「アイドル(MORE MORE JUMP!、以下「モモジャン」)」「ストリート」「ミュージカル(ワンダーランズ×ショウタイム、以下「ワンダショ」)」「アンダーグラウンド(25時、ナイトコードで。、以下「ニーゴ」)」だ。

そもそもなぜ「ビビバス」は「ストリート」なのだろう。「ヒップホップ」ではいけないのだろうか。
ヒップホップ・カルチャーの語義については、以下の通りだ。

DJ、ラップ、ダンス、グラフィティを主要な活動領域とする音楽文化。1970年代にニューヨーク市ブロンクス区の公園や街頭で開催されていたブロック・パーティと呼ばれる野外イベントに起源を持つ。

ヒップホップ・カルチャー | 現代美術用語辞典ver.2.0 (artscape.jp)

「ビビバス」は「ヒップホップ・カルチャー」を反映している。立ち絵のストリートファッションはもちろん、イベント「夏祭り、鳴り響く音は」では、彰人と冬弥がダンスに挑戦する。

ユニットロゴもグラフィティアートがモチーフだ。

杏と彰人にはフリースタイル(MC)の経験があると語られているし、「ストリートのセカイ」のKAITOは、作中でDJを披露する。

DJを披露するKAITO。非常にかっこいい

それでもあえて「ストリート」と表現するのは、物語の舞台であるビビッドストリートという「場」に注目したいからだと考えている。
なぜならボカロシーンもまた、ニコニコ動画という「場」と共に拡大してきたカルチャーだからだ。


ボカロとの共通点

「場」があれば、自ずと「人」が集うものだ。ここにも、ヒップホップ・カルチャーとボカロの共通点がある。

anigmaは、日本のHiphopとボカロシーンの両者に「冬の時代」があったことを例に挙げ「Hip Hopのメインストリームは、”シーン”の存在がまず前提としてあるジャンル」だと語っている。

ここで「下剋上(完)」という楽曲を見たい。
今回の書き下ろし楽曲ではなく、一行Pが2008年4月10日に投稿した楽曲である。

歌い出しに「二代目襲名/早三月 /番付埋めるは先代ばかり」とあるように、鏡音リン・レンの発売から3ヶ月たっても、初音ミク(先代)ばかりがランキング(番付)を席巻していた「シーン」に対して書かれた曲だ。
この箇所からも、ボカロシーンでは同時代性が重視されることが分かる。

さらに「下剋上(完)」は、シーンの「人間」に対しても言及する。

 夢をくれる/楽師たちには夢かなう声を
 ふたり描く/絵師たちには笑顔を捧げるぜ

(下剋上(完)/一行P)

曲を作る「楽師」だけでなく「絵師=絵を描く人」、さらに、ジャンルを問わず「鏡音」の創作をする「鏡音創り」にまで言及し、「GJ(グッジョブの略語)」とエールを送っている。
ボカロシーンは、ニコニコ動画という「場」において、音楽の作り手/聞き手という関係のみならず、あらゆるクリエイターを巻き込みながら成長した。
   
「プロセカ」の脚本を手掛けた枡井氏も、「ワンダショ」を作るにあたって、ボカロシーンの「ただ曲を作るだけではなくて、絵を描いたり漫画を描いたり、それぞれが自分自身のできることを持ち寄って、ニコニコ動画という場所でみんな一緒にワッと楽しめる」側面に気づいたという。

1番の「変な捏造のせいでニコでの俺の扱いはショタ」は、「下剋上(完)」が発表されたフィールドが「ニコ(ニコニコ動画)」であること、当時の鏡音レンが「ショタ」として扱われていたことを知っている人がクスリとできるフレーズだ。

このように、「ストリート」と「ボカロ」は「シーンの存在が前提」である……。
楽曲そのものだけでなく、周辺の出来事や人間の動きも重視される点に、類似性を見出すことができる。

