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ドンくさバスケ部と魔女のおまじない

特別棟の壁に作られてた入選ギャラリー。

美術部や書道部の作品が飾られている。

入学してしばらくたつけどここが一番好き。

一番時間を過ごすのは体育館だけど、

ここは、バッシュとボールの音とは違う息づかいを感じる。

満月に吠える狼の水彩画や山々の油絵。

どうやったらこんなふうに描けるのだろう。

通るたび、狼と目が合うような気がした。

その中でも、私の心を奪ったのが書道部の県知事賞

入選作品。

どう読むのかわからないけれど、一字一句丁寧に書かれた字。

筆は柔らかいもののはずなのに、どうしてこんなに力強く書けるのだろう。

字の力に引きこまれそうになる。

みとれすぎて友達に置いて行かれたこともあった。


「その書好きなの?」

ある昼休み、頭の上から声をかけられた。見上げてみれば女の子が踊り場から顔をのぞいていた。

見上げてみれば女の子が踊り場から顔をのぞいていた。

手すりを枕にしているせいで、黒い前髪が手すりにかかっている。

それに、なぜかジャージ姿だ。

もしかして

「この字、あなたが書いたの?」

女の子はちょっと眉をひそめた

「…だったら?」

「すごくステキ。」

本当のことばが口をついた。

すると、今度は一瞬顔をみひらいて

「そう。」

一言つぶやいて、顔を隠してしまった。

ちょっとかわいいかも。もしかしたら友だちになれるかもしれない。


「ねえ、もっと何か書いてる?」

階段を登って近づいてみた。上履きの色が目に入る。

わたしの学年の色じゃない。ということは。

「あ…ごめんなさい。ため語使っちゃいました。」

女の子じゃなくて、先輩だった。

電気がついてなくてわからなかったけど、

ジャージの色もわたしの学年のものではなかった。

「いいよ、別に。」

先輩は顔だけこちらに向けた。

「うちの顧問テキトーでさ、ゴールデンウィーク明けても作品プレート新しくしてくれないの。嫌になっちゃう。」

髪が顔の動きにしたがってサラサラと動く。

ここだけ切り取ったら、シャンプーのCMにでも出られるんじゃないか。

動きにくいからという理由でベリーショートにしているわたしとは大違いだ。

「みたい?」

「え?」

余計なことを考えていたせいで反応が遅れる。

「わたしの書。」

気だるさそうに手すりに頭を預けながら先輩は続ける。
どうしよう、いいのかな…。
でも、せっかく誘ってくれているんだし。

「みたいです。」

「そう。」

わたしの自信なさげな声に先輩は腕を組んで上に伸びをしながら答えた。

結っていた髪を解き、必要なくなったシュシュを左手にはめる。

乱れていた髪を手櫛で整えるとわたしに近づき。

「きなよ。」

そういって、わたしの右手を引いた。

手を引かれるなんて子供みたいなことされたのいつぶりだろう。

急なことで体がうまく動かない。

「墨が乾くの待ってたの。みたいんでしょ?」

「え、でも。」

他の人もいるんじゃないか?

