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宮本輝「錦繍」を読んで、一次関数を解きながら、男と女を考える

今回の記事はかなりぶっ飛んでいます。
無理やりこじつけ繋げた感が否めませんが、私の中では一本の線のように繋がっています。かつてオールジャンルの音楽を、無理やり繋げていたDJの私が書く文章ということで、どうか宜しくお願いします。

秋にオススメということで宮本輝さんの「錦繍」を読みました。
ある事件をきっかけに離婚した夫婦が、10年ぶりに再会したことで往復書簡のやり取りをしていく物語です。秋の情景描写と、元夫婦の互いを思う気持ちと、男と女のそれぞれの思いがとても読みやすい文体で書かれています。
さすが宮本輝さん、昭和57年の作品ですが全く古臭さを感じません。
是非とも多くの方に読んで頂きたい作品だと思いました。

この小説の中で、元夫側が猫と鼠のエピソードについて語ったのが、とても印象に残ったので書いていきたいと思います。

二匹の生き物の絡みを見ていると、殺そうとする者と殺されようとしている者との、ギリギリのやりとりではなく、心を許し合った者同士の、じゃれ合いであるかのように思えてくるのです。

「錦繍」より引用

猫は鼠の身体を食いちぎり、鼠の体は生きたまま、一寸刻みに減っていきました。鼠がまったく動かなくなったとき、猫は鼠の血を舐め始め、もう死んでしまった生き物をなおも食べ続け、こぼれていた血をなんべんも舐めた後、鼠のしっぽが残されていました。

「錦繍」より一部要約して引用


私は少し前から考えていたことがあります。
なぜ人間は恋愛感情が入ると、勝つか負けるか、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、壊すか壊されるか、傷つき傷つけられるか、そんな争いをしなければならないのだろうか?なぜ「愛」が入るとそれはさも当たり前のように扱われるのだろうか?

私は兄夫婦の長引く離婚裁判(3年半以上)の話を聞くたびに、正直ウンザリします。かつては愛し合っていた夫婦も、今は憎しみ合いの泥沼劇場の渦中にいます。どうしてここまで相手をお互い罵倒し合わないといけないのか?
夫側、妻側、それぞれの意見はあると思いますが、それぞれが別に極悪非道な人間ではありません。「愛」が入らない第三者側の立場からしてみたら、人畜無害な人達だと思います。

兄の離婚裁判は極端ですが、「愛」という名のもとに、お互い身勝手に相手に甘えている部分があるのではないか?

たとえば、勝手に連絡を絶つとか、約束を守らないとかもこれに当たる。
そんなこと、普通に友達関係とかでもやります?仕事関係とかでもやります?大切に思っている人にやります?いや、大切に思っていない人でもやりますか?って話。

「恋愛感情」というのは、全てに免罪符的なものを与えているような気がします。普段なら、友達や身内、その他の人に対してやらないような酷い事もやってしまう。「愛してるなら許してくれるでしょう?」的なそういうもの。

小説の猫と鼠のシーンに戻ります。
そう、結局は「心を許し合った者同士のじゃれ合いの延長」なのかもしれません。心と身体を許し合った者同士だからこそ、そういった甘えが生じるのかと。愛憎が絡む殺人事件とかもカップル同士で起きたりしますよね。ストーカーも元恋人が多いというし。

中2の娘が現在、テスト前で毎日机に向かっています。(急に話が飛ぶなよw)
たまに私に数学を質問してくるのだけれど、その問題というのが一次関数です。


カウンセリング寺子屋様より引用

まず上のグラフを見てください。
y=ax+b
の形をとるのが一次関数です。(思い出してくださいねw)

ここで注目して貰いたいのが矢印で記されているx軸とy軸です。
私は以前、自分の色弱の記事で遺伝子の説明をしました。xが女性でyが男性、私はこのグラフを見ながら、ふとx軸が女性でy軸が男性と考えてしまいました。
お互い、矢印の方向が違うから、本来なら女性も男性も交わることがないのです。
ただ、一次関数、二次関数には、座標というものが存在します。上記のグラフで言えば、2つの式の交点の座標は(x=2、y=3)です。つまり、女性側が2歩進んだ先には3歩進んだ男性と交じり合うということになるのです。
本来、x軸とy軸は別の方向を向いているのに、直線や曲線などの色んな事が起きて、交わり合って、重なり合って、そして三角形を作ったり、四角形を作ったり、それぞれに沢山の点(座標)を残して人生を作っていくのです。

ごめんなさい、かなり飛躍していますが私なりの見解です。

x軸とy軸は本来別の方向を向いている
男性と女性は本来交わり合うことはない方向を向いている

人との別れは辛いものです。(また急に話が飛ぶw)
この年になると誰とも別れたくないというのが本音です。
別れが怖いなら出会わないのに越したことはないし、それでも誰かを愛したいというのなら、あらかじめ別れを覚悟しておかなければならないもの。冒頭に述べた猫と鼠のような愛憎劇をもしかり。

ただそんな事を言っても、上の一次関数のグラフで述べた通り、軸が違う者同士で、予期せぬ直線や曲線などによって、ぶつかり合って、交わり合ってしまう事があるのが人生というもの。


そんな人生の座標軸上の直線によって出会い、そして曲線によって別れることになってしまったら、どちらかに、もしくは両方ともに未練のある別れ方をしてしまったら、思いが断ち切れずに気持ちが残ってしまったら…

もう何も望まない、もう会いたいなんて言わない、もう自分だけを見て欲しいなんて思わない、ただ、元気でいることだけを、ただ穏やかに暮らしていることだけを、たったそれだけでも知りたい。

もう決して会うことはない、連絡することもない、かつて愛し合った人のことを、心からそんな風にささやかな願いをもっている人は、この世に死ぬ程いるんじゃないかと私は思う。



以上、
宮本輝「錦繍」を読んで、一次関数を解きながら、男と女について考えてみました。
いつも以上の駄文にて失礼しました。

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