【RADderとボカロシーン】

注目したい点

ストリートの定義、ボカロとの類似性を明らかにしたところで、いよいよ今回のイベント「Right Up the Fire」(以下「イベスト」)の話に移ろう。

今回のイベストの中でも、特に以下の点に注目したい。

  • 大河が歌の対戦を持ち掛ける。「ビビバス」をはじめとする仲間は惨敗し、「RAD WEEKENDを超える」という気持ちを折られてしまう。

  • 約20年前、RADerは大手事務所を退社。独自のレーベルを立ち上げた。

  • その十数年後、「RAD WEEKEND」が開催された。 RAD WEEKENDの後、凪は病死。大河は街を離れ、謙は残った。

  • 謙が伝えた凪の言葉によって、杏は「RAD WEEKEND」を超える夢を諦めたくないと強く思った。


「プロセカ」のストーリーが展開される時代は(「The Vivid Old Tale」のような一部の過去編を除き)、「現代」に設定されている(https://www.4gamer.net/games/476/G047609/20191023105/)。

物語中の「現在」を、サービス開始と同じ2020年代とした時、「RADder」が結成された、あるいはレーベルとして独立した20年前……2000年代のボカロシーンには、何が起こっていたのだろうか。


2000年代のボカロとRADder

2004年1月、最初のVOCALOIDである「LEON」「LOLA」が発売された。

日本のボカロシーンにおいて注目すべきは、同年11月4日に、日本初のVOCALOID「MEIKO」が発売されたことだろう。
MEIKOは1年で約3000本のセールスを記録した。それについて、クリプトン社・伊藤氏は以下のように語っている。

 バーチャル音源の市場では、ソフトが1000本売れたら大したもんなんですよ。『MEIKO』はその3倍の規模で売れたんですね。なので、当時のマーケットとしては大成功の部類なんです。

(参照:「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」)

MEIKOの「大成功」は、後に到来するブームの布石となった。
「MEIKO」発売と同時期に独立したRADderは、ボカロシーンと同じように右肩上がりに成長していく。
(「ビビバス」に初期から配置されていたバーチャルシンガーが「MEIKO」であること、彼女が、RADderのメンバーである白石謙を反映するように、カフェを運営していることも述べておこう)

また、謙はメジャーデビュー以前のRADderを以下のように表している。

昔--週末COLでバカみたいに歌ってたオレらは、レーベルとか、誰に届けるとか、そんな荷物はひとつもなかった。
  俺たちの音楽を、思うまま、必死で歌ってた。

これは初音ミク発売直後、2007年の状況と重なってくる。

 「この時点でボーカロイドに飛びついたクリエイターは(中略)それ(初音ミクを使った創作)が金銭的な報酬に結びつくとはつゆほども思っていない。(中略)
  目的はまず自分の満足。そして自分のコミュニティの中でそれが認められたら何よりの報酬になる」

(参照:「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」)
(括弧内は筆者による補足)

2000年代のRADder/ボカロシーンは、ともに「レーベル」「誰に届ける」「金銭的な報酬」よりも「自分の満足」や「自分のコミュニティの中で」の承認を重要視していた。

ボカロが「金銭的な報酬」ではなく、「自分の満足」を追求していた時代に、RADderもまた、同じ目的の為にビビッドストリートへ戻ったのだ。

【ふたつの『伝説』】

それ以降のRADderは、弾丸ツアーを行うなど、着実にキャリアを積んでいく。
そして、ビビッドストリートの「伝説」であり、「ビビバス」の目標である「RAD WEEKEND」を開催。
余命少ない凪の追悼イベントにもかかわらず、「RAD WEEKEND」によって、RADderの勢いはピークに達した。

レーベル設立や杏の誕生から「十数年後」……おそらく2010年代の出来事だと思われるが、その頃のボカロシーンも、同じく「伝説」と呼ぶにふさわしいブームが到来していた。