だいたい、わたしみたいな部外者が勝手に入っていいところなのだろうか。

頭のなかで不安がうずまく。

「大丈夫、わたしが好きで書いてるだけだから。」

先輩はわたしの気持ちを見透かしたように答えた。

「顔に出やすいね。」


コツンと先輩がわたしの鼻の頭を軽く指で弾く。

階段のせいで視線が先輩と同じくらいになっていた。

ボールが鼻に当たったり、もみくちゃになることもあるけど

こんなくすぐったい触られ方ははじめて。

「いこう。」

「…はい。」

ちょっと恥ずかしくなりながら、先輩に連れられて書道室に入った。

先輩に連れられて書道室に入った。

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書道部は、墨と水の匂いに包まれていた。

会議室にあるような大きな机が並んでいる。

奥の机の一角に、長い和紙みたいなのが広げられていた。

先輩が今まで書いていたものだろう。

そろそろ乾いたかな。というごきげんな声とともに、その机に近づいた。

長い和紙には、2行で漢字がびっしりと書かれていた。

「…すごい。」

「でしょう。」

わたしのつぶやきに先輩が満足そうな声を上げた。

あのギャラリーにかかっていたあの字だ。

さっき書かれたはずなのに、昔からこの紙の上にいましたという顔をしている。

こんなに力強い字があるだろうか。

いつまでも見ていたい。


「どうしても書きたくなってね。ご飯食べそこねたけど。」

先輩はお腹をさすっている。

「ご飯どうしたんですか?」

「チャイムと同時に教室走っちゃって。かばん持ってくるの忘れたの。」

「わたし、アメありますよ。」

「え、本当!」

先輩の目が輝く。

わたしはポケットに入れていたフルーツキャンディを3つ先輩に渡した。

「うわっありがとう!助かる!」

先輩は3つ全部のつつみを開けるとキャンディーぜんぶを豪快に口に放り込み

そのままバリバリと音を立てて飲み込んだ。


アメって噛み砕くとこんな音するんだ…。

わたしが放心しているのを気にも留めないで

先輩は美味しかった、なんてためいきをもらしている。

「本当にありがとう。そうだ、お礼するよ。」

たったアメ3つでお礼なんてとんでもない。

だけど

「何か、書いてあげるよ。」

先輩のこの提案には心惹かれてしまった。

「え。」

「好きなんでしょ。わたしの字。」

先輩が距離を詰めてきた。下から顔を覗き込まれる。

顔が近い。それにいい匂いが鼻をかすめる。

クラクラする。うそはつけない。

「…はい!」

なんとか答えると、先輩は満足気な顔をして

「そしたら、明日もきてね。がんばって書くから。」

といってくてた。

「はい!」

先輩が私のために書いてくれる。
嬉しくて大きな返事になってしまう。

「じゃあ、君は先に教室に戻ったほうがいいよ。そろそろチャイムなるから。」

「え。」

慌てて壁時計を見る。

時計の針はもうすぐ昼休みが終わることを示していた。

「でも、先輩、片づけが。」

下級生としてお片づけを手伝わないのは気持ち悪い。

「大丈夫。これくらいなら1人でできるから。それに、制服が汚れるよ。」

先輩は硯や墨のついた筆を指差して答えた。

確かに、せっかく新しくなった制服を汚すのはお母さんに怒られそう。

「分かりました。先輩失礼します。ありがとうございました。」

「うん、あと、帰る前にトイレ寄ったほうがいいよ。」

「トイレ?」

先輩の言った意味がよくわからない。

書道室から出た途端、チャイムが鳴ったのでトイレによる事なく教室へダッシュしてしまった。

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「カナ、何その顔。」

教室へ戻った途端、クラスメイトのミナミにそう声をかけられた。

「え」

「あんた、鼻!真っ黒だよ!」

「え!」

驚いてミナミが差し出した鏡を覗き込む。

鏡に写ったわたしの鼻にはこすったような黒い跡がついていた。

両手を見てみる。右手が少し墨で汚れていた。

でも、手で顔を触った時なんてない。

あ、あのときだ。

先輩が鼻を弾いた時、

少しだけ手が黒かった気がする。

思い出したらちょっとだけ耳が熱くなった気がした。

先生が教室に入ってきてしまったため、仕方なくこのまま授業をうけることにした。

「お、関口。今日は面白いな」

先生から変に絡まれてしまった。

クラス中がワッと湧く。

やっぱり無理にでもトイレに行けばよかった。

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次の日、ご飯を速攻で食べ終わると、書道室へ向かった。

「お。来たね。待ってたよ。」

階段をあがっているとまた頭上から声をかけられた。

「約束ですからね。」

階段を登り切って先輩の前に立つ。

先輩は相変わらずジャージを着込んでした。

そしてどこか晴れやかな顔をしていた。

「今墨が乾いたとこ。」

手招きされたのでついていく。

昨日長い半紙が置かれていたそこには、授業で使うような小さな半紙が置かれていた。

そこには

一球入魂

という堂々とした字が書かれていた。

「長いやつは時間かかるから、簡単になったけど。」

「そんな!」

それだけでも十分だった。

先輩がわたしのために書いてくれる。それだけで嬉しかった。


「バスケ部だから、ちょうどいい字かなと思ってさ。」

「あれ、でもなんでわたしが運動部って分かったんです?」

先輩にはわたしの部活なんて教えてなかったはずだ。

先輩はエスパー?

