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大人だけでの外食は、子育ての中での貴重な時間

先日、友人と2人でランチをした。

場所は、グランフロント梅田の「にし家」という、うどんとしゃぶしゃぶがメインのお店。

久しぶりの梅田でのランチ、久しぶりの友人とのランチ、そして、久しぶりの大人だけでの外食だった。

注文したのは、このお店の名物の肉つけ。

お肉がたっぷり入った特製のタレに、釜揚げのおうどんを浸けて食べる。途中で揚げごぼうを入れて食感を変えてみたり、最後に生卵を落として味変をしてみたり。1度で3度おいしい感じの、大満足のおうどんだった。

このお店で食べたおうどんがとってもおいしかったのはもちろんなのだけれど、わたしはそれ以上に感慨深いと思えるものがあった。

それは、外食に行って、提供されたあたたかいお料理を、あたたかいまま食べられるということ。食事中に、和やかにおしゃべりができるということ。自分が食べる以外のことを、気にしなくてもいいということ。

子どもが生まれてから、外食はなかなか大変なものになった。子ども用の椅子に大人しく座ってくれたり、座ってくれなかったり。「おかあさんの上がいい!」となったら、わたしの膝の上に乗せてみたり。娘ちゃんのご飯を優先にするので、選ぶメニューも「一緒に分けて食べられそうなもの」を基準に注文。本当にわたしが食べたいものはそもそも選択肢には入らなかったりする。「本当はAが食べたいけれど、こっちのおかずの方が娘ちゃんと分け分けして食べられそうだし、白ご飯もついてくるし、Bにしようかな」となる。いざ食事が運ばれてきたら、まずは娘ちゃんに食べさせ、その後わたし。必然的に、食べる頃にはわたしの料理は冷めている。

外食時にメニューを選ぶときも、食べるときも、自分の意思よりも、娘ちゃんのことが優先だったし、それがわたしの普通で当たり前だった。だから、今まで特段そのことについて何も考えたことがなかった。

だけど、今回、大人だけでランチに行って、自分が食べたいと思うものを注文し、あたたかいものをあたたかいままの状態で食べることができ、さらに食事をしながら会話を楽しむことが出来るという状況に、なんだかとっても感慨深い気持ちになった。おぉ、これが外食なのか。そんな風に思った。

この、なんでもない外食にこんな気持ちを抱いた自分がいることに気が付いたとき、「わたしも知らぬうちに子どもを育てる親になってたんだなぁ」としみじみした。

大人だけの外食は、自分の食べたいものが食べられて、たくさんお話ができて楽しい。子どもと一緒の外食は、子ども優先で大変ではあるけれど、我が子の「おいしい」の言葉と満面の笑みが身らえれるので、それはそれで楽しい。

そう、どっちも楽しい。どっちも楽しいのだけれど、久しぶりの自分のための外食は、いつもよりもちょっぴり、嬉しい気持ちが勝った。

今のわたしは、「子どもの親としての時間」の方が長いからこそ、束の間の「いち個人としての時間」を意識的に設けることも大事なのかなと思った。


そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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