柴那典は、2010~2012年を「アマチュアの遊び場」だったボカロシーンが「大きく変化を遂げた」拡大期だとしている。

2010年にはカラオケのランキングを占めるようになり、「ローリンガール(2月14日投稿/wowaka)」「ワールズエンドダンスホール(5月18日投稿/wowaka)、「モザイクロール(7月15日投稿/DECO*27)」「マトリョシカ(8月4日投稿/ハチ)」などの名曲が数ヶ月おきに登場した。また、初音ミクと鏡音リン・レンの追加音源である「Append」の発売により、歌声のバリエーションも豊かになっていく。

2011年にはクリエイターたちが「さらに活躍の場を広げ」、kemuやトーマなどの高速ロックを手掛けるクリエイターが「存在感を増」す。さらに黒うさPの「千本桜(9月17日投稿)」が大ヒット。   『カゲロウプロジェクト』は本人による小説化も大ヒットし、一大ムーブとなった。

2012年にはGoogle CromeのなどのCMに起用され、地上派や雑誌で特集が組まれるなど、ボカロが一般層に周知され始めていく。

その間、主なプラットフォームであるニコニコ動画の会員数は右肩上がりに伸びていった。
視聴者、クリエイター、ライブラリの増加、イベントの開催……ボカロシーンは拡大に拡大を重ね、きらびやかな「伝説」の時代が訪れる。

RADderとボカロシーンは、ともに「伝説」を打ち立てた。

ここで補足しなければならないのは、「RAD WEEKEND」が3年前のイベント明言されている点だ。2020年代の3年前ならば、イベントが開催されたのは2017年以降ではないか、と。

確かに、年数はぴったりとリンクしているわけではない。
しかし、ここで重要なのは、RADderとボカロシーンが共に「伝説」を打ち立てたという事実「プロセカ」運営が、この時代のボカロブームとRADderを重ねた可能性がある、ということだ。

(なお、ここで言うボカロシーンの「伝説」は、楽曲の再生回数やその他メディアミックスの勢いを指すものであり、時代にかかわらずたくさんのクリエイターが名曲を投稿していることを忘れてはならない)

次は「伝説」以降の時代について見ていこう。

【宴のあと】

ボカロにとって、2013年は過渡期の始まりだった。

2012年までに「千本桜」「Tell Your World」などでボカロが一般層に認知されはじめた反面、トーマ、kemuといった有名クリエイターの投稿がストップ。
「カゲロウプロジェクト」もひとまず完結し、それに連なる物語音楽も落ち着きを見せていた。

投稿された年のうちに100万回再生を達成した曲は、2012年、2013年まではともに11曲だが、2014、2015年には1曲にまで減少。

2015年代中盤には鋼兵により「VOCALOID衰退論」なる言説がささやかれ、2012年までの熱狂は、過ぎ去った「伝説」となっていた。

上林将司は、当時のことをMMORPGに例え、以下のように述べている。

 気がついたらニコニコというフィールドは閑散としていた。倒すべきボスもいないし未開の地もないこの土地は、もう草も生えない様相を呈していた。新しい勇者がやってきても声をかけるようなサポーターも冒険者もいない。

「上林将司「初音ミク」というMMORPGを初めて10年経った話」

同時に「RAD WEEKEND」もまた、「決して超えることのできない『伝説』のイベント」として神格化されていった。
「RAD WEEKEND」を超えるという目標を持った「新しい勇者」が現れても「声をかけるような冒険者」はおらず、夢物語だと一蹴されるようになる。

だが、RADder……凪が望んだのは、「RAD WEEKEND」が超えられないものとしてあり続けることではない。

 そういう、昔の私達みたいな誰かが、今度やる私達のイベントを見て、何か感じ取って、それで、最っ高の音楽をやっていったとしたら--
 --私は、私達の夢は、その子達と一緒に歩いていけるって

私達の夢の先は、きっと--
次の世代が歩いてくれるよね

凪の願いは「私達の夢の先」を「次の世代が歩いてくれる」こと。自分の夢が継承されることである。
その「次の世代」は言うまでもなく「ビビバス」であり、杏はその意思を継承する。

 凪さんが私を信じてくれたんだ。(中略)
 なら、私は超える!
 RAD WEEKENDを絶対に超えて--その先に、父さん達の夢の先に行ってみせる!