「ああ、あそこから体育館よく見えるし。」

先輩は廊下を指さした。

廊下の窓は体育館に面している。

わたしが出入りするのも見えたのかもしれない。

「それに、よくわたしの字見ててくれたじゃない。たまにボール抱えて立ってるときもあったかな。1年C組の関口果奈さん。」

「え、うそ。名前まで!?」

「そのくらいカンタンだよ。君の先輩から君のこと聞いたんだから。」

先輩はわたしのこと知ってる。

だけど、わたしは何も知らない。

なにそれ。


「…ずるい。」

「ずるい?」

「先輩、名前教えて下さい!」

「え」

今度は先輩が動揺する番になった。

「わたし、先輩のこと名前で呼びたいです!もっとちゃんと先輩のこと知りたいんです!こんなにステキな字を書く人なんですから!」

途中で言ってることがめちゃくちゃになってくる。

先輩がちょっと困った顔をして頭を抱えていた。

「君さ、わたしの作品好きなくせに、わたしの名前気づかなかったの?」

「え」

「作品だけ飾っておいて、作者の名前紹介しないわけないでしょ。」

「あ」

「おばか。」

かなり恥ずかしい。穴があったら入りたい。顔が熱くなるのが分かった。

「まあ、いいけどさ。わたしは、2年G組西村芳佳」

「よしかセンパイ?」

「うわ、久しぶりに名前呼ばれたわ。」

「あ、ごめんなさい。」

「でも、イヤじゃないわ。君なら。」


イヤじゃないわ、君なら。

これは幻聴だろうか。

次は耳まで熱くなった気がした。

「また来ていいよ。話し相手がいるとわたしも嬉しいから。」

「はい。」


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放課後、体育館へ行く途中の渡り廊下で、特別棟の方を見上げた。

もしかしたら、よしかセンパイが廊下に立っているかもしれない。

予感は当たった。

先輩の頭がみえる。試しに両手を振ってみた。

向こうも私のことが分かったみたい。

片手を振ってくれた。

「関口、何やってんだ?」

「あ、部長。」

たくさんのひとが行き交う廊下。ふざけてるように見えたかもしれない。

「すみません。しってる人がいたので。」

「しってる人?」

部長が手を振っていた方向を見る。

「…魔女。」

「え。」

マジョ。絵本なんかに出てくるおばあさんを想像してしまう。

もう一度特別等を見上げた。

魔女のような人はいなかった。よしかセンパイも書道室に入ってしまったらしい。

部長はもう先に歩き出していた。

「あの、部長。」

「どうした?」

「魔女って誰のことなんですか。」

「…お前がさっき手を振ってたやつだよ。」

部長はそれだけいうとまた歩き出してしまった。

魔女。先輩が?

あんなにステキな字を書く人が。なんで?

頭のなかのはてなマークは

パスの練習で顔にボールをもらうまで消えなかった。

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それからというもの、昼休みは先輩のもとに通う日が続いた。

先輩は踊り場で待っていることもあれば、

書を書いていることもあった。

筆を握っている時の先輩は、いつもと雰囲気が違った。

長い髪はジャマなようでシュシュでひとまとめにしていた。

イスの上に立ち膝をしている。

気軽に話しかけられない。


空気がピンと張る。

紙を睨みつける目。

静かに筆を墨に浸す。

深呼吸から一気に筆を運ぶ。

筆は意思を持ったように紙の上を滑る。

書いている間、先輩は半紙の文字だけを追っている。

一息ついて、また筆を墨に浸す。

繰り返し。


短く長い時間がすぎる。

やがて先輩は筆を硯の上に置き、
ふっとため息をついて背もたれに体を預けた。

「できた。」

疲労の色を浮かべながらも、先輩はどこか満足気な顔をしていた。

「おつかれさまでした。」

こうしてタオルを先輩の顔にあてがうのが楽しみになった。

先輩の汗を拭きながら、幸せを噛みしめる。

いつしかわたしは、センパイの字よりもセンパイ自身に惹かれるようになっていた。


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書道室に通うようになって

センパイという大事な人に出会って、世界が輝いて見えた。

体が軽い。

みんなの動きが手に取るようにわかる。

マークされていてもどんなフェイントをかければいいのか

誰にパスができるのか

瞬時に判断ができるようになっていた。


一番調子が上がったのがフリースロー。

バウンドさせて感触を確かめるとき、

ジャンプしてシュートを放つ一瞬一瞬。

センパイが紙と向かい合っていた時のことを思い出していた。

センパイの筆が紙から離れるときと

わたしの手からボールが離れるイメージを重ねる。

そして、ボールはゴールの中に吸い込まれていった。

バスケ部員全員がわたしの変わりっぷりに驚いていた。

自分でも驚くくらいだった。


「関口、どうした?動きが違うじゃないか」

監督に声をかけられる。

「最近がんばってて。」
「そうか、なら、今度の練習試合出てみるか。」

練習試合。その言葉に心が踊る。
「はい!」

やっと試合ができる。

明日センパイにいわなきゃ。

そう思いながらモップがけをしているときだった。

「関口。」

部長に呼び止められた。

「はい。」

「お前、西村のこと知ってるのか?」

「よしかセンパイですか?」
よしかという名前に聞き覚えがあったようだ。

「知ってるんだな。」

部長がちょっと怖い顔をした。

「今日はわたしとつきあえ。おごる。」

「え、あ、はい。」

「さっさとモップがけ終わらせて、支度。」

「はい。」

拭き残していた床をダッシュで片付けた。

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「この前、西村にお前のことを聞かれてな、ちょっと気になってた。あいつが学校でなんて言われてるか知ってるか。」