「ビビバス」における「「夢」の継承」というテーマを表すのは、凪と杏の関係だけではない。
「ビビバス」のイベントストーリーの書き下ろし楽曲を担当したクリエイターたちからも見ることができるのではないだろうか。次章で検証していく。

【焼け野原を超えて】

「プロセカ」の書き下ろし楽曲は、一見すると、様々な世代で活躍したクリエイターに満遍なくオファーをしているように見える。
しかし、「ビビバス」に関しては、とある偏りがある。2013年……「伝説」以降にデビュー、ヒット作を飛ばしたクリエイターに集中しているのだ。

「ビビバス」に書き下ろしたクリエイターのデビュー作と、代表曲について表にした。
なお、この場合の「代表作」は「ニコニコ動画に投稿されたVOCALOIDを用いた作品」かつ「プロセカのリリース(2020年9月)以前に発表された楽曲」のうち「最も再生数の多いもの」とした。

※本人の投稿動画一覧と「初音ミクwiki」で確認(2023/06/16時点)

分かる通り、2012年以前にデビューしたのは、「Ready Steady」のGigaと、「RAD DOGS」の八王子Pのみ(図中に黄色)。
それ以外は、最も早くデビューしたjon-YAKITORIで2013年。最も遅いのが、2018年12月のAyaseとなる。

15名のうち13名が、2013年以降にデビューしたクリエイターだ。

他のユニットと比較すると、「Leo/need」は、Orangestar(2013)、夏代孝明(2016)、傘村トータ(2017)の3名(全15名)。
「MORE MORE JUMP」はナユタン星人(2015)、DIVELA(2014)、Aqu3ra(2018)、ユリイ・カノン(2015)、Guiano(2014)、いよわ(2018)の6名(全14名)。
「ワンダーランズ×ショウタイム」はYASUHIRO(泰寛)(2013)、水野あつ(2019)、キノシタ(2016)の3名(全15名)。
「25時、ナイトコードで。」はすりぃ(2018)、とあ(2013)、ピコン(2013)、煮ル果実(2018)、バルーン(2013)、ツミキ(2017)の6名(全14名)だ。

「ビビバス」がいかに2013年以降のクリエイターに偏っているかが分かるだろう。

もちろん、Flatが指摘するように、2013年頃に「高速ロックの流行が落ち着」くまで、VOCAROCK以外……ポップスやEDM系の楽曲が表面化しづらかったこと、2016年の「フラジール」(ぬゆり)を皮切りに、エレクトロスウィング、スウィングやシティポップなどが流行したことも要因だろう。

しかし、筆者はあえて、RADderと「ビビバス」の関係を踏まえて論じたい。

ふたつの『次の世代』

「ビビバス」は「RAD WEEKEND」というビビッドストリートの「伝説」に心を動かされ、自らもストリート音楽に身を投じるようになった。

一方で、2013年以降にボカロシーンに参入したクリエイターで、それ以前……「伝説」時代の楽曲に衝撃を受けたと明言する者は多い。例えば「Awake Now」の雄之助は「炉心融解」、「街」のjon-YAKITORIは「メルト」に衝撃を受けたと語っている(参照:セカイステーション)。
「ビビバス」の楽曲を手がけたクリエイターたちもまた、「伝説」の時代に衝撃を受け、シーンの最前線に躍り出た。

さらに、2013年以前に活躍していたGigaと八王子Pに関しても共通点がある。

彼らのデビューはそれぞれ2009年・2010年だが、代表曲は2013年以降の作品だ。
 つまり、彼らは「伝説」の担い手であると同時に、「次の世代」が台頭してきた時代でも、引き続きシーンを牽引してきたクリエイターなのだ。
(ちなみに、2012年以前の楽曲でこの条件を満たすのは、それぞれ「ギガンティックO.T.N」と「sweet devil」。センシティブなことこの上ない

「Ready Steady」が果たしたこと

ここで、最も古い「ビビバス」の書き下ろし楽曲「Ready Steady」を見たい。

 この楽曲は、ストーリー上において、彼らの「伝説を超えたい」という「想い」が楽曲になったという位置付けだ。

このポジションに「伝説」の時代から活動しているGigaを据えたのは、「RADder」と「2012年以前のボカロシーン」という2つの「伝説」を接続することで、彼らの「想い」を「次の世代」が継承するという意図があったのではないか。

同じく「プロセカ」の書き下ろし楽曲「ワーワーワールド」が、ポップスのMichieMとEDMのGigaによってジャンルを超えた「横の接続」を目指したのに対して、「Ready Steady」は世代という「縦の接続」を目的とした。

(※なお「RAD DOGS」は、クラシックに生きていた青柳冬弥が、ボカロにおける「クラシック」を手がけてきた八王子Pの要素を内面化することで、ストリート=ボカロシーンの仲間入りを果たす意味合いがあったと考えている)

「ビビバス」の書き下ろし楽曲を担当したクリエイターたちは、ともに2010年代の「RADderの隆盛と「RAD WEEKEND」=ボカロブーム」という「伝説」を目にし、シーンに参入した。
これは、「ビビバス」が「伝説」に心を動かされ、ストリート音楽に傾倒した過程とシンクロする。

「ビビバス」が「RADderの隆盛=2012年までのボカロシーン」から連なり、新しいシーンを担っていく「次の世代」であることを表すため、2013年以降にデビューしたクリエイターを起用しているのではないか?

【大河の「パワハラ」】

RAD WEEKEND以降のRADderの動向も興味深い。
彼らの進路は、「伝説」を牽引したクリエイターたちのその後と重なってはいないだろうか。

前述の通り「RAD WEEKEND」後、凪は病死。謙はビビッドストリートに留まり、大河は渡米して音楽活動を続けている。
ひとりひとりがどのようなクリエイターに対応しているか、見ていこう。

「もっと見て欲しかったのに」

まず、病死した凪は、wowakaなどの活動を休止した(せざるを得なかった)クリエイターに連なるだろう(もちろん、理由は逝去だけでない)。

wowakaフォロワーの一人がツミキだ。

モノクロに統一されたサムネイルは彼へのリスペクトであることが、ヒガキユウカによって指摘されている(参照:「ボカロソングガイド名曲100選」星海社新書)。
また彼は「初音ミク10周年を記念に当時のPがシーンに戻ってきて、曲を投稿したこと」を参入の理由にしているが、その楽曲群にはwowaka「アンノウン・マザーグース」も含まれる。(参照: 【39chインタビュー】ツミキさん/TSUMIKI【39ch Interview】)

彼はwowakaについて、以下のように述べている。

 もし会えたら、何を話したいだろうなあ。(中略)おこがましいけど、僕の曲を聴いてどう感じたかとか、どこが良いとか、そんなことも聞いてみたい。今からだったんですよ僕は、もうちょっと待ってほしかったです。見てほしかった。

(参照:note「彼について」ツミキ)

 言いたいこと……いっぱい、あったのに……っ/RAD WEEKWND超える時だって……!絶対、凪さんに、見てほしかったのに……!


「「守りたい」って想いがあるんです」

一方謙は、「オレ達が今日バラ撒いた熱気」をきっかけとして「次の世代がどうなっていくのか見届けたい」として、彼らが「一息つける場所」であるカフェ「WEEKEND GARAGE」を開店する。
「俺たちの音楽が世界一だってことを証明する」ためにビビッドストリートを出ていった大河とは真逆だ。

これは、「伝説」の時代が終わってもなお、ボカロシーンに残り、作品を投稿しているクリエイターの文脈にある。

その最たる例はやはりDECO*27だろう。

彼は2008年10月8日投稿の「僕みたいな君 君みたいな僕」から最新曲「ラビットホール(2023年6月15日現在)」に至るまで、コンスタントにヒットを飛ばしている。