某イタリアン風レストランで部長がそう切り出した。

部長の前に運ばれたグリルポテトがおいしそうに湯気を立てている。
まだ手を付けていない。

わたしはチョコレートケーキに手を伸ばせないでいた。
食べていいとは言われたけれど部長が食べていないのに、わたしが食べないのは気が引ける。

「いえ。」

「『書道室の魔女』」

「え。」

「魔女」ということばには聞き覚えがあった。

よしかセンパイに手をふっていた時に、部長が口にしたことばだ。

でも、書道室の魔女って何のことだろう。

そういって、部長がポテトを1つかじった。熱っということばとともに口を抑えている。

「書道部の魔女?」

よくわからなくて聞き返す。

ポテトをなんとか飲み込んだ部長がまた口を開いた。

「お前、書道室に行ったそうだな。」

「はい。」

「もう行かないほうがいい。」

「なんでですか?」

つい聞いてしまった。さっきから話が見えない。
部長は少し言葉に詰まったけれども、少し考えてこんなことを口にした。

「あいつはな、1年生の時から気に入った女をたぶらかして書道室に引き込んでるんだ。今まで何人も被害者が出てる。お前も行くな。」

たぶらかす。被害者。高校生には似つかわしくないことばだ。

「うそ。」

たしかに、書道室には入れたのはセンパイが呼んでくれたからだ。
だけど、それはわたしが書を見たかったから。センパイのせいじゃない。

だけど部長は、センパイが悪いみたいに話を続けた。

「ウソなんかじゃない。現に…わたしの友達もそうなった。お前にはそうなってほしくない。」

それだけいうと、また部長はポテトをかじった。
わたしも、チョコレートケーキを一口サイズに切って口に運ぶ。

甘いモノは好きなはずなのに、今日はなんだかおいしくない。

「だから、もういくな。」

なんで
なんでそんなこと言われないとけないの。

わけがわからない。
だんだん部長に腹が立ってきた。

「よしかセンパイは、そんな人じゃないです。」

「関口。」

部長が片目でにらみつけてきた。
でも負けない。

「だって、よしかセンパイのところに行くのはわたしが行きたいからです!センパイは何も悪くない。そんなうわさ聞いたことありません。たぶらかすなんて言ってるけど、2年生が勝手に言ってるだけじゃないんですか。」

「関口!」

「わたしはよしかセンパイの字が見たいだけです。センパイに何もされてない。」

「お前なんでそんなに西村のことにこだわるんだ。」

「こだわってるのは部長じゃないですか。大体、ただの1年が2年生と仲良くなっただけで、なんでこんなに言われないといけないんですか。わたしたちのことはほっといてください。」

「お前のために言ってるんだ!」

「そんなの必要ありません!イヤだったらちゃんとイヤっていえます!」

「…わかった。」

部長はソファに深く座り直した。
息が上がって苦しい。部活じゃこんなことなかったのに。

「そこまでいうなら、もうわたしは何も言わない。だけど、忠告だけしておく。あいつに関わると後悔するぞ。」

部長はとういうと伝票をつかんでレジへ向かっていった。

ポテトはすっかり冷め切っている。

わたしはひとり、ぬるくなったケーキを片づけた。


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『そこまでいうなら、もうわたしは何も言わない。だけど、忠告だけしておく。あいつに関わると後悔するぞ。』

そのことばが家に帰っても、寝て起きても頭から離れなかった。

なんで後悔するの?一緒にいるだけなのに。

モヤモヤしながら、今日も書道室へ向かった。

センパイは、踊り場でわたしを待っててくれた。

「カナちゃん。」

センパイが名前を呼んでくれるだけでなんでこんなに嬉しいのだろう。

大丈夫。よしかセンパイは魔女なんかじゃない。


「よしかセンパイ、わたし今度練習試合に出してもらえることになったんです。」

「おお、すごいね。おめでとう。」

「これのおかげです。」

ポケットから書を出してみせた。

もらったあの日からずっとポケットに入れておいたのだ。

「そんな大層なものじゃないよ。」

「でも、センパイにこれもらってからわたし調子いいんです。今度の試合じゃあ、もっと点取れそう。」

「…そう。」

よしかセンパイは苦笑していた。

「じゃあ、もうちょっと願掛けしないとな。」

「え。」

「ちょっと貸して。」


センパイはわたしの手から書を取り上げると、字に顔を近づけた。

そして

字に…キスした。

顔が急に熱くなる。

どういうこと。

ドウイウコト?