「やっぱり「守りたい」っていう想いがあるんです。
自分に憧れてくれた人が、いざ「よし、やるぞ」って、ボカロのフィールドに来たときに、「誰もいないし、もう終わってるな」っていう状況になっるのがすごく嫌なんですよ。
(中略)僕は見守ることしかできないですけど、そういう人たちから刺激を受けたいです」

ボカロシーン、焼け野原からの再出発 DECO*27×Neru対談https://www.cinra.net/article/interview-201609-deco27neru

謙は音楽活動こそは休止したが、DECO*27のようにビビッドストリート(シーン)に残り、「次の世代」のクリエイターたちを「見守」っている。

「このままじゃ超えられねえ」

そして、大河は「RAD WEEKEND」をきっかけに、自身の音楽を「世界一にする」ために渡米した。
街を出ていった彼は、ハチ=米津玄師に代表される「ボカロシーンを出てメジャーに進出した」クリエイターだ。

唯一現役のミュージシャンとして活動する大河だが、他の2人と違い、「次の世代」に対するアプローチを表明できずにいた。

お前はここでお前の夢を、俺達の夢を、他人任せにしてもいいのかよ/その夢は、俺達に託せばいいじゃねえか!!

大河

大河は「RAD WEEKEND」を超えると豪語する「ビビバス」たちに勝負を持ちかける。
そして、自身の音楽性を否定され、新たちの心は完全に折られてしまった。

このシーンは「パワハラだ」との声があり、否定的な意見が多い。
だが、そうではない。

筆者はここまで、RADderがボカロシーンと併走してきたこと、大河が「2012年以前に活動し、その後メジャーへ進出したクリエイター」の文脈にあること、「ビビバス」たち「次の世代」が「2013年以降にシーンに参入したクリエイター」と重なることを述べてきた。

では、今回はどうだろう。ボカロシーンでもこんなことがなかったか。

「伝説」……「2012年までのボカロシーン」を牽引したクリエイターが、作品を通して、後継たちの心を折ったことが。

言うまでもない。



ボカロシーンを「今後千年草も生えない砂の惑星」と呼んだ今作は、物議をかもした。
2013年以降囁かれていた「伝説」の終わりが、他でもない、その中心にいたクリエイターによって言語化されたからだ。

だが、ハチは決して、後続のクリエイターを絶望させたかったわけではない。

 「「砂の惑星」が1つの起爆剤になってほしいとは思いますけれど、根本的に「俺が全部ひっくり返してやるぜ」とは思ってなくて。むしろ、どんどん新しい人たちが出てきてほしい。これがきっかけで砂漠にまた1つ木が生えてくれたらいいなって感じですね。その木の周りで新たに誰かが土を耕して、稲とか植えだして、それが実っていけばいいんじゃないかという。」

初音ミクの10年~彼女が見せた新しい景色~ https://natalie.mu/music/pp/hachi_ryo


ハチが「砂の惑星」に込めたのは、頭ごなしの否定ではない。自分の後に続いたクリエイターへの発破だ。

その思惑通りに、「フロムトーキョー」の夏代孝明は「ジャガーノート」で、syudouは「ジャックポットサッドガール」で、この曲を意識したフレーズを用いている。

 惑星/呪いつくした所為で/焼け野原に見えてんだ?

ジャガーノート/夏代孝明

 草木生えず人類の住めなくなった/チープでキッチュな小惑星

ジャックポットサッドガール/syudou

このように「砂の惑星」が2013年以降に登場したクリエイター、ひいてはシーン全体のアイデンティティに揺さぶりをかけたのは間違いない。


大河も、同じだったのではないだろうか。

「パワハラ」と呼ばれた彼の行いは、「次の世代」が積み上げてきたちゃぶ台を「ひっくり返」し、否定するものではない。
「ハチ(=大河)なんて知らねえ、俺が全部変えてやるぜ」という気骨のある「次の世代」が育ってほしいからだ。

大河は凪の生前、「次の世代」にどう接していくかを決めることができなかった。
3年が経ち、アメリカで活躍する自分が「次の世代」にできること。
それは、同じ土俵で戦うミュージシャンとして、彼らを奮い立たせることだった。


こはねは大河から「私達の音楽を聴きたい人がいて、その人達に私も、私たちの音楽を聴いてほしいと思う……その関係が力をくれる」ことを学んだという。

「Kick it up a notch」にて舞台に立ったこはねは、客席に、街に出た際に出会った人たちの顔を見る。
これは、楽曲制作やイベント運営にしか注目してこなかった展開へのアンチテーゼだ。

音楽を作ることも、イベントの運営も、目標へ近づく道筋としては正しい。
しかし、そこには「私達の音楽を聴きたい人」の存在がない。

筆者は最初に、ストリートとボカロの共通点として「シーンが前提にあること」を挙げた。
シーンに関わる人の存在や、そこにある文脈を理解しなければ、「RAD WEEKEND」を真に理解することはできない。

逆に、文脈への理解と実力が伴えば、彼らは夢を実現する……。

それを確信したからこそ、大河は彼らを打ちのめさなければならなかった。

若いやつが育って、オレ達のさらに先を進む姿は……きっと、それだけで希望になる。

謙とハチの言葉を借りれば、「ビビバス」たちは、「風が吹きさらし」ても「なお」歩みを止めず、ようやく実った「希望」なのだ。

【さいごに】

「RADder」は「2012年までのボカロシーンを支えたクリエイター」、「RAD WEEKEND」は彼らが創った「伝説」の時代、そして「ビビバス」は、シーンに衝撃を受け参入した「次の世代」……2013年以降に登場したクリエイターの文脈を背負っている。

私が大好きだった「伝説」の時代を超えるべく挑んでいく「ビビバス」が、愛しくてしょうがない。

今回のストーリーで、彼らは「伝説」を生きたクリエイターたちの「想い」を知り、その「夢の続き」を「歩く」決意をした。

これから始まる彼らの「下剋上」。
その反撃の狼煙となる物語が、今回のストーリーだ。

単なる偶然だろうが、曲名の「下剋上」が、先述した一行P「下剋上(完)」と同名であることも感慨深い。

あの頃新参者だった鏡音リンが、「次の世代」の背中を押し、ともに夢に向かって「這い上がって」いく。なんともロマンのある話ではないか。

賛否両論のシナリオも、「一家総出で啖呵切った/ちょいコメ荒れたけどまあいっか」という歌詞とオーバーラップして、思わず笑顔になる。


ぜひとも五人で、リンガ〇ハットのちゃんぽんを啜ってほしい。

(六日野あやめ)




【参考文献】

「ボカロソングガイド100選」2022年8月21日  星海社新書
柴那典「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」2014年4月4日 太田出版
「上林将司「初音ミク」というMMORPGを初めて10年経った話」2017年8月31日「初音ミク10周年 ボーカロイド音楽の深化と拡張」収録 ele-king books
flat「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察」2023年6月12日閲覧
anigma「「砂の惑星」とはなんだったのか【歌詞・MV 考察】」2023年6月16日閲覧
「初音ミクの10年~彼女が見せた新しい景色~」音楽ナタリー(https://natalie.mu/music/pp/hachi_ryo)2023年6月16日閲覧
ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察(https://realsound.jp/2020/08/post-599464.html)2023年6月16日閲覧
「プロジェクトセカイ」は現代の日本と“セカイ”を舞台に物語が展開。ゲームシステムや収録楽曲なども明らかにされた発表会の模様をレポート(https://www.4gamer.net/games/476/G047609/20191023105/)2023年6月15日閲覧
『プロジェクトセカイ』は音楽と人間の関わりを支える“初音ミク”という存在を具現化した作品に【開発者インタビュー】 https://news.denfaminicogamer.jp/interview/200803a#i-7 2016年5月14日閲覧


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