目の前で起きたことが信じられない。


「これできっと活躍できるよ。効くから。わたしのおまじない。」

センパイはまたわたしに書を手渡してくれた。

「あ、あの…。」

「ん?それとも、こっちのほうがおまじない効きそうかな?」

そういってセンパイは距離を縮めて、両手で私の肩を掴んだ。


そして、

わたしのあごに

柔らかいものがふれた。


「唇は君の好きな人のためにとっておくね。」

センパイのイタズラっぽい顔が見える。

私の記憶に残っているのはそれだけだ。


わたしの足は知らない間に書道室の扉を目指し、

階段を3段飛ばしに駆け抜け、

ギャラリーの絵をすっ飛ばし、

気がついたら、

自分の教室の机に戻ってきていた。


クラスメイトの視線がいたい。

急に走ったから体から妙な汗が噴き出る。


あれは

あれはなに?

アレハナニ?

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「カナ…どうしたの?大丈夫?」

ミナミがクリームパンを片手に近づいてきた。

「あ、ああ。大丈夫。」

やっと呼吸が落ち着いてきた。

「どうしたの?」

まだミナミは気になるようだ。

「あ、ちょっとね。」

言葉が見つからなくて、適当ににごす。


「あと、それ、なに?」

「え。」

「あんたの右手にあるその紙切れ。」

自分の右手を見た。

あの時もらった、センパイの字。

「ああ…拾ったの。図書館の前で。」

「…ふうん。」

ミナミは興味を失ったらしく、クリームパンをかじり始めていた。

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

他のクラスから来ていた生徒が自分の教室に戻っていく。

なんとかわたしも古典の教科書とノートを机から引き出した。

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今日の放課後は散々だった。

初歩のパス練習で上手くボールをキャッチできず。

シュート練習では一本もゴールを決められなかった。

部長や監督に一喝された。

このままじゃ次の練習試合出せないぞという厳しいことば。

帰り際に、部長に睨まれ

「ばか。」

口の動きで言われた。

昼休みにあったことが自分でどう片付けたらいいかわからなくて。

帰る途中ポケットに入れた書をずっと握っていた。

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家に帰って改めて広げると、書はわたしの手汗で黒くすすけていた。


一球入魂


センパイの字を光に透かしてみる。

これじゃあ、ダメだな。わたし。

せっかくセンパイにおまじないかけてもらったのに、

これじゃあ呪いになっちゃう。


センパイがやったことは本当にびっくりした。

どうしていいのかわからなくて逃げてしまった。

センパイを傷つけていなかっただろうか。


もう一度、センパイに会わないと。

会って謝らないと。

きっとわたし後悔する。

よし。

わたしは、かばんにつけてあるお守りをはずして、センパイの書を小さくしたたんで袋の中に入れた。

これで大丈夫。

センパイが私のこと守ってくれる。

一球入魂、

一球入魂。

うん。明日こそ。がんばろう。

明日の準備をして布団に入った。

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翌日、お昼ごはんをそこそこに書道室まで走った。

「よしかセンパイ!」

階段を登っている途中にもかかわらず、センパイの名前を呼んでしまった。

センパイがきっと顔を出してくれる。

いつもの踊り場に走った。

だけど。

センパイはそこにいなかった。

次は書道室。

ドアに手をかけてみる。

鍵がかかっていた。

どうしよう。


一生懸命センパイの情報を思い出す。

『まあ、いいけどさ。わたしは、2年G組西村芳佳』

「2年G組!」

急いで階段を駆け下りようとした。

「それはダメ!」

制服をだれかにひっぱられた。

後ろを見ると、よしかセンパイだった。

閉まっていたはずの書道室のドアが開いている。

「よしかセンパイ!」

駆け下りるために使おうとしていたすべてのエネルギーをセンパイに向ける。

センパイを抱きしめて書道部に突っ込んだ。

逃げられないように長机に押し倒す